教化センター所蔵図書紹介
教化センターは、どなたでも利用できる図書館です。図書は二週間、視聴覚は一週間の貸出しも行っております。ぜひ、お気軽にお越しいただき、紹介の図書や視聴覚もご利用ください。

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いのちの問答“あなた”に届けたい話のお布施 藤澤 克己 著(幻冬舎) 
 超宗派で組織される「自殺対策に取り組む僧侶の会」の代表をつとめる著者が、自身の取り組みの中で気づかされたことを執筆。誰にも相談できずに一人で苦しんでいる人に届けたいという筆者の切実な願いが伝わってくる。

同会は、毎月、浄土真宗本願寺派本願寺築地別院を会場に、自死遺族のわかちあいのつどいを開催するとともに、これまで二千五百通以上もの手紙相談を行なっている。

仏さまの教えがやさしい言葉で綴られているので、とても読みやすい。

(2012年3月・研究員 前田 健雄)

これでわかった! 部落の歴史−わたしのダイガク講座− 上杉 聰 著(解放出版社) 
 本書は、今回の解放運動推進要員研修の講師(上杉聰氏)が、関西大学における連続セミナーで行った講義を内容としている。部落差別史の起源から賤民廃止令まで、これまであまり語られてこなかった差別の変遷が豊富な史料とともに丁寧に載せられている。
 また、著者自身の被差別部落での実体験をはじめ、学校のいじめ問題、平和問題などの本質にも触れられており、部落差別問題に関心の無い方にも興味深く読めるはずである。本書の続編である『これでなっとく! 部落の歴史』(解放出版社 上杉聰氏)と併せておすすめしたい。
(2012年3月・教化推進要員 飯田 真宏)

自立と連帯 訓覇信雄 著(法藏館) 
(じりつとれんたい)
 さる7月26日、東別院にて訓覇信雄師の13回忌法要が、師と親交の厚かった有縁の方々によって厳修された。このたび紹介する『自立と連帯』は、その法要を機縁として、法要スタッフの押入れに眠っていた約30年前の訓覇師の講演が録音されたカセットテープをもとに出版されたもの。 
 当時まだ生まれていなかった私にも、同朋会運動の先頭に立った師から、「真に人間が生きるということはどういうことなのか」と迫力をもって問いかけてくる。
 なお、その肉声は、テープ保有者の好意により、CD版で教化センターに所蔵され、貸し出ししている。肉声もぜひお聞きいただきたい。
(2010年12月・教化センター職員 本多 龍)

はだしのゲン』

 中沢啓治 著(汐文社) 

(はだしのげん)
 『はだしのゲン』は怒りに満ちあふれている。大切な人を殺した原爆に対して、愚かな戦争に対して。そして、それらから生まれる悲しみや苦しみを見ようともしない人々に対して。
 作者である中沢啓治が、自身の被爆体験を基に描いたこの長編漫画は、日本の現実である。そして、ゲン(主人公)の怒りを無視し続ける、日本の現在をも浮き彫りにする。作中に描かれる、人種の違い、思想の違い、原爆の後遺症(病気)などに対する差別は、決して過去のものではない。
 幼い頃、学校の図書館などで『はだしのゲン』を手にした方もおられるだろう。大人になった今、改めてゲンの怒りに耳を傾けていただきたいと思うのである。

(2010年12月・教化推進要員 飯田 真宏)

『清沢満之の生と死』

 神戸和麿 著(法蔵館) 

(きよざわまんしのせいとし)
 名古屋市東区黒門町に生まれ、縁あって真宗の寺門に入り、本山の教育をうけ篤(あつ)く本山のご恩を思い、報恩の道を尽くす。いままでの自分を捨て去り「死して生きる」決意をもって仏門に生きようとする清沢の姿がこの書には克明に書き綴られている。ハイカラな真っ白なスーツを抛(なげう)ち、墨色の頭陀(ずだ)袋(ぶくろ)を首にかけ、二つ歯の低下駄を履く。肉魚食を禁じ、菜食主義。塩を断ち煮炊きをやめ蕎麦(そば)粉を水に溶かし食べ、松脂(まつやに)をなめる。<ミニマム・ポシブル(最小の可能性)の実験>と称して、まさに全身全霊をもって、如来回向を受けるこの身を明らかにしようと自らを奮起させたのである。人間にとって、なくてはならないものは、いったい何か。そのことを、いのちのぎりぎりのところまで実験されたのであった。
 宗祖親鸞聖人750回御遠忌を機に名古屋に生を受けた清沢満之師の顕彰が今、始まろうとしている。

