現代社会と真宗教化
 われわれの教団は近代以降、何を目指し、どのような歩みをしてきたのでしょうか?又どのように時代の課題に向き合ってきたのでしょうか?
 このコーナーでは真宗大谷派が発信してきた情報を基に教団の足取りを訪ねてみたいと思います。
◇バックナンバー

『真宗』を読む―C

「寺院の将来」其の一
(全3回)




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 このコーナーでは、発刊当時の宗派機関誌『真宗』の記事を読み進める中から、時代の抱える問題がどのように論じられていたのか考察していきます。
 この連載で何度か『真宗』創刊号の編集後記の記述に触れましたが、あらためてその内容の一部を紹介します。
 「寺院の将来如何」という問題は、誰も念頭にかかって、而かも解きがたい宿題である。今まではどうにか過ぎて来たが今後もどうにか過ぎてゆけるとは考えられない。既に「無用の長物」という声が諸方に起こっている。「寺をどうするか」という問題の「寺」が本堂を意味するならば、それはどの様にも使われる。然し、「寺」を、ほんとうに「寺」として活用するのは「住職」であるから、「寺をどうするか」という問題は、進んで「住職をどうするか」という問題に転化するのである。 (中略) 雑誌『教化』と『宗報』を合併し『真宗』と改題し、ここに面目を新たにしたのは如上の問題に対して新たなる使命を具現したい念願からである (後略)」
(『真宗』283・4号「『真宗』の編集を終りて」より)
 この文章を読まれて、これって現代のことじゃないの?と思われるかも知れませんが、これは約80年前の文章です。
 大正時代に生きた人たちが寺の将来に関して大きな不安を抱えていたという事実、そして、この不安こそ『真宗』の発刊の原動力であったということ、これらを踏まえ、我等の先輩たちが「寺院の将来」という現代に通ずるテーマについて如何に考え、語っていたのかを見ていきます。
 現代では「寺院の問題」は「組や教区、宗門の問題」と捉えられがちです。「寺や宗門をどうするのか」という議論は各所で活発にかわされているようですが、「住職をどうするのか」という個人の生き方に関する声は、あまり聞こえてこないような気がします。それに対し、上記引用文では「寺院の問題」は即ち「住職の問題」として語られており、このこともあらためて考えてみたいと思います。
 当時の『真宗』の構成は<参考写真>を見ていただくとわかるとおり10〜15程度の記事が主たる読み物となっており、宗門内の連絡事項は付録のような扱いです。記事内容は教化教学、時事問題、生活文化、海外事情、雑学と多岐にわたっておりますが、その中でも「寺院・寺族」というキーワードで数多くのタイトルが掲載されてます。以下その一部を紹介します。
「寺院の本義と寺院の使命」「寺族と聞法」「寺族の仕事」「寺院の機能と住職の本務」「日曜学校の中心は坊守」「寺院に住むものの道」「坊さんに対する感想」
等々、
 これらの記事を多田鼎、稲葉圓成、柏原裕義、鈴木大拙、渡邊海旭(すべて敬称略)などが執筆しています。
 これらの記事の名称を見ただけでも、寺族がどう生きていくべきなのかということが大きなテーマになっていたことがわかります。次号では当時、寺院と社会がどのように関わっていたのかを見てみたいと思います。
〈次号に続く〉
※ 引用文中の旧漢字はすべて新漢字に改め、仮名遣いは現代仮名遣いに改めました。
※ 引用文および引用タイトルはすべて大正年間発刊の『真宗』よりの引用です。
(2008年9月25日・研究員 水谷 玄)

『真宗』を読む―B
質疑応答コーナーを読んでみる


 この頁では発行当初の『真宗』を読み進めていますが、今回は大正時代の『真宗』に掲載された質疑応答の内容に注目してみたいと思います。
 「死霊が子孫につくか?」「念仏と陀羅尼どっちが優れているか?」「アナカシコとはどんな意味か?」など、さまざまな質問が寄せられているわけですが、時代が変わっても人間の興味というのはあまり変わらないようです。 

