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| 研究生実習報告 |
| 教化センターでは、教区・組を中心とした教化事業を展開するため、念仏の教えに学び、問い伝える「人」の育成を願い、研究生制度を設けています。聖教研修をはじめ、教化研修や法話実習を通して「読み・書き・聞き・語る」ことに取り組んでいます。 |
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| ◇バックナンバー |
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宗祖親鸞聖人に学ぶ(2008年7月4日実施)
六角堂参籠 −夢をみますか? |
真宗門徒講座(名古屋別院主催)において、「六角堂参籠」というテーマでお話をするご縁をいただきました。今年の4月から始まったこの講座は、親鸞聖人の生涯をあらためて見つめなおすと共に、聖人の歩みを自分の歩みに置き換えて問いを持つ場であると思います。
私の場合、「聖人の生涯を学ぶことが本当に必要なのか」、「どのように聖人と自分を重ね合わせればよいのか」という問いを抱いて講座に臨みました。そんな思いもあり、講義では通常試みられていない「伽陀」「御伝鈔」「和讃」等、を当派に伝わる伝統的な声明で拝読してみました。例えばテキスト『親鸞聖人ノート』(原案)に法語として掲げられている「自力聖道の菩提心 こころもことばもおよばれず 常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべき」(『正像末和讃』)を、あえて解釈はせずに和讃として讃じました。受講者の方から「なんかいいですね」というお言葉をいただいたりもしましたが、意味や理屈を超えて、心に響くことの大事さをあらためて教えていただきました。このことは、知識や勉強(聖道の慈悲)を大事にしていた比叡の山では菩提心が起きず、山を降り、どうしてよいかわからず、(常没流転の凡愚は いかでか発起せしむべき)六角堂に参籠された聖人のお心がうかがえます。
自力を励んでこの世で悟りを開くことを目指す聖者の道を聖道門、弥陀の本願を信じて念仏して浄土に生まれ、来世に悟りを得ようとする凡夫の道を浄土門と称する。(『岩波仏教辞典』より)
今、我々は浄土門を大事にしているのでしょうか。講義を終え、御和讃に込められた聖人のことばが私に問いかけます。 |
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(2008年9月25日・
第三期研究生 飯田 正範) |
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真宗門徒のくらしと勤め(2008年2月15日実施)
教団が背負っている学習問題(同和・靖国) |
教団がかかえる「靖国問題」と「同和問題」について、真宗門徒講座(名古屋別院主催)でご門徒と共に考える場をいただいた。理知的に考えれば、自分自身の課題として講義をすべきものと臨んだが、今回の発表を終えてみれば、それらの問題が、私にとってはリアルな問題ではなく、単に関心事に過ぎなかったということを痛感させられた。
今回の発表の中で、人間は誰しも「自」と「他」を分け(分別)、それを種別ごとに区別し、それがやがて差別へと変化させる特性を有し、その特性を利用して民衆を支配する仕組みが部落差別を生み、靖国神社を生み出してきたことを学んだ。
人間は、ともすれば他者を人間として見ることができなくなる。その最たる痕が部落差別であり、戦争であろう。靖国神社は英霊を祀る。その英霊とは言わずもがな、戦争加害者であり戦争被害者でもある。一人の人間がその当時の環境の中で殺人者になったり、お国のための犠牲者として死んでいく。それは、人が人でいられなくなることであり、鬼となり修羅と化すことなのだと思う。同和問題もしかり。被差別部落の人を同じ人間として見ることをできなくさせてきた歴史である。そして、そんな歴史を私は背負っていたのである。今なお、ネット上において匿名による差別表現が連綿と続いている現状をみても、過去の出来事ではなく、今に生きる私の中に同和問題・靖国問題として内在しつづけているのである。
