『唯信鈔文意』に学ぶ ―宗祖と同朋の人びと <第2講>
神戸 和麿 氏(2005年5月9日) |
教区・組の教化活動を担う若手僧侶の育成を願い行われている教化センター研究生制度の基礎講座として、神戸和麿氏による「『唯信鈔文意』に学ぶ−宗祖と同朋の人びと」が行われた。
その抄録を掲載し、私たちの生活の周辺にある様々な問題を通して、このテーマから浮びあがってくる課題を共有していければと思う。 |
『唯信鈔文意』
親鸞聖人著。同じ法然上人門下の兄弟子にあたる聖覚法印が「念仏の要義」を簡潔に述べた『唯信鈔』に引用されている経文等について注釈したもの。聖人はたびたび『唯信鈔』を書写し、門弟にその味読を勧めていたことが御消息からも知られる。
現存する『唯信鈔文意』の中で、聖人の真筆とされるものは2 冊あり、いずれも高田専修寺に伝わる。奥書には、それぞれ康元2(1257)年と記されており、聖人85歳の筆である。また現存する古写本の奥書によれば、建長2(1250)年(親鸞78
歳:盛岡本誓寺本)が最も早い年次を記しており、これが著述年次されている。(参考資料『親鸞聖人真蹟集成』8巻) |
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■日常生活にあらわれる生死
法然上人の『選択本願念仏集』に、「それ速やかに生死を離れんと欲わば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣きて、選びて浄土門に入れ」(『真宗聖典』P.189『教行信証』)という一文があります。“生死を離れる”、つまり、無常のニヒリズムを離れるという問題です。
この「生死」ということを、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』には五怖畏と示します。不活畏、悪名畏、悪道畏、死畏、大衆威徳畏、つまり人間が生きていく中の五つの畏れです。私たちはいつまでも健康で長生きがしたいという生を肯定した日々の生活です。その中身は、誰しもが、より良い人生、健康、豊かな人生を願っています。しかし同時に、その生の肯定には生の不確かさ、否定を誰しもが抱えている。つまり死というものが、日常生活の中で現象してくるのは、不安、畏れです。
そのことを一つは不活畏、生きていくことは職業、誰しも自分の進路、方向というもの選ばなければならない。しかしこの道で生きていけるかという畏れ。二つには悪名畏、人間は関係性の中にあります。人と人
との間の中で、自分の名、評判が気になる。自分の名がどう思われているかという畏れ。三つには悪道畏、たとえば不治の病いにかかったり不慮の事故に遭う、そういう悪道に対する畏れ。どうしてこういうことに遭わなければならないのか。四つには、死畏、死への畏れ。そして五つには大衆威徳畏、一人毅然として生きていこうとしても周りが気になる。誰しも流行に後れないようにといろいろ周囲が気になってしまう、そういう畏れの中に生きている。そのように生死、無常のニヒリズムは五怖畏という形をとって、私たちの日々の生活の中にあらわれているといえるでしょう。
■六角堂の夢告
法然上人が課題としました生死は決して個人的な解脱ではありません。にいわれますように、『恵信尼消息』「善き人にも悪しきにも、同じように、生死出ずべきみちをば、ただ一筋に仰せられ候いし」(『真宗聖典』
p.616)と。「善き人」というのは道を求める人、出家者でしょう。そして「悪しきにも」というのは俗、在家者です。道、俗を選ばない生死を超える道です。その道を親鸞聖人は「よきひとの仰せ」に聞き尋ねられたのです。降る日も照る日もいかなる大事があっても吉水の禅房に百ヶ日通われる中で、法然上人の教えに帰していった。六角堂参籠と合わせるとほぼ二百日です。そういうことが聞法でしょう。みずからの人生の問いをもって聞くということです。
そういう問いの歩みには、六角堂の夢の告げがあります。高田の専修寺には、「三夢記」が残っています。一つ目は、19歳の時、磯長(しなが)の廟窟で、「汝が命根は応に十余歳なるべし」と聖徳太子から告げられる「廟窟偈」です。このころは比叡の山で修道しているのですが、そこには本当に自分のいのちと引き換えてもいいような教えに出遇っているのかという問いがあるわけです。ある意味人間が生きていくという事は、それぞ