 ここでは具体的な内容を少し紹介します。


「極楽と阿弥陀佛の実在がどうしてわかるのか?」

「大体、実在ということは、すべて人智によってわかることではありません、私達は今自分が実在している、このテーブルが実在している、このインキツボが実在していると思うていますが、果たして此等のものは実在でしょうか、(中略)私達がぼんやり実在であると思っているものが、果たして実在であるかどうかを考えてみなければなりません。阿弥陀佛の実在か否かを考えるよりも、この方が先決問題であります。」
(『真宗』289号より)


「死んだらどうなるのかは死なねばわからないのではないか?」

「経験以上のことですから、お説のとおり経験を基礎として分かろうとしても分かりません。それゆえ信ずるのです。例えば円満な教育を受ければ人格が化けて向上するということも、未来のことですから厳密な帰納的論理を持ってはわかりません、しかし私共はそうなり得ると信じて修養するのです。死後の問題も大体においてこれと同様であります。」
(『真宗』290号より)


「真宗では、この世で理想の世界を実現させることは語られていないのに、何故、社会に対する働きかけをするのか?」

「浄土往生が目的だから娑婆世界はどうなったっていい。果たしてこのようなことが理論上からも実際上からも云えるでしょうか「東京へ行くのが目的だから、途中の汽車はどうなったっていい」誰がこんなことを真面目に考えましょう。汽車は汽車です、東京ではありません汽車の中に東京を実現することはできません。それだからとて、汽車が壊れようが、座席がなかろうがどうでもいいとは云えません。この土はこの土です、浄土ではありません。この土へ浄土を立てることは出来ません。だからとて、この世が血の海となってもいいとは、常識のあるものならば云えぬ筈です。」
(『真宗』286号より)
素朴な疑問の中にこそ、大切な問いが隠されているとよくわかります。
 最後に紹介したいのが「教えを聞かずに死んでしまった子供は救われているか?救われていないとすれば、どうなっているのか?」(『真宗』289号より)という質問です。
 まず、救われているか? という問題に関して、「勿論救われてはいないと存じます」と答え、続いてその理由が説明されます。次に、では一体どうなっているのか? という質問に関して「強いて申せばやはり迷うていらるると云うよりほかありません」と答えます。そして最後に、子の問題はすなわち自己の問題であると解き明かし「子を救おうとした我身が、却って子に導かれていることに驚かされる。闇はれて光みつる止揚(注)の天地が開けるのであります」と結ばれています。
 安易な慰めはなく、率直に筆者自身の信ずるところが語られており、結果として非常に誠実な印象を受けます。
 後の質疑応答コーナーにもこの問答を基にした質問が寄せられていることから、この問答は読者の好評を得たようです。
 現代、我々が求められているものは、上記の例のような論理的な表現と具体的な態度であるような気がします。誰しも持つような素朴な疑問に対する真剣な態度を、今こそ先人たちから学ぶべきではないでしょうか。
 なお、上記の質疑応答に関する教学的な考察はこのページの目的ではないので、ご了承ください。
(注)止揚(アウフへーベン):あるものを、そのものとしては否定しながら、更に高い段階で生かすこと。矛盾するものを更に高い段階で統一し解決すること。(『岩波国語辞典』より)

※ 質問の回答者はほとんど無記名の為、筆者は不明です。
※ 各質問項目は現代語に要約し、回答部分のみ原文より引用しました。
(2008年6月25日・研究員 水谷 玄)



