教化センター作成『親鸞聖人ノート』(原案)より
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親鸞聖人の御生涯に学ぶ A
「発心・出家」
 親鸞聖人は、1181(養和元)年、9歳の春の頃、天台宗青蓮院(しょうれんいん)の慈円(じえん)僧正のもとで出家得度し、そして僧名を範宴(はんねん)と名のられた。本来、稚児の間はしばらくの手習い勉学すべきところを、聖人は「明日ありとおもうこころのあだざくら夜半(よわ)にあらしのふかぬものかは」という道歌を示して、自らの道心の深さを表わし、剃髪を今すぐにと求められたという。僧正も感ずるところがあり、その日の宵のうちに受式されたと伝えられている。
 当時の社会状況は、源平の争いによる戦禍に加え、相次ぐ天災や凶作のために深刻な飢饉が起こり、それによって多くの人々が飢え死にしていく有様で、都は死臭に満ちた修羅場となっていた。また聖人の一家にも、父親が争いに巻き込まれたり、母親も8歳の時に亡くなるなど不幸な出来事が続き、それがきっかけとなり出家されたともいわれている。
 そのような深い苦悩の日々を過ごす中で、幼き日の聖人は、自身をうながす様々な事情を、正しく自身の歩むべき道として受けとめ、仏道の歴史を歩んでいく中で生きる意味を問い尋ねていかれたのである。
親鸞聖人 得度の間
(京都市・青蓮院)
 思えば、私が生きている現代の社会状況も修羅場である。
 人との関わりの中で相手を作り出し、その相手に勝ったと思えば躍り上がって喜び、負けたと思えば絶望感と怒りを抱きその矛先を探す。
 また、自分が生き延びるための食料を得ようと奔走する。
 そして、毎日どこかで人が亡くなっていく。
 私が存在している世界の中には、地獄さながらの様相がいたるところにある。
 そして、修羅場の原因を突き止めるためにあらゆる情報を頼りにし、思い当たるものがあれば、それが原因ではないかと問うていく。
 それは、すべて私が居心地の良い場所を獲得するためであり、その獲得を目指すことが断念することはない。
 その中で、「このままでいいのだろうか」という思いを抱き、立ち止まることもある。
 しかし、そのことの意義がわからないためなのか、またすぐに走り出す。
 私たちは生活の中で不安におちいった時、自らの力をもって安心な状態に変えていく努力をする。しかし、人間の考えをいくら駆使しても安心に居続けることはできない。それは、人間の努力によって得た、いかなる充足も安心も、ひとたび不測の事態が起きれば、すぐさま「空しさや不安」に変質してしまうことによって教えられる。つまり私たちは、人生の中で出あう「空しさや不安」という感情から、自己が問われてくるのである。そしてその問いは、「このままでいいのだろうか」、という心の奥底から聞こえてくる如来の喚び声となって私たちの中に現れ、新たな道を求めさせずにはおかないであろう。実は、「私が今まで思い描いていた人生とは何だったのか」、その問いこそが仏法との出あいなのである。
 幼き日の親鸞聖人は相次ぐ人の死を目の前にして、人の世のはかなさを感じ、明日のことさえわからない我が身の助かる道、つまり仏道を求めて出家された。今、その一人の行者の歩みと出遇った私たちは、一人ひとりが抱える「空しさや不安」を場として、仏法に我が身をたずねていく歩みを賜ったのである。
 私は、このたび聖人における出家・発心を学んだ中で、自分の思い描いていることが揺り動かされて壊されて、そこから湧き起こる「空しさや不安」が持つ大切な意味を教えられた。
 また、「自身をうながす様々な事情を、正しく自身の歩むべき道として受けとめ、仏道の歴史を歩んでいく中で生きる意味を問い尋ねていかれた」という聖人の生きる姿勢が忘れられないでいる。
 生活の中で、私自身にとって認めたくない現実や受け入れがたい事情に直面したときに、その聖人の生き方が思い起こされ励まされているように感じることがある。
 苦悩多き人生の中で仏道を歩まれた聖人、その出あいを通して、私は「空しさや不安」を抱える一度きりの人生の中での、自身の生きる姿勢を確かめるきっかけをいただいた。
(2008年9月25日・研究員 鈴木 隆真)