(2010年10月・教化センター主幹 荒山 淳)

『ひかりの足跡 
−ハンセン病・精神障害とわが師 わが友』

 大谷藤郎 著
メヂカルフレンド社) 
(ひかりのそくせき
 −はんせんびょう・せいしんしょうがいとわがし わがとも)

 旧厚生省の医系技官として、ハンセン病、精神障害、その他の重い病気や障害を抱える人々への人権侵害の問題に直面してきた大谷藤郎氏。社会の現場で多くの師、多くの友との出会いを通して、自身の生き方、人間とは何か、人間を育む社会はどうあるべきなのかを教えられたという。
 そして、「らい予防法」廃止を実現させ、「らい予防法」による人権侵害の国家賠償訴訟の証人となって、原告団を勝訴に導いた原動力の根底には、名古屋教区・周寺出身の小笠原 登博士との出会いがすべてのはじまりであったと振り返る。
 苦悩の中でも必死に生きる人を師と仰ぎ、その中で友を見出した、大谷氏の人生に「真の生」を与えてくれた人との出会いが綴られている。
(2010年7月・教化センター職員 蓮容 健)

『仏教讃歌T』

真宗大谷派合唱連盟・編集
/東本願寺出版部・発行
 
(ぶっきょうさんか1)
 「真宗宗歌」「みほとけは」「恩徳讃」「しんらんさま」など、おなじみの仏教讃歌に加え、宗祖親鸞聖人750回御遠忌テーマソング4曲を含む、計46曲収載。
 全曲伴奏譜付きで、合唱用、演奏用ともに幅広く活用できる。原曲が無伴奏、ピアノ以外の伴奏の曲にはあらたに伴奏を付け、合唱曲は旋律を低くし、伴奏譜は原曲のものを使用するなど、現場の声を反映しあらたに細かく編集。子ども会、同朋の会などでさまざまな方が楽しめる讃歌集となっている。
 仏教讃歌を通して、違う角度から、親鸞聖人のお言葉に出遇ってみるのはいかがでしょうか。
(2010年6月・教化センター職員 堀田沙紀)

傷つけ合う家族
 ドメスティック・バイオレンスを乗り越えて

 藤木美奈子 著(講談社) 
(きずつけあうかぞく どめすてぃっく・ばいおれんすをのりこえて)
 教化センタースタッフの一人に、この本読んでみますか?と言われ、手に取った一冊。
 子どものころの家族崩壊、幼少時に義父から受けた性的虐待、結婚後も長年悩み続けた夫の凄まじい暴力。著者は、二度目の結婚でやっと安心できる家庭を持ち、子どもにも恵まれ、現在では自分の体験を各地で講演、差別される人たちへの援助活動を行う。
 言葉によって人間は癒されることもある。男性を告発するだけではなく、あらゆる面での暴力的な支配からどうやって抜け出せるか、「弱者いじめ」に立ち向かう著者の姿に、深く考えさせられた。
(2010年6月・教化センター職員 堀田沙紀)

『本願と意欲』

 平野 修 著(法蔵館) 
(ほんがんといよく)
 人間は要求を持って生きている。私が、今日一日に持った要求を数え上げればきりがない。著者は、「人間の最大の要求は食べることができるという要求である」と言う。
 今日、私は食べるという要求をはじめとして、満たされた要求がいくつかあった。そのおかげで、一日を無事に終えられるような気がする。しかし、「食べるという要求さえ満たされれば、人間はそれで十分だ、と言えない面をもっている」と著者は続ける。では、本当に満たされたと感じることができる要求とは何か。そして、そのような深い要求に目覚めることで何が開かれるのか。そのことが、本願を確かめることを通して綴られている。
(2010年5月・教化センター研究員 鈴木隆真)

『月のウサギ』 ジャータカ物語A

 渡辺愛子 文
 深沢省三ほか 画
(東本願寺)
(つきのうさぎ じゃーたかものがたりA)
 「お月さまには、ウサギがいるんだよ」と日本では言いますが、外国では、月を見ると角度の違いから、ウサギではなく、「大きなハサミのカニ」や「本を読む少女」、または「バケツを持つ女性」にも見えるそうです。
 あなたは月のウサギが見えますか? 私が幼少の頃、『月のウサギ』のお話を聞いて、幼心にも強い衝撃を受けたことを記憶しています。その衝撃の真相を知りたい方は、ぜひこの絵本を読んでみてください。
(2010年4月・教化センター職員 前田健雄)

