夏恒例の暁天講座。今年も各方面で活躍されている5人の講師をお迎えし、それぞれの立場で語られる話に耳を傾けたいと思います。人はどこへ向かって歩んでいるのか。ともに問い尋ねましょう。
   ※暁天講座ポスター


期 間
  
2011年8月1日(月)〜5日(金)
時 間  午前6時15分〜8時
会 場  名古屋別院 本堂
聴講料  無料
 
     *手話通訳あり
      
パンと牛乳を進呈します
あつまれ小学生!はやおき鳥
 『正信偈』のおけいこと学習会
 夏休みの宿題などを持参してください

 期 日 8月1日(月)〜5日(金)
 時 間 午前6時15分〜8時
 会 場 名古屋別院 対面所
 *5日にはおたのしみ会があります
 *パンと牛乳無料進呈

8月1日(月)  梶田 真章 (かじた しんしょう:京都・法然院貫主)
「法然上人・親鸞聖人の人間観」 

 南無阿弥陀佛 法然上人と親鸞聖人は「いかなる人間でも『南無阿弥陀佛』と唱えれば、一切の生きとし生けるものを佛に成らせようとする阿弥陀佛の本願の力〔他力〕によって阿弥陀佛が建立した清らかな世界〔浄土〕である極楽に往生(往き生まれること)し、阿弥陀佛のお導きによって悟らせていただくことができるから、自身を自力では悟れない凡夫・愚者・悪人と自覚して『南無阿弥陀佛』を唱えて生きよ。」と教えられました。800年前の善人・悪人と現代の善人・悪人の意味の違いについて改めて確認し、未曾有の震災真只中の日本において念佛を唱えて生きることの意義を説いたいと思います。 合掌

8月2日(火)  釈  徹宗 (しゃく てっしゅう:相愛大学教授)
「六字の名(みな)を称えつつ」 

 現在、私たちの社会は大きな転換期に直面しております。3月11日の東日本大震災によって、社会のあり方、地域のあり方、生命のあり方、日常生活のあり方など、さまざまな場面で「もう一度立ち止まって見つめなおさねばならない」と感じている人は少なくありません。それほど大きな災害でした。このような状況の中、私たち真宗者はどのように日常を生きればいいのでしょうか。仏教はどのように説いているのでしょうか。仏教の基本から浄土真宗までを、お手次させていただきたいと思います。

8月3日(水)  四衢  亮 (よつつじ あきら:高山教区不遠寺住職)
「本願の教えと私たち」

 お父さんを亡くされた方が「倶会一処(倶(とも)に一処に会う)という浄土を信じたいと思う。是非もう一度おやじに会いたい」と語ってくれました。気持ちはよくわかります。ただその気持ちが叶って会えば、きっともめていた二人はまた喧嘩をするに違いありません。それでは浄土が修羅場になります。
一つ処に会いたいと願うのは、対立していても、もめても何をしていても、どんな生き方をしても、全て受け止め捨てないという如来の願いです。その深い願いから、「会えていないのではないか」と私たちに問いが発露しているのです。

8月4日(木)  北村 年子 (きたむら としこ:ノンフィクションライター)
「自尊感情を育むために」

人の生きる力の核となる「自尊感情」とは、なんでしょう? それは、お釈迦様が「天上天下唯我独尊」と説かれたように、この「宇宙に唯一無二の自己を尊び慈しむ気持ち」を表します。自己尊重とは、まさに「自灯明」、自らを拠り所にして生きること、といえるでしょう。
 その自尊感情を、私たち一人一人のうちに育てるために、足るを知り、自分自身を尊び、慈しむ「自己尊重トレーニング」を、お釈迦様の教えを通して、ご紹介したいと思います。

8月5日(金)  尾畑 文正 (おばた ぶんしょう:同朋大学学長)
「今年も蓮が咲いている
     ― 地震・津波・原発事故を通して、浄土を問う ―」


 蓮の花は淤泥華と呼ばれています。泥に淤(お)いて咲く華だからです。泥とは私たちの煩悩を象徴しています。そんな淤泥華が浄土の働きとして表されています。それは浄土の世界が煩悩を生きる私たちと無関係に説かれているのではないということです。むしろ、私たちのドロドロの現実の直中に求められている世界が浄土です。
悲惨きわまりのない地震津波の被害と底なしの不安と恐怖を生み続けている原発事故。そんな私たちの泥沼のような現実に対して、いま浄土を真実の宗とする親鸞聖人の仏教は何を私たちに語るのでしょうか。今一度、浄土真宗と名告られた現実に関わる仏教を通して、私たちに何が願われているかを尋ねてまいりましょう。

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