夏恒例の暁天講座。今年も各方面で活躍されている5人の講師をお迎えし、それぞれの立場で語られる話に耳を傾けたいと思います。ぜひご一緒に聴聞いたしましょう。
期 間
2008年8月1日
(金)
〜5日
(火)
時 間
午前6時15分〜8時
会 場
名古屋別院 本堂
聴講料
無料
*手話通訳あり
*パンと牛乳を進呈します
あつまれ小学生!はやおき鳥
『正信偈』のおけいこと学習会
夏休みの宿題などを持参してください
期 日
8月1日(金)〜5日(火)
時 間
午前6時15分〜8時
会 場
名古屋別院 対面所
*5日には大型布芝居が上演されます
*パンと牛乳無料進呈
8月1日(金) 諸富 祥彦
氏
(もろとみ よしひこ:明治大学文学部教授)
「どんなときも人生には意味がある」
私はカウンセラーです。多くの方の悩み苦しみをうかがってまいりました。そこで感じていることのひとつは、人は自分で自分を救うのではない、苦しみの極限においてなにかほかの力によって救われるのだ、ということです。「夜と霧」で著名な実存心理学者のフランクル博士も同様のことを言われています。実存分析という学派の創始者であるフランクル博士は、死刑囚など、極限の状態にある方の悩みを聴いてきました。そこでフランクル博士は、「どんなときも人生には意味がある」「人生を意味あるものにできない人などいない」ということでした。
8月2日(土) 向野 幾世
氏
(こうの いくよ:奈良大学講師)
「本当のやさしさを求めて」
父は76年の生を重度障害者として生きました。生きることもつらければ、死ぬことも出来ない中で父を支えたのは“南無阿弥陀仏”の六字の称名でした。ご縁があって私は養護学校の教員になりました。そこで出逢ったのが父と同じ障害を生きるやっちゃんという子でした。父の死後二人の思い出を本に。「お母さん、僕が生まれてごめんなさい」に書きました。二人とも人は生かされてのみ生きるということを私に教えてくれた人たちでした。今、本当のやさしさを考えていこうと思います。
やっちゃんの詩
ごめんなさいね お母さん
僕が生まれて ごめんなさい
僕を背負う母さんの
細いうなじに 僕はいう
僕さえ生まれなかったら
母さんのしらがもなかったろうね
大きくなったこの僕を
背負って歩く悲しさも
かたわな子だねと振りかえる
つめたい視線に泣くことも
僕さえ生まれなかったら
8月3日(日)
釈暁鸞
氏
(しゃく ぎょうらん:韓国・五峰寺祖室)
「真宗は釈尊の一筋の信仰」
私は親鸞聖人の御教えによって自分が救われたことを自覚しました。それで韓国の若い念仏者を日本の真宗系の大学に留学させることにしました。ところが、真宗系の大学の仏教学の教授の中には“真宗は仏教ではない”と言われる人もいて、大部分の若者たちは留学を中止し、留学を終えた者で私のところに帰った者は同朋大学を卒業した息子一人でありました。それで私は真宗を真実の仏教と確信する故、中国仏教の生い立ちを研究し始めました。台湾仏教、香港仏教、中国本土仏教と東南アジアに伝播されている中国仏教などを研究した結果、儒教と道教思想を根本の土台とされた雑教行の中国仏教がそのまま韓国や日本に伝播されたのを釈尊の教えであると信じていたのです。それを正しく純粋にして真実なる仏教が「念仏成仏これ真宗」と言われ、結局は“釈尊の一筋の信仰”を説かれたのであります。
8月4日(月) 藤森 宣明
氏
(ふじもり のりあき:ハワイ・ワイメア東本願寺開教師)
「生きがい」
いのちは見守るもの、見とどけるものであって、わたしたちが自由に操作できるものではありません。わたしたちの社会は、いのちの姿というものを直視することを避けよう、避けようとしてきました。炊事、洗濯、排泄物処理から看病、介護、教育まで、他のいのちの世話を自分でせずに、できるだけ公的なサービスに委ねたいと思っています。しかし、あたりまえのことですが、わたしたちはけっして一人では自分のいのちすら全うすることはできません。いのちを見とどけるとはどういうことか、いのちをつながりのなかで見るとはどういうことか。そういう問題についてみなさんといっしょに考えます。
8月5日(火) 田代 俊孝
氏
(たしろ しゅんこう:同朋大学大学院教授)
「ひと・ほとけ・いのち―科学の向こうにあるもの―」
科学を絶対視する中、環境、生命、医療、福祉、心理などさまざまな分野でその矛盾が露呈してきた。つまり、「人間」を科学のみで観ることができないことがわかってきたのである。そういった観点から「全人的○○」とか「人間○○学」と呼ばれる科学を超えたものの見方、考え方が提示されてきた。つまり、「全てを実在するモノ」として観る科学から、関係性やつながりから人やいのちを見て行こうという考え方である。
実体から関係へ、物質から縁起へという方向である。「科学の知」の向こうにある「つながるいのち」「ともなるいのち」(共生・同朋)に目覚める。二者択一の西洋思想から“とらわれ”を離れる仏教へ。
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