『東本願寺三十年紛争』

 田原由紀雄 著(白馬社)
(ひがしほんがんじさんじゅうねんふんそう)
 真宗大谷派寺院の御本山「東本願寺(真宗本廟)」。京都駅から少し歩くと見えてくる大きな伽藍。鳩が戯れ、観光客が訪れ、悠久の歴史を感じさせる境内。そんな一見平和に見えるこのお寺には、一昔前、大きな事件が起こっていた。1969年の開申(かいしん)事件以降の教団を二分し、娑婆世界を象徴するこの争いは、人間の無明性をいやというほど教えてくれる。そして今なお、現在のお寺の在り方を問うてくる。 
 うちのお寺は今のままでいいの? 僕らの教団にどんな過去があるの? 東本願寺派と大谷派って何が違うの? そんな疑問がある方、リアルタイムに騒動を経験していない若手僧侶、そして真宗大谷派の門徒の方にこそ読んでほしいおすすめの一冊です。
(2010年3月・教化センター研究生 小笠原智秀)

『自殺で家族を亡くして
   ー私たち遺族の物語』

 全国自死遺族
 支援総合支援センター 編

(三省堂)
(じさつでかぞくをなくして わたしたちいぞくのものがたり)
 毎日90人もの人が日本のどこかで自らの命を絶っている。そして、毎日数千人の人が、大切な人を自殺で亡くしたことに衝撃を受け、自殺を止められなかったと自分を責め、そして、誰にも語ることのできない沈黙の悲しみに打ちひしがれている。
 このような大切な人を自殺で亡くした遺族たちが、同じ悲しみが繰り返されないことを願い、そして、自殺に追い込まれることのない「安心して悩むことのできる社会の実現」を目指して語り始めた27人の手記で綴る物語。
 自殺の問題は特別なことではない。条件さえ揃えば誰にでも訪れる。自分には無縁のこととして目を背けたい私に「自分の問題」として、深く問いかけてくれる重くて悲しい物語だ。
 葬儀に携わる機会の多い方をはじめ、より多くの方に読んで欲しい。
(2009年12月・教化センター職員 蓮容 健)

『僧伽する魂   
      親鸞聖人行実に学ぶ』

 宗 正元 講述
(雲集冬の聞法会)
(さんがするたましい しんらんしょうにんぎょうじつにまなぶ)
 親鸞聖人の生涯に学ぶということは、個人としての親鸞を歴史上の偉人のごとく取り上げることではない。親鸞聖人が歩まれた浄土真宗なる歩みに頷かれた無数の人々の交わり、よき師よきともの交わり、つまり僧伽の中に、僧伽として息づく宗祖に学ぶのであろう。
 著者は言う、親鸞聖人が「自己の生きる覚悟というものをどのように定めたか」を「素裸になって考えなおして」学んでいきたい、と。そして、聖人の生涯における出来事に尋ねながら、私たちの身の事実に立ちかえってゆく。そのような我が身に立ちかえり続ける歩みこそが、よき師よきともとの交わりに開かれる“自己を生きる覚悟”、僧伽する魂の歩みではないだろうか。
(2009年12月・教化センター職員 宮田素樹)

『大谷大学伝道掲示板
    きょうのことば2』

 (大谷大学)
(おおたにだいがくでんどうけいじばん きょうのことば2)
 大谷大学(京都市)の正門には伝道掲示板があります。そこには法語や経典から選択されたことばが月ごとに掲げられています。本書にはそのことばと解説が記されています。私自身が学生時代に通った門。その頃に出会ったことばに再び出会うことができました。あれから、少しだけ年を重ねた今、私に再び問いかけます。「わかきとき、仏法はたしなめ」。忙しさの中で忘れていた今という時の大切さ、置き去りにしている仏法を求める「人生をどのように生きようかと悩む若々しい精神」。ことばは、忘却の彼方から今も私に問い続けています。
(2009年11月・教化推進要員 玉野正聡)