私自身をもう一度振り返れば、自分より「下」と思える人間がいないと生きてはいけない。あるいは、自分より「下」だという人間が存在すると信じて生きている。ここに私の中の同和問題があると感じる。他者が見えなくなる。それは見えなくさせられているのか。見ようとしていないのか。いずれにしても他者が見えないがために「いのち」を見失い、自らの立ち位置も全く見失ってしまっている。
分別 → 区別 → 差別となっていくように、我々は他との関係の中で、自我の位置を確立することに一生懸命なのである。「我が国」「愛国心」あるいは「中流意識」「○○育ち」。そのようなものによってのみ自分の位置を確立している私の中に、まさに同和問題、靖国問題があるのだと、あらためて確認させてもらった。 |
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(2008年9月25日・
第三期研究生 松岡 貴志) |
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真宗門徒のくらしと勤め
宗門の流れ 「東西分派から現代まで」 |
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唯連続的に考えてゐるのが常識である。常識は断絶を知らない、非連続の連続を、超越を知らない。 (毎田周一『歎異抄の研究』)
真宗門徒講座(名古屋別院主催)において、「東西分派から現代まで」という主題のもとにお話をする場をいただきました。
この講座では暁烏敏さんが言われた、「この本山は念仏から湧き出たものです。念仏の中に衣食住があります。念仏が湧くところに本山は栄えます。念仏がなくなったらこの本山も消えるがよろしい」、また高史明さんが言われた、「念仏よ興れ」という言葉を通して感じたことをお話しさせていただきました。
しかし、この講座で話している時も話した後も、何か釈然としない思いを感じていました。人前で語った言葉は、誰かが語った言葉の受け売りではないのか。私自身が乗り越えられない絶壁に突き当たった時に、必要とする言葉ではないのではないか。私が発した言葉を「私自身が受け止めることができるのだろうか」と、不安で仕方がありませんでした。
その後、そのひっかかりをまるで忘却したかのような日々を過ごしていた時に、別の講座である方が話し終えた直後に、ぱらぱらと拍手が鳴り響いている場面に居合わせました。その瞬間、周りの拍手につられて拍手をするのでもなく、かといってお念仏を称えるわけでもない自分の姿に気付きました。このことが以前感じたひっかかりを甦らせてくれました。
あのとき語った、「聞法し念仏申してきた人々の歴史が連綿と受け継がれてきた流れの中に、私たちは今、身をおいているのです」というようなことを、その歴史を受け取った人のごとくに、なぜ語ることができたのだろうか。自己保身のために語るという立場に立って、念仏の声が盛んになることを理想として、その理想に見合わない人を排除していただけではなかったのか。そうした理想に対して頷くことができない現実をまるごと引き受け、受け止めてくれる人がいるだけでいいのに、いったい私は何者になろうとしているのだろうか、と新たに感じました。
誰もが解決しがたい事実を前にして言葉を失った時に、響いてきた師や友といった方々の声。その声を永遠に思い続けた方々の歴史の中へ迷い込んでみてはじめて、歴史が生きたものとして語りかけてくるのではないのでしょうか。 |
| (2008年6月25日・第三期研究生 松崎 亨) |
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真宗門徒のくらしと勤め
宗門の流れ 「本廟成立〜蓮如」 |
真宗門徒講座(名古屋別院主催)において、「本廟成立〜蓮如」というテーマで講師をつとめさせていただきました。
昨年、一昨年と本山御正忌に助音方として参勤し、七昼夜(三座×7)の法要の最後の最後、結願日中に身に響いた感覚は、決して知識では得られない、言葉では尽くしがたい感動を私にもたらしました。その感動がまだ覚めやまぬ昨年12月頭に講座を担当するご縁をいただいたことから、その感動を何とか伝えたく、「御伝鈔」の拝読を実演してみました。それは知識ではない何かを伝えられた気がして、あらためて、声明の意義を実感させていただきました。
そのほか、今回の本題である、本廟成立の背景や覚信尼(親鸞聖人の末娘)の思い、さらには覚如上人の寺院化へのはたらきかけの背景、そして蓮如上人の業績(@御文の作成 A勤行形式の確立 B講の成立)について、資料にまとめ、それぞれについて学びをともにさせていただきました。しかし、廟と寺院の違いや留守職(つすしき)と住職の違いなどについては、知っているようで知らないことの連続で、講師に立つご縁の中で学ばさせていただいた次第です。