『真宗』を読む―A
創刊当時の記事内容は……



 前回は月刊『真宗』の発刊までの道のりを簡単に説明しましたが、今回は発刊当初の内容に触れていきます。

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 それではまず『真宗』が発刊された一九二五(大正十四)年の主な出来事から見てみましょう。
 ソ連ではレフ・トロツキーが失脚し、ドイツではナチ党が再建されナチス親衛隊が設立されます。日本では治安維持法及び普通選挙法が公布され、ラジオ放送が開始されます。細井和喜蔵のルポルタージュ『女工哀史』もこの年発行されました。
 都市部では自動車、百貨店、サラリーマン、職業婦人、洋食や洋装の普及など華やかな大衆文化が発展しますが、同時に様々な社会問題が顕在化し、宗教が果遂すべき課題は何かが問われていった時代と考えられます。そんな時代の中、『真宗』は一体どんな内容だったのでしょうか? 創刊号から興味深い記事を紹介したいと思います。
 「何故迷信が多いか」 医学博士 片山 國嘉
  教育が普及した今日でも、なほ迷信は跡をたたず、やれ方位がどうの、方殺がどうのとつまらぬことに囚われて、我身で我身をしばりつけ自らの行動の自由をさまたげて苦しんでいるものが案外多い。(中略)たまたま世の中に出て種々の事物に遭遇すると、さあ判断力がない、故に却って迷信に陥りややもすれば方位とか祈祷とかいふものに惑はされて身を誤ることがある。つまり宗教教育を怠った結果として迷信に陥るので、宗教の最も良い点を子供の時から導いておけば、迷信に入ることは少ないのである。(中略)今の世に迷信の多い今一つの原因は、これまで僧侶や神官の教育が等閑(なおざり)にせられていたからで、これがため宗教を説くものをして大に下落せしめ、ひいて世人の軽蔑をまねくにいたったのである
(『真宗』第二八三・四号十一ページより抜粋)
 また、その前ページには当時の文部大臣・岡田良平による「社会を善導するために宗教教育を盛んにしたい」と題した記事も掲載されており、ここでも盛んに宗教教育(注1)の重要性が論じられています。
 まるで現代社会のことを語っているようにさえ思える文章で、現代の論調と非常に似ているという印象を受けます。興味深いことではありますが、この後、日本が歩んだ歴史を思うとなんだか不気味な印象を受けます。

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 その他の『真宗』創刊号より記事のタイトルを一部紹介したいと思います。
◇教化教学
「寺院に住むものの道」「頽廃寺院に入りて」「真宗の教義は反道徳的なる乎」「俗諦と国法とは同か異か」
◇社会
「結婚式の費用」「豆の栄養価」「自惚屋の多い中学生」
◇海外事情
「評判と反対の巴里女」「印度南洋見聞」「自動車から見た米国」
◇教養
「世界の電化」「梅雨季節‐諸外国に見ない特殊な現象‐」

等、あらゆることが論じられていたことがわかります。
 大正年間に発刊された『真宗』には「御同朋の精神」「実業家の責任観念」「遠距離の通学は考え物」「ラヂオの話」「赤血球の驚異」「世界珍聞」「台所の心得」「殉教献身の偉人ダミア
ン教父物語」「何故各宗の説く来世に相違があるのか? 極楽と阿弥陀仏の実在がどうしてわかるのか? 教えを聞く前に死んでしまった子どもに救いはあるか?(以上読者からの質問)(注2)」等、興味深い記事が目白押しで、非常にユニークな読み物であったことがうかがえます。仏教講話・社会問題・世界びっくり話等が同じ紙面上に違和感なく同居しており、質疑のコーナーもとても具体的で、学んだり考えたり笑ったりと、日常生活に関する真剣な眼差しと自己発見のよろこびを感じます。
 前号でも述べましたが『真宗』創刊号の編集後記に「寺院の将来が不安である云々」とありますように、不安をしっかり見据えていたからこそ、今を具体的にどう生きるかということが真剣に問われていたのだと思います。

※ 引用文中の旧漢字は新漢字に改めました。
※注1 ここでいう宗教教育は特定の宗教のことをさしているわけではなく、本文中には「仏教、神道、キリスト教等」と列記されています。
※注2 質問内容を簡単に表すためタイトルを一部書き換えて表記させていただきました。
◆参考資料
『真宗』大正十四年六月号(二八三・四号)〜大正十六年一月号(三〇三号)
『体系日本の歴史  二つの大戦』(小学館)
『日本の歴史  大正デモクラシー』(小学館)

(2008年3月25日・研究員 水谷 玄)