『大地の感覚』

 宮城 智定 著(法蔵館)
(だいちのかんかく)
 「自分は終生、寺の住職以外の肩書きを求めない」と生涯を貫かれた宮城師の尊父、智定師。ご門徒の家へ伺うと、1時間は居られたという。深い思索の人で“ヒラメ”と評されていたと聞く(『生まれながらの願い』宮城著)。海の砂にもぐって目だけを出して上の方を観ている。自分は動かず、「勝った、負けた」、「損した、得した」とウロウロしている人間をジッと下から観ている。そして一度口を開けば大変辛らつな、しかし核心を衝いた真実言が飛び出してくる。本願の大地を賜り不安に立つ。智定師の生涯でたった一冊だけの刊行書。
(2009年9月・教化センター主幹 荒山 淳)

『真宗大谷派の荘厳全書』

 西田 真因
 草野 顕之
 仁科 和志 著
(四季社)
(しんしゅうおおたにはのしょうごんぜんしょ)
 私が荘厳について学んでいくにあたり、最初に手にした書物が同書であります。仏具やその荘厳、衣体について、作法とともに、それらが浄土の荘厳として成った由来なども多く解説されています。
 それまでは、荘厳について深く考えることもないまま、寺院本道やお内仏に向かって礼拝していました。
 しかし、そのような私の荘厳に向かう姿勢を整えさせられたのが同書にある次の言葉です。
 「荘厳は単に言語的形式や可視的形式をとって表現する人間(凡夫)のわざなのではないということである。人間(凡夫)にとって、浄土があるから荘厳するのではなく浄土として荘厳するからそこに浄土が顕現するのである。したがって荘厳行為は信心の創造行為である」
 この言葉に出あい、それまで私の中では、荘厳に関わるお給仕や礼拝などの行為と聞法座談する時を、別のこととして認識していたのではないかと確かめさせられました。
(2009年6月・教化センター研究員 鈴木 隆真)

『図説 あらすじで読む 親鸞の教え』

 加藤 智見 著(青春出版社)
(ずせつ あらすじでよむ しんらんのおしえ)
 私たちの宗門では、宗祖親鸞聖人750回御遠忌を迎えるにあたり、そのお待ち受けとして「宗祖としての親鸞聖人に遇う」の基本理念を掲げている。では、それを課題として取り組むためにはどうすればいいのか。私は、まず親鸞聖人の教えや生涯をたずねている本を探してみようと思った。しかし、「親鸞」と名のつく本はたくさんあって、どれを参考に読めばいいかわからない。親鸞聖人の教えや生涯がダイジェストでわかる、そんな都合のいい本があったらいいなと思っていた。
 そんな時、ある教化センター研究員のデスクの本棚に、この本が置かれているのを見つけた。中を見てみると、親鸞聖人の生涯や教えが、図や写真を交えつつ解説されており、わかりやすく理解することができた。本書は、親鸞聖人を知るための参考書として紹介したい。本を探すときは、自分で探すのもいいが、他人の本棚で見つけることも「出遇い」なのかもしれない。
(2009年5月・教化推進要員 伊藤 教信)

『ケガレ意識と部落差別を考える』

 辻本 正教 著(解放出版社)
(けがれいしきとぶらくさべつをかんがえる)
 「差別はいけない」たいていの人はこう思うだろう。でも、なぜ起こってきたのか。実は曖昧でよくわからない。また、しろうともしなかった自分がいる。しかし、この問題をつきつめていくと、実は「日本人とは?」さらには「人間とは?」という問題までいきつく。そして、「聖」と「賤」は表裏一体であることが見えてくる。
 本書は、日本人のケガレ観の紀元を探るとともに、部落差別のおこりを政治起源説、宗教起源説、民俗学的視点、さらいには語源的観点から考察。各時代の中で、社会から排除され、河原・道・坂なかの境界に追いやられた人々の歴史から、自分の中にある闇に光をあててくれる。「部落差別なんか私には関係ない」と思っておられる方にぜひお薦めしたい必読書。
(2009年4月・教化センター職員 蓮容 健)

『自分の「心」に気づくとき
 カウンセリングの対話から

 譲 西賢 著(法蔵館)
(じぶんのこころにきづくとき かうんせりんぐのたいわから)
 本書は、2007年3月、北海道で開催された大谷婦人会北海道連合会「春の研修会」での法話をまとめたもの。カウンセリングの仕事に関わる著者の視点と、クライエント(来談者)との関係の中で気づかされること。そして、カウンセリングの治癒課程が、浄土真宗の救済課程で説明できると確信し、これらの説明を通して、浄土真宗の教えをわかりやすく多くの方々に伝えたいという願いが込められている。
 「浄土真宗の教えが、この現代社会の心の闇ともいうべき時代において、全ての人の心を癒し、心を開いて、元気に生きるパワーとなることを確信して、本書をお届けいたします。」(あとがきより)
 人との関わりの中で表面上では表れにくい「こころ」の問題であるからこそ、あらためて考えていきたい課題の一つだと言える。
(2009年3月・教化センター職員 堀田 沙紀)