親鸞聖人の意志を継承し、勤行という形(かたち)で現在の我々にまで念仏を届けてくれた蓮如上人。上人のご功績がなければ現在の勤行はなかったことを思う時、あらためて日頃の勤行を怠ることなく、次世代にも勤行・念仏を繋ぎつつ、歩みを進めていくことの大切さを痛感いたしました。 |
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(2008年6月25日・
第三期研究生 飯田 正範) |
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真宗門徒のくらしと勤め
「お墓」という「場」 〜日常を振り返る「場」 |
真宗門徒講座(名古屋別院主催)において「お墓」の話をする機会をいただいて、改めて「お墓」という「場」の持つ意味について考えさせられた。
現在のようなお墓が、大昔から代々受け継がれてきたかのように思っていたのだが、調べてみると明治期に制定された埋葬法により、墓地以外の所への埋葬を禁じた事などにより、現在のようなお墓の形態が一般的になったことを改めて知った。
私自身は、物心ついた頃から成人するまで、あまりお墓に縁がなく、「遺骨を土に還す場所」、あるいは「世間一般では先祖供養の場なのだろう」と思っていた。しかし、ここ数年で祖父母、父を失い、跡継ぎとして、にわかにお墓の問題が差し迫ってきたのである。
これまで私が親鸞聖人の教えを聞いてきた上では、「お墓=先祖供養の場」といただくことはできないのだが、「自分にとっては、どんな意味を持つのだろうか」そんな思いを持って、親鸞聖人のご遺骨が納められている大谷祖廟にお参りした。そこで感じたこと。それは、埋葬されたご遺骨が問題ではなく、ご遺骨から私が何を学び、何をいただくかである。教えはすでに自分の目の前にまで届いているにもかかわらず、そのことに気づくことができない自分自身の日常を振り返らせる「はたらき」がお墓にはあるのではないか。そのようなことを大谷祖廟でいただいたような気がする。
私たちは油断していると「墓」にまで、生前の富や権力を象徴させる、そんな私たちの姿を見抜き、ご門徒の先達は、墓石に「南無阿弥陀」と名号を刻み念仏申すなかに、私たちの性分を照らし出そうとしてくれたのではないだろうか。
まさに、私を問うてくれる「場」が「墓」であり、お内仏の前に座るということにも通じているということを学ばせてもらった。
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(2008年3月25日・
第二期研究生 横井真彰) |
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真宗門徒のくらしと勤め
お布施 〜布施行の実践 |
2007年10月15日、名古屋教務所議事堂にて19回目の真宗門徒講座(名古屋別院主催)が「お布施」というテーマで行われました。当初、お布施に関する作法等についてお話させていただく予定でしたが、作法を中心とした話よりも、「布施」を励行するように説かれた釈尊の真意を探ってみたくなりました。
「布施」とは、六波羅蜜の中に説かれる、仏教徒ならば誰でも必ず修すべき「行」であります。その内容として、ごく一般に広く認知される布施、つまり法施(僧分による儀式の執行や教法宣布など)と財施(金銭や物品の施し)は、もちろんそれに含まれます。しかしながら、「布施」という語の指す意味はもっと広く、法施、財施に並び、言施(温かい言葉をかける)、眼施・顔施(明るく優しい顔で接する)、身施(何かお手伝いをする)、心施(気配りする)、座施・舎施(場所を提供する)という「無財の七施」というものもあったのです。
天災・戦争・圧政・政情不安・貧困・飢餓・病気など、人類の大問題が山積しています。だからこそ、一人一人の小さな布施行の積み重ねが、共に支え励まし合い、それぞれの生きる意欲に繋がっていくことでしょう。私は、この研修を通して、いよいよ実感をもって永続的に実践し続けることの大切さを感じました。
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(2008年3月25日・
第二期研究生 北村雄平) |