『真宗』を読む―@
機関紙『真宗』発刊とその歩み
 
 教学とは何でしょか?解りやすく言えば、その時代に即した感覚で『教え』を理解し、その理解内容を基に、実践するための行動原理を構築する試みであるといえます。
 同朋会運動の黎明期から現在に至るまで、真宗大谷派では『教え』を理解し実践するためにどのような試みがなされてきたのか?また今後どのような試みがなされていくべきなのか?これらのことを「『真宗』を読む」と題して、真宗大谷派の機関紙『真宗』のバックナンバーから読み取っていきます。
 現在、当教化センターにおいて職員、教化推進要員、研究員の共同作業として『真宗』のバックナンバー検索用データベース(1950年代から現在までを予定)の構築を企画しており、今後この作業の進捗状況にあわせ考察を進めていきたいと思います。
 今回は初回として、機関紙『真宗』の歴史を簡単に振り返ってみます。
 
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 近代教団として最初の機関紙は1873(明治6)年発刊(注)の『配紙』という素っ気ないタイトルの単純な事務連絡書といった性格のものでした、事務連絡書といっても全寺院に配布されたわけではなかったようです。その後『配紙』とは別に論文等が掲載された『開導新聞』が1880(明治13)年、開導社より発刊されます。こちらは事務連絡以外に説教、演説、雑記、投書などのコーナーで構成され、読み物としての体裁を整えていました。しかし配布形式等の諸事情で『開導新聞』は1883(明治16)年、廃刊になり、その後1885(明治18)年『配紙』も廃刊になります。そして同年、廃刊になった『配紙』と『開導新聞』に充当するものとして両紙の性格を併せ持つ『本山報告』が発刊されます。同誌は月一回全末寺に配布され、宗門の機関紙としての体裁がここで整います。
 しかし『本山報告』も1893(明治26)年、廃刊になり、以降『本山事務報告』『常葉』『宗報』『教化』とさまざまなタイトルで各所から発刊、廃刊を繰り返します。
 そして1925(大正14)年、紆余曲折を経て『宗報』『教化』という機関紙が合併となり、新たに『真宗―改題宗報』というタイトルで発刊されました(ちなみに『真宗』は1902(明治35)年復刊の『宗報』を第一号とカウントしているため、この時点ですでに第283・4号となっています)。
 『配紙』発刊以来約50年間の試行錯誤を経て、やっと現在の『真宗』の創刊号といえるものが出来上がるわけです。

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 現在では『真宗』は別院並びに普通寺院への官報的な位置づけですが、創刊当初は一体どうだったでしょうか?
 まず教団最初の機関紙である『配紙』明治13年6月号の『開導新聞』を紹介する記事中及び同年7月発刊の『開導新聞』創刊号に「・・・本派ノ僧侶ハ勿論門葉ノ輩該新聞ヲ購求寓目セハ啻二本山ノ事情ニ通暁スルノミナラス・・・」とあります。『開導新聞』第36号においても、総末寺へとして「・・・僧侶ハ勿論門徒ノ輩ニ於テモ精々購読シ派内ノ事情ヲ熟知候様可致・・・」とあり、『真宗』創刊号の編集後記にも「・・・住職をはじめ寺族の好読み物たらしむると同時に、進んでも門信徒の人々にも是非読まるるやうにしたいといふのが本誌編集の方針とするところである。・・・」とありますように機関紙発刊当初は積極的に末寺と門徒との情報の共有を図っていたようです。明治・大正時代においても僧俗共にという同朋教団として自覚の上に立って機関紙作成が行われていたことがうかがえます。
 また、上記引用の『真宗』創刊号の編集後記は約80年前に書かれたものですが、その冒頭部分「『寺院の将来如何』といふ問題は、誰も念頭にかかつて、而かも解きがたい宿題である。・・・」と始まっているのが非常に興味深いところです。

※(注)
 『配紙』の発刊年月日に関しては資料により記述の違いがありますが、参考資料『宗門近代史の検証』の記述及び『配紙』(一)の日付を基に1873(明治6)年と掲載させていただきました。
◆参考資料
『宗門近代史の検証』、『配紙』(一)(二)、『開導新聞』(一)(四)、『本山報告』(一)(二)、『宗報』(三)(以上復刻版)
『真宗』(第283・4号)
『真宗』(第600号)
『近代大谷派の教団』―明治以降修宗政史(柏原祐泉 著)

(2007年12月25日・研究員 水谷 玄)




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