親鸞聖人の御生涯に学ぶ @
「誕生」
 以前から紹介しているように、現在教化センターでは、宗祖の御遠忌に向けて、宗祖のご生涯に学ぶ聞法会テキスト(原案)を作成中である。そこで、今回より「親鸞聖人の御生涯に学ぶ」と題し、作成チームのメンバーにリレー形式で、それぞれの担当章の聖人伝、および、その学びの中で明らかになってきたことを報告する。
 親鸞聖人は、1173(承安3)年、藤原氏の流れをくむ日野氏のある一家の、五人兄弟の長男として誕生した。誕生地は、おそらく京都市の南部、宇治に近い日野の里であったと考えられている。父は身分の低い公家、皇太后宮大進・日野有範で、後に出家・隠遁し三室戸大進入道と名のったという。聖人の幼名は松若丸、母は源氏で、八幡太郎義家の孫娘・吉光女と言われているが、伝説の域を出ない。また、日野氏は代々儒学をもって朝廷に仕えていた家系であった。その意味では、聖人の身辺は幼いときから学問的な雰囲気につつまれていたといえる。
 親鸞聖人が生まれた頃といえば、すでに人々の間に「末法到来」(1052年)が意識されてから久しく、日本史の時代区分では平安時代から鎌倉時代への移行の時期であった。つまり、保元の乱(1156年)・平治の乱(1159年)を経て、平清盛が太政大臣となり(1167年)、平氏一門の権勢が頂点に達していた頃でもあった。しかしその背後では、源氏を中心に反平氏の動きも見え始め、やがて源頼朝が伊豆で挙兵すると(1180年)、源平の争乱がはじまり、平氏によって東大寺・興福寺が焼き払われるなど、次第に末法の世・乱世の様相を呈していくのである。
 ところで、人として「この世に生まれる」とはいかなることであろうか。あらためて聖人の生涯について学んでみる中で、私は常にこのことを問いかけられているような感がしてならなかったが、聖人の誕生という歴史的事実から、私たちは何が問われてくるのであろうか。
 言うまでもなく、どの時代に、どんな場所に生まれてくるのか、そのようなことは誰にもわからない。親鸞聖人も意図してこの時代に生まれたわけではない。皆、はからずして生まれてくるのである。『三帰依文』に「人身受け難し、いますでに受く」と説かれるように、私たちがこの世に誕生するということは、自分自身ではどうすることも出来ない、奇跡的でもあり不可解なことでもある。それぞれが、自らのはからいを超えた、はかり知れないご縁をいただいて生まれ出てくるのである。誕生が不可解であるから、歩んでいかねばならない人生も不可解である。それは、現代日本のように、生活がどんなに豊かに便利になろうと変わることはない。私たちはそうならぬ事を願いながらも、苦しみや悲しみを背負って生きていかねばならない存在なのである。しかし、かつて金子大栄師が、「人と生まれた悲しみを知らない者は、人と生まれた喜びを知らない」と語ったように、苦しみや悲しみが与えられた意味を知ることによって救われていく喜びを賜れるのである。
 乱世という厳しい時代状況の中で始まった親鸞聖人の生涯は、きっと私たち以上に、この不可解な人生を問い尋ねていく歩みであったことだろう。であるが故に、親鸞聖人の生涯に学ぶということは、不可解な人生の中で、ふと「どうして私は生まれてきたのか、何のために生きているのか、どこへ行こうとしているのか」との疑問をもつ私たちに、「生まれた意義と生きる喜び」を見出させる、そのきっかけを与えてくれる学びといえるのではないだろうか。私たちが、その得道の人として聖人の誕生を仰ぐとき、歴史的意義もまた自ずと明らかになるのである。
(2008年6月25日・研究員 小島 智)


今、親鸞聖人のご生涯に学ぶとは?

 前号でも述べた通り、現在教化センターでは、宗祖のご生涯に学び自らのあり方を問うていく“ワークショップ型のテキスト”を作成中である。期限は今年度中(六月まで)を目安にその作業も着々と進行しているが、その過程で改めて、今、宗祖のご生涯に学ぶ意義は何かということが問われてきた。そこで再び作成チームのチーフとして、その意義を確認してみたいと思う。