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真宗門徒のくらしと勤め
月忌法要・年忌法要 ―法事の意義とは |
九月十二日、名古屋別院主催・真宗門徒講座「第十八回 月忌法要・年忌法要」について講義をする場をいただきました。
今回のテーマは、私が一番身近に感じている課題なので、人前に立ち、お話しをする機会を通して、あらためて日々何気なく通り過ぎている日頃の私の姿勢を確認することができました。それは、講義の中でも紹介したあるご門徒からの問いかけについて、あらためて考えることができたことです。
それは、法事の席でのことでした。今時の若者が8人もお参りしているではありませんか。正直このご時世に珍しいと思ったものですから、喪主のおばあさんに「おじいさんは、お孫さんにとても慕われていたんですね。今時珍しいですよ」と声をかけました。すると、「毎回来るたびにお小遣いと交通費を渡しているからね。そうでなければ来てくれたかどうかわからんね」という言葉が返ってきました。なるほどとも思いつつ、「本当にそうでしょうか。もし来たくなければ、お小遣いをもらえても来ませんよ」と言いました。
しかし、よくよく考えてみると自分自身は一体どうなのか。「お布施がなければここに私は来ただろうか」そして、「私は法事を必要としているのだろうか」という根本的問いを突きつけられたのです。
日々、何気なく執行している法務の意義について、もう一度ご門徒と“朋(とも)”に習っていかなければならない自分自身の姿に気づかされたのです。 |
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(2007年12月25日・
第二期研究生 近藤知仁) |
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真宗門徒のくらしと勤め
中陰・忌明法要 ―儀式へのおもいに気づく |
さる八月十日、名古屋別院主催・真宗門徒講座が開かれ、「中陰・忌明法要」について、講師という立場でお話しする場をいただいた。
実際の講義では、中陰中の荘厳や諸作法の学びを通じて、法要に託されている「悲しみを縁として仏教の教えを聞く」場であることの確かめをする予定であった。しかし、意を尽くせないままに任された時間を大分過ぎてしまうという失態をおかしてしまった。
帰宅後、住職に愚痴をこぼすと、「できなくて当たり前だ、俺だって上手くできん」と、アドバイスにもならない慰めの言葉を返してくれた。親も上手くできないとは、なんとも希望の湧かない返事である。
それにしても、「できなくて当たり前」とは興味深い言葉である。自分の思いからすると「うまくいって当たり前」なのだが、私自身も他人様へのなぐさめの言葉として使う場合、「できなくて当たり前」なのである。客観的な立場から見れば、確かにうまくいかなかった事実は事実として受け入れ、無駄に悩む必要はないことなのだが、自分の思いはそれを事実として受け入れられず、一生懸命言い訳を考えたりして、いまだに悶々とした日々を過ごしている。
しかしよく考えてみると、「儀式」というものも、このような私のために、節目をつけさせるために先人がつくり上げてくれたものなのではないだろうか。その節目とは、単に心の整理をつけてくれるという程度のものではなく、むしろ「うまくいって当たり前」と思い込んでいる私に、「あなたの考えはこんなにも危ういものだ」と気づかせてくれるものである。
今回テーマとして与えられた「中陰・忌明法要」というのも、ある意味では、故人を偲びつつ、大切な人を亡くしたショックから立ち直るために必要不可欠な期間であり、節目として儀式を執り行うという意味は大きいとも思う。しかし、真宗としての要は、自らの心に整理をつけるための儀式にとどまらず、「うまくいって当たり前」、もっと言えば「生きていて当たり前」として、儀式に関わっている一人ひとりの思い上がりを気づかせ、「真実に帰せよ」という呼びかけに応(こた)える歩みを促す契機として伝統されてきたものであるのでないかとあらためて問い直させてもらった。 |
| (2007年12月25日・第二期研究生 伊藤教信) |
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| 葬儀にまつわる問題点 |
