『唯信鈔文意』に学ぶ ―宗祖と同朋の人びと   <第4講>
                            神戸 和麿 氏
(2005年10月17日)
 教区・組の教化活動を担う若手僧侶の育成を願い行われている教化センター研究生制度の基礎講座として、神戸和麿氏による「『唯信鈔文意』に学ぶ−宗祖と同朋の人びと」が行われた。
 その抄録を掲載し、私たちの生活の周辺にある様々な問題を通して、このテーマから浮びあがってくる課題を共有していければと思う。
『唯信鈔文意』

 親鸞聖人著。同じ法然上人門下の兄弟子にあたる聖覚法印が「念仏の要義」を簡潔に述べた『唯信鈔』に引用されている経文等について注釈したもの。聖人はたびたび『唯信鈔』を書写し、門弟にその味読を勧めていたことが御消息からも知られる。
 現存する『唯信鈔文意』の中で、聖人の真筆とされるものは2 冊あり、いずれも高田専修寺に伝わる。奥書には、それぞれ康元2(1257)年と記されており、聖人85歳の筆である。また現存する古写本の奥書によれば、建長2(1250)年(親鸞78 歳:盛岡本誓寺本)が最も早い年次を記しており、これが著述年次されている。(参考資料『親鸞聖人真蹟集成』8巻)

■観音・勢至のはたらき

「観音勢至自来迎」というは、南無阿弥陀仏は智慧の名号なれば、この不可思議光仏の御なを信受して、憶念すれば、観音・勢至は、かならずかげのかたちにそえるがごとくなり。この無碍光仏は、観音とあらわれ、勢至としめす。ある『経』には、観音を宝(ほう) 応(おう) 声(しょう) 菩薩となづけて、日天子としめす。これは無明の黒闇をはらわしむ。勢至を宝(ほう) 吉(きっ) 祥(しょう) 菩薩となづけて、月天子とあらわる。生死の長夜をてらして、智慧をひらかしめんとなり。(『真宗聖典』p.548)  

 ここでは、私たちが南無阿弥陀仏、智慧の名号を憶念すれば、観音・勢至が影のようにはたらいて護持してくださるといわれています。無碍光仏のはたらきは、観音、「宝応声菩薩」・「日天子」、太陽の光の恵みであり、また勢至は「宝吉祥菩薩」・「月天子」、月の光の恵みであると喩えられている。「宝応声菩薩」とは、どこまでも衆生の悩みの声に応じて宝を恵む。この世の苦しみ、歎きの声を観じ、功徳を恵むということ。それ
から「宝吉祥菩薩」というのは、祥は喪が明けたという意味があるように、無明の闇が払われたという吉祥、幸いのいのちに目覚めたということである。 
 そのように親鸞聖人は勢至・日天子は無明の黒闇を払い、観音・月天子は生死の長夜を照らすと。南無阿弥陀仏に目覚めたはたらきは、そこに観音・勢至の「無明の黒闇」を払い、「生死の長夜」を生きる私たちの生活を照らし、真実功徳の宝に目覚ましめるという。

■聖徳太子の示現、聞法の歩み

 観音・勢至ということを思いますとき、『恵信尼消息』における親鸞聖人とともに生きた恵信尼を思い浮かべます。親鸞聖人は、35歳のとき越後へ流され、42歳ごろ関東へ赴きます。そのとき常陸(茨城県)の下妻というところで恵信尼は夢を見ます。結婚して家庭生活の中でともに仏道を顕揚し、民衆とともに歩いていこう。しかし宗祖は大変困難な道を歩いていかれますから、恵信尼には、ついていけるかどうだろうかという、そのことの不安があったのでしょう。そのときに夢を見て、この人とともに仏道を歩もうという決断をされた。その夢を親鸞聖人に話される。昨日は勢至菩薩のご化身として光ばかりの法然上人のお姿を見ましたという。聖人は、それは、実夢、まさ夢だとおっしゃった。そしてもう一つ、親鸞聖人、自分の夫が観音菩薩のご化身だという夢を見た。ところがこのことは恥ずかしくて聖人に言うことができませんでしたといわれています。
 ここで恵信尼がわが夫を観音菩薩の化身といわれているのは、よき人の仰せ、教えを共に聞き歩もうという一つの決意であるといえます。
 私たちにとっての聞法とは人間的関心の延長です。人間的関心ということは、私たちの生活が自我意識の中に生きてあるということです。嫌なものはなくしたい、都合の悪いものはなくしたい。邪魔者は消したい、それが私たちのあり方です。そして自分を認めてくれるもの、意味づけてくれるものを求めます。それが人間の意識構造です。それを止めよといっても止められない、また捨てよといっても人間の意識構造から捨てることができない、そういう深い自己愛・我執の中にあるわけでしょう。
 ですから私たちは、健康で朗らかで楽しい日々を願う。しかし現実は病気にもなれば、卑屈にもなれば、愚痴の中に落ち込んで、右往左往していく。また煩悶し、生き続けているのです。そういう我が身がどのように仏智不思議、無碍光如来の光に照らされるかという問題です。