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 現代の日本人は、その多くが“無宗教”を標榜している。またその中には、そもそも宗教など不必要であると考える人たちもいる。さらに、「宗教は恐いもの」といった宗教への警戒感も広まっている。これは、一部の狂信的なカルト教団が世界を震撼させたということや、宗教間の対立が戦争の要因の一つとなっていることも背景にあるのかもしれない。
 その一方で、現代は「癒し」の時代でもあるという。「スピリチュアル」と銘打ったカウンセリングなどで、傷ついた心を「癒す」人達が多いのも現代日本の特徴である。このような現象には、宗教というものを警戒しながらも、「生きる意味」がわからず存在感を喪失している現代人の姿が現れているように思われる。皆、物質的な豊かさの反面で、「息苦しさ」を感じ不安を抱えている。だが、“無宗教”を標榜しているがために、宗教にその解決を求めることは敬遠しているのである。元来、人間は「生きる意味」を問わずにはおれない。自分は一体何のために生きているのか、誰もがこのような疑問を持ち悩んできた。そうした問いを尋ねていくささえとなってきたのが実は宗教なのだが、現代という時代は、それに取って代わる「癒し」の文化が求められているというわけであろう。そして、真摯に問うことも苦悩することもなく、
「答え」が与えられ満足していくのである。
 しかし、「癒し」はあくまで「癒し」であって、根本的な解決になっていないことに気づいている人は一体どれほどいるであろうか。人生というものは、何の苦しみも悲しみも不安もなく過ごせるものではない。人の一生には、親しい者・愛する者との別れ、挫折、孤独、老い・病や死への不安など、多くの苦悩や悲哀がある。このような苦悩や悲哀は、避けようとしても避けることのできない現実として、私たちの身の上に降りかかってくるものである。ならば、現実の苦悩に真向かいに向き合おうとせず、ただ安易に手っ取り早く不安を解消してくれる「癒し」の文化は、麻酔薬のようなもので、結局は一時しのぎの“現実逃避”なのではないか。いやそれどころか、そのような「勦るかの如き」関わりが、かえってその人の自立を奪い、尊厳性を損わしめていくのではないか。
 人生の苦悩や悲哀を契機に、自己の存在を根底から問うのが宗教である。つまり、生死に迷い、煩悩に惑わされ、罪悪に悩まされる存在としての自己を直視し、そうである私が、そうであるが故に、一人の独立者として救われていく道。これこそが今改めて必要とされているのではなかろうか。そしてそれは、今から約八百年前に一生をかけて尋ね続けていった一人の人間によって、すでに開かれている。その人とは親鸞聖人にほかならない。親鸞聖人は苦悩を苦悩として、不安を不安として逃げることなく、そこに立ってこの世を歓喜(よろこび)の世界へと変えていった。
 すでにこの道がある。後はその道を歩みさえしていけばよい。聖人は私たちのことを「御同朋御同行」と、同じ道を歩む仲間と呼んでくださっている。その勧励の声を聞きながら歩む時、自ずと私たちの「生きる意味」も明らかになるであろう。
(2008年3月25日・研究員 小島 智)


同朋(どうぼう)の会新テキスト 作成の願い
 
 この度教化センターでは、各寺や各組などさまざまなところで行われる同朋の会や、今後教区で展開される「真宗門徒入門講座」において使用していただく新テキストを作成することとなった。これは従来にない書き込みノート形式を採用し、すでに作成チームが立ち上がり作業も進行中である。今回はその作成チームのチーフとして、課題と願いを明らかにしておきたいと思う。
 
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 宗門がその使命を全うしていくには、本願念仏の教えを聞く“人”が常に生み出され、その“人”がさらに新しい“人”を誕生せしめていく、ということがなければならない。それ故我々の先達は、今日までさまざまな形で真摯に教化に取り組んできた。しかし、近年の社会状況を鑑みた時、従来の教化スタイルだけでは不十分ではないか、との不安を覚えずにいられないのも事実である。どこか我々の教化そのものが、時代の現実の姿を置き忘れたものとなり、空回りしてしまっている、との感がぬぐいきれないのである。
 真宗大谷派教学研究所研究員・福島栄寿氏はこの辺りのことを、同朋会運動そのものが陥っている問題点として明らかにしているが、今その主張に学ぶべき点は多い(「真宗同朋会運動についての覚書」『教化研究』129)。福島氏は、この世俗化が進んだ現代という時代においては、真宗が自明にあるというのではなく、果たして「宗教性とは何か」、という問いから出発し直していくことが求められる、と指摘する。無論、本願念仏の教えを伝えることは当然である。しかし、ただ単に真宗の「知識」を提供するだけで、そこに現実生活に根ざした感動がなければ、それは空想でしかないということなのであろう。
とすれば、今後の教化資料の方向性も、自ずと明らかになってくるのではないか。すなわち、何よりも教えを共感し、確かめあっていける性格のものがいるのである。僧侶の側から一方的に配布するのではなく、門徒の側も積極的に参加し、体験しながら学んでいける、いわゆるワークショップ的なものが必要なのではないか、ということである。そこでその具体案として、実際に書き込みながら学んでいける形式のものを企画した訳である。内容としては、まずは宗祖伝を通して自らのあり方を問うていけるものを作成したい、と考えている。
(2007年12月25日・研究員 小島 智)




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