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さる七月十三日、名古屋別院主催・真宗門徒講座にて、「真宗門徒のくらしと勤め(8)葬儀式(2)葬儀式・灰葬勤行・還骨勤行〜葬儀にまつわる問題点」について多くの方の前で講義をする場をいただきました。
自分の体験に沿いながら、葬儀式から灰葬、還骨勤行の次第と荘厳等の確かめ、そして真宗門徒として私たちはそれにどう向き合っていくべきかという確認をさせてもらいました。
葬儀は身近にあるものと思います。必ず大切な人との別れがあり、それはとても悲しくつらいものであります。そんな様々な死に対する思いから今日では多様な葬儀の形が生まれてきています。しかし、その深い悲しみを受け止めて、人の死を縁としてそれが仏事に関わる縁となり、念仏の教えに聞いていくことこそ、亡き人から願われていることなのではないでしょうか。
そして、私にとって葬儀とはそのような場であるべきでないかということを確かめさせていただきました。
講義を終えた後、ある方に「家族の葬儀に出席した時のことを思い出しました。これからも葬儀に出席する機会があると思います。それまでに今日聞いたお話とともに、これからあらためて葬儀について考え、尋ねていきたいと感じました」というお言葉をいただきました。
このお話を聞いて、講義を終えたことで肩の荷を下ろし、そこで葬儀を考えることを終えてしまった自分に気づかされました。場を終えたからそこで終わりではないのでしょう。真宗の教えに出遇うとは、その場を縁として、一過性で終わることではなく、どこまでもそれと真剣に向き合い続けていくことであるとあらためて感じさせられました。
この度は、葬儀について真剣に考えることをいただいた場であり、同時にこれまで葬儀を真剣に考えることのなかったこと、他の様々なことも素通りしている自分を知らされる場でありました。そして、話すだけではなく、多くの方に聞いていただき、同時に多くを聞かせていただく場であったと思います。 |
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(2007年9月25日・
第二期研究生 玉野 正聡) |
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真宗本廟奉仕団を終えて
〜御影堂修復の現場視察に思う〜 |
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六月七日、教化センター研究生として真宗本廟奉仕団に上山し、「私にとって真宗本廟とは」のテーマのもと、宗会と宗務所、御修復現場の見学などを中心に研修を行った。
御影堂内の修復現場視察では、鉄筋で補強された大虹梁のある屋根裏も案内してもらうことができた。屋根裏の内部には通り道があり、一つ一つの用材には墨で記号と番号が書かれていた。
百十年前の明治時代の再建作業には二〇〇万人がかかわったとされる。職人や大工はその内の一二〇万人、残り七四万人が全国から来たご門徒であり、修復の現場で勤務をしながら、大工の知識や技術を覚えるものも多かったことを聞かされた。一つ一つの用材に書かれた記号や番号は、用材を目的の所へ運搬し、個性ある用材の癖を生かして適正な位置に据え置くために記されたものである。何も知らない中から建築のイロハを学び、作業を終えての就寝までのひとときの間に仏法談義に華を咲かせたご門徒たちの光景が目に浮かんだ。
奉仕団の帰り際、一人がこんなことを言っていた。「御影堂はなんであんなに大きいんだと思う。あれは人をたくさん入れるために大きいのではない。私一人を座らせるためのものだった。今回の奉仕団でそれがよくわかった」と。
私にとっての真宗本廟とは何か。一つには、各地より上山する門徒が互いの信心を語り、聞くことのできる場としての道場であるといえるだろう。それともう一つには、本廟そのものに私を見据える場であったことを思う。
私にとっての御修復現場は、本廟にかけられた願いに私を見据える場であった。時代を超えて、百年前、二百年前の人たちと出会わしめ、百年後、二百年後の人へと連続無窮に託されていくもの、それこそ無量寿ならんという願いに他ならない。
法義相続、本廟護持ということ。それを宗門の掲げる願いとしてではなく、宗門にかけられた願いとして向き合いたい。
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| (2007年9月25日・第二期研究生 伊藤 教信) |