■世間虚仮、唯仏是真

大慈救世聖徳皇  父のごとくにおわします  大悲救世観世音  母のごとくにおわします
久遠よりこの世まで  あわれみましますしるしには  仏智不思議につけしめて 善悪浄穢もなかりけり (『真宗聖典』p.508)

と「皇太子聖徳奉讃」に頌されています。親鸞聖人は太子を「和国の教主聖徳皇」といわれています。日本におけるお釈迦様のご化身ということでしょう。そして、聖徳皇がご入滅された時、太子の妃が、「わが大王は、『世間虚仮であり、ただ仏のみ真実である』と申されました」(『上宮聖徳皇帝説』)。また『天寿国?帳(てんじゅこくしゅうちょう)』銘文に示す、よく知られた聖徳皇の「世間虚仮、唯仏是真」の教言、遺教です。そのことを先の和讃に尋ねますと「仏智不思議につけしめて」(唯仏是真)、「善悪浄穢もなかりけり」(世間虚仮)といえるでしょう。『十七条憲法』の第二条には、「篤く三宝を敬え、(略)三宝に帰(よ)りまつらずは、何をもってか枉(まが)れる(人のゆがみ)を直さん」といわれ、また第十条には「人皆心有り。心おのおの執れること有り。彼是(よみ)すれば我は非(あしみ)す、我是すれば彼は非す。(中略)共に是れ凡夫ならくのみ」という。
 そこには仏智不思議に照らし出された世間の「善悪浄穢」がよく示されているといえます。物部、蘇我の部族間の争い、人と人との葛藤、そこには蛇がどくろをまくように暗い、深い自己愛着、是非善悪の自己正当化があります。また生老病死の恐れ、死のけがれ。無碍光仏に帰命する一念は、私たちの“ 無明”を照破し、“ 生死”の長夜を生きる衆生に真如一実の功徳を恵むのです。世間を超えた智慧が世間を照らすことが「日天子」「月天子」といわれているのです。
 『日本書紀』には、太子薨去を「皆曰く、日月輝(ひかり)を失ひて、天地既に崩れめべし、今より以後(のち)、誰か侍(たの)まむ哉」という。そして太子の「篤敬三宝」の信念を生きた山背大兄王は聖徳太子の教えに斑鳩寺にて遺族、子孫ひとり残らず全滅していく。いわゆる「 上宮王家の悲劇」 ―、剣を完全に放棄する決意により三宝にいのちを捧げたといえる。

吾、兵を起こして入鹿を伐たば、其の勝たむことうつなし。然るに一つの身の故に由りて、百姓(おほみたから)を残(やぶ)り害(そこな)はむことを欲せじ。是を以て、吾が一つの身をば、入鹿に賜ふ」(『日本書紀』)

 そこには宗教的信念に生きた証し、“ 世の中安穏なれ、仏法ひろまれ
”(非戦、仏法に立つ良心的兵役拒否の道)、つまり、私たち日本が今日現実に直面している問題点があるといえるのでないでしょうか。
(※この講演録は加筆・訂正したものです)

神戸和麿(かんべかずまろ)
1939年名古屋市生まれ。1962年、同朋大学文学部仏教学科卒業。1967年、大谷大学大学院博士課程満期退学。大谷大学教授を経て、現在、大谷大学名誉教授、同朋大学特別任用教授、博士(文学)、西照寺住職。著書『清沢満之 その思想の軌跡』『清沢満之の生と死』(以上法藏館)、『浄土論註・観経疏(大乗仏典5)』(中央公論新社)

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