れが時間的制約の中にあるわけですから、その中で、あなたは本当に真実に出遇っているかという問いです。
次が、28歳の時、旡(む) 動寺で如意輪観音より告げられた「善いかな、善いかな、汝の願将に満足せんとす善いかな、善いかな、我が願、亦満足す」という文。そして最後が、29歳の時、六角堂に百ヶ日参籠する中で、95日目のあかつき、救世観音より告げられた「女犯偈」の文です。
行者宿報設女犯 我成玉女身被犯 一生之間能荘厳 臨終引導生極楽(行者宿報にて設ひ女犯すとも、我は玉女の身と成りて犯せ被れむ。一生の間、能く荘厳し、臨終引導して極楽に生ぜしめむ)
聖徳太子は、世俗の中にまつりごと、摂政の位、妻子ある中で「篤敬三宝」と、仏道に生きられたのです。それに対し伝教大師はどこまでも比叡山、山の中の修道院仏教として「帰依三宝」という道を生きた方です。比叡山はいうまでもなく一乗止観院ですから、一乗を旗印としている出家のコース、修道院仏教といえるでしょう。そこでは修行する人のみの救いであり、民衆はまったくかかわりなく疎外されていたのです。そんな中にいずれが本当の仏道(一乗)であるかという問いがあったのではないでしょうか。
■肉食妻帯の選び
高田の専修寺には、が伝えられていますが、「浄肉文」それと表裏重なって「女犯偈」が記されています。「浄肉文」というのは、親鸞聖人が、『涅槃経』の十種不浄肉食の説など、出家者が食べても罪にならない肉と
そうでない不浄の肉について書きとめたものです。「女犯偈」と「浄肉文」が重なっていることが考えられます。『歎異抄』(十三条)に示すように、そこには直接海川に網を引き釣りをして、野やまに猪を狩り鳥をと
る人たちがいる。生きていくために手を汚して殺生をしていく人たちがいるわけです。その人たちは長い間、殺生罪業論として疎外されていたわけでしょう。
そうしますと「女犯」という問題、それは単なる男女の関係だけではないでしょう。『歎異抄』で、「持戒持律にてのみ本願を信ずべくは、われらいかでか生死をはなるべきや」(『真宗聖典』p.634)といわれるよ
うに、聖道は持戒持律の道なのです。ですから、「女犯偈」というのは単なる男女という関係だけではなく、戒という制誡、いましめによって疎外してきた、また閉ざしてきた仏教へのプロテストが「女犯偈」にある
のでないでしょうか。そこには、道俗、男女、貴賎、どんな人にも選ぶことなく救済されていく一乗、万人が平等に救われていく道への問いがあったといえます。その道こそ「よきひと」の仏道、選択本願の仏道――、つまり万人が平等に救われていく群萌の「一乗」の道といえるでしょう。
そのことが『唯信鈔文意』には、
具縛の凡愚、屠沽の下類、無碍光仏の不可思議の本願、広大智慧の名号を信楽すれば、煩悩を具足しながら、無上大涅槃にいたるなり。(『真宗聖典』p.552)
と示されています。
長い間、仏教、聖なる道への歩みは、あたかも生活の大地を離れ霞みでも食べて生きていけるかのように思っていたのでしょう。ですから、存在の大地に生きる人びとを殺生罪業論として疎外してきた、そういう人びとに光が与えられてくるのです。そこに念仏往生が私たちに新しい世界、“群萌の一乗”、民衆の仏道の地平を開いてくる。そういう宗祖の歩みを私たちは現在の生活、「在家止住」(御文)の道として確かめていかなければならないのではないでしょうか。
(※この講演録は加筆・訂正したものです)
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神戸和麿(かんべかずまろ)
1939年名古屋市生まれ。1962年、同朋大学文学部仏教学科卒業。1967年、大谷大学大学院博士課程満期退学。大谷大学教授を経て、現在、大谷大学名誉教授、同朋大学特別任用教授、博士(文学)、西照寺住職。著書『清沢満之 その思想の軌跡』『清沢満之の生と死』(以上法藏館)、『浄土論註・観経疏(大乗仏典5)』(中央公論新社)
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