『おおきな木』

 シェル・シルヴァスタイン 作
 ほんだ きんいちろう 訳

(篠崎書林)
(おおきなき)
 大きなリンゴの木と仲良くなった少年は、成長していく過程で、木にいろいろとおねだりをする。お金がないからリンゴの実が欲しい、家を建てたいので材料となる枝が欲しい…。そのたびに少年の要求を聞き入れ、木は、最後は切り株になるまで身を削ってしまう。
 まったく見返りを求めずに人に尽くせるのか。この木のように、自分のすべてを差し出すことなどできない。自分自身の心に問いかけてみると、その難しさがわかる。一本の木を通して考えさせられる一冊。
(2009年3月・教化センター職員 堀田 沙紀)

ビハーラ法話 いのち華やぐ日々』

 草間 法照 著(法蔵館)
(びはーらほうわ いのちはなやぐひび)
 生老病死、とりわけ死という厳粛な事実を仏教はどのように受け止めるのか。
 この書籍では、いま一度いのちについて考える手がかりをビハーラ運動に求めることができる。本文中には、自他の死という縁を生きられた方々の多くの言葉が紹介されており、その中に自らの死の縁を「人間成就の最後のピース」と述べられた言葉がある。死をもって人間成就というジグソーパズルの完成と喩えられたのである。
 今まで考えることがなかった「人間として成就する」という深い問いに出会わせていただいた。
(2008年12月・教化センター研究員 鈴木 隆真)

『宗祖に出遇うご修復
再建に託した尾張門徒の願い

 木場明志 著
(真宗大谷派名古屋別院)
(しゅうそにであうごしゅうふく
 さいこんにたくしたおわりもんとのねがい)

 現在の真宗本廟の堂宇から約30年の時を経て、1895(明治28)年に再建された。世界最大の木造建築物ともいわれる御影堂をはじめとした諸堂の再建が、ばく大な費用を要したのは言うまでもない。しかしその事業はお金だけで成し遂げられたのではない。全国の真宗門徒の本山再興へのご懇念、願心が真宗本廟というかたちで結実したといえるのではあるまいか。
 本書では明治度再建における、特に尾張地方の門徒の果たした役割、また真宗護持、法義相続を荷ったお講の存在が丁寧な資料検証により明かされる。
(2008年12月・教化センター職員 宮田 素樹)

『戦争は罪悪である
反戦僧侶・竹中彰元の叛骨

 大東 仁 著(風媒社)
(せんそうはざいあくである
 はんせんそうりょ・たけなかしょうげんのはんこつ)

 書名「戦争は罪悪である」は、真宗大谷派僧侶・竹中彰元(1867年〜1945年)の“反戦言動”である。彰元は岐阜県(大垣教区)明泉寺の住職で、日中戦争のさ中に反戦言動を繰り返し、有罪判決を受ける。
 およそ70年前、戦争の時代とはどういうものなのか。竹中彰元とはどういう人物なのか。そして、私にとって竹中彰元とは何なのか。
 著者は、大学の卒業論文で竹中彰元を取り上げて以来、1990年から教化センターで毎年開催している「平和展」などで教化センター研究員として、その言動や事跡を調査、紹介してきた。その集大成ともいえる一冊。
(2008年11月・教化センター職員 宮田 素樹)

月刊誌
『DAYS JAPAN』

 (株式会社デイズジャパン)
(でいずじゃぱん)
 世界中のフォトジャーナリストたちが、命を賭してシャッターを切った写真からは、活字や動画では感じることのできない強烈な印象がある。それは、カメラマンと被写体の一対一の関係の瞬間だからなのかもしれない。紙面には、戦争や紛争、自然破壊、人権侵害、貧困、疫病など諸問題が、日常見聞きするマスメディアでは報道されない現実が掲載されている。「世の中知らないことだらけだ。」と毎月驚嘆させられる一冊である。
(2008年11月・教化センター職員 前田 建雄)

『葬式と檀家』
歴史文化ライブラリー70

 圭室文雄 著 (吉川弘文館)
(そうしきとだんか)
 現在、日本の社会では僧侶というだけで表面上は丁寧に接してもらえます。仏教に関心のない人も、何となく法事だけは勤めたりします、なぜでしょうか?
 同書はやや堅苦しい内容ですが、江戸時代の社会システムの中でいかに現代へと続く檀家制度が構築されてきたのか、詳細な資料に基づき考察されていますので非常に説得力があり、一読すると寺と社会の関係、かなりすっきりしますよ。
(2008年9月・研究員 水谷 玄)

『高史明 親鸞論集 第一巻
いのちの声が聞こえますか』

 高 史明 著 (法蔵館)
(こさみょん しんらんろんしゅう)
 悲しみは突然襲ってくる。愛する人を亡くし、心身ともに砕かれ、大地が崩壊し、立っていることも、考えることもできない悲しみ。ただ、全身に渦巻く叫び声しか出てこない。それを怒りや憎しみに変え撒き散らす。そんな自分中心な私。それは地獄のような日々ではないだろうか。その“地獄”の中で「地獄は一定すみか」として生き切られた親鸞聖人の教えに出あう。そして、同じ“地獄”を行く人々と出あい、共に歩む。それは、亡き子に教えられた、ごまかすことのできない、ありのままの「私」と向き合う日々であった。本書はその歩みの記録である。
(2008年7月・教区教化推進要員 玉野正聡)

『あんもちみっつ』

 日本民話かみしばい 選 (童心社)
(あんもちみっつ)
 あるときお爺さんとお婆さんが、お隣からあん餅を3つもらった。お互い1つずつ食べたまでは良かったが、1つ残ってしまった。とてもおいしいあん餅なので、どちらも半分にするのは惜しいと言う。そこで二人は話し合い、にらめっこして勝ったほうが食べることに決めた。さて、あん餅を食べることができたのは?
 最近ではあまり見られなくなった紙芝居。その楽しさは見る側だけではなく、語り手側の表現の工夫にもあります。教化センターでは紙芝居用の舞台、拍子木も貸し出しています。ぜひご利用ください。
(2008年6月・教区教化推進要員 伊藤教信)

『若き求道者の日記』

 広瀬 明 著(彌生書房)
(わかきぐどうしゃのにっき)
 本書の著者は28歳で亡くなった。その1939(昭和14)年11月から1946(昭和21)年8月までの日記が、私に呼びかける。生きるとはどういうことか、生活とはなにか、一言半句に若き情熱が燃えているようだ。
 仏教を学ぶ学生として、親鸞聖人の言葉に道を歩まされる者として、一個の人間として、“若き求道者”の言葉がほとばしる。
 「僕は生きている。この現下に躍動する生命を離れて、なにを求めようとするのか。徒らに抽象的信仰を求める愚劣を止めよ。この生命をおいてなにがある。一切は生命の躍動だ。ひとつひとつはこの生命に裏付けられている。徒らに求むる心なきを恥ずるな。現下の生命を忘るることを恐れよ。行け、汝の生命の欲するところへ、退けよ、汝の生命を汚すものを。」(本書より抜粋)
(2008年4月・教化センター職員 宮田素樹)

『南京1937』  ビデオ・カラー・110分
(なんきん1937) ジョン・ウー製作/ウー・ヅーニィウ監督
 物語を史実として鵜呑みにすることは危険であり、個々の事件の有無やその軽重に執われがちである。しかしながら、この映画の本質は、人間の残虐性と罪業の身を如実に表現していることではないだろうか。それは殺す立場の日本人兵士に限らず、殺される中国の一般市民の中にも描かれていると思える。人間として生まれたことを悲しみ、目を背けてしまいたくなるほどの描写ではあるが、そこに伝授された一点は、まさに「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」であった。
(2008年3月25日・教化センター職員 前田健雄)

『増補 親鸞聖人真蹟集成』  全10巻(法蔵館)
(ぞうほ しんらんしょうにんしんせきしゅうせい)
 かつて宗祖誕生八百年を機縁に、現存する自筆墨蹟が影印本として刊行され好評を博しました。この度七百五十回御遠忌を間近に控え、初刊本に収録されなかったものが新たに加えられ増補版として再刊されました。当センターにはこの初刊本、増補再刊本ともに所蔵されています。ぜひ、宗祖の息吹を直接感じてください。
(2007年12月25日・研究員 小島 智)



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