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図書・視聴覚教材 紹介

教化センター所蔵 オススメ蔵書

このページでは、教化センターが皆様に“オススメ”したい蔵書をご紹介します。
教化センターは、どなたでも利用できる仏教図書館です。
ぜひ、お気軽にお越しいただき、紹介の図書や視聴覚教材もご利用ください。

利用案内

開館日 月~金・・・午前10時~午後9時
休館日 土曜日日曜日祝日 その他別に定める日
貸出期間 書 籍・・・2週間(5冊まで)
視聴覚・・・1週間(2巻まで)
  ⇒DVD、CD、紙芝居、等
備 品・・・3日間(使用日+前後1日ずつ)
  ⇒プロジェクター、スクリーン、DVD再生機、スピーカー、紙芝居舞台、等
返却方法 郵送等による返却はご遠慮いただいております。
※期日までに返却できない場合は、ご連絡ください。
 TEL 052-323-3686 FAX 052-332-0900

図書検索はこちらから

『仏の教え  ビーイング・ピース  -ほほえみが人を生かす』

ティク・ナット・ハン  著 / 棚橋一晃  訳(中公文庫)

本書は、ベトナム出身の禅僧ティク・ナット・ハン師が、自らが指導する瞑想の実践法を語った言葉の筆記録です。

皆さんは「瞑想」にどのような印象をお持ちでしょうか?私は、社会と断絶して自らの心を整え高めていくような行為が「瞑想」なのだと思っていました。

しかし、著者は「瞑想とは社会から離れ、個人として実践するものではない」と言います。何故ならば、仏教においては「個人としてある」ということはないからです。

一枚の紙の中に、雲、森、樵といった、紙以外のあらゆるものを見る。私があることで、あなたがあり、あなたがあることで、私がある。自分の存在は社会全体との関わりにおいてしかありえないということを、著者は「interbeing」(相互生存)と表現されています。私たち一人ひとりが自らを見つめ、平和でないのならば、世界が平和であることもないのだと、本書が私に教えてくれます。

苦しみに満ちた人生と向き合い、平和のために生きてほしいというティク・ナット・ハン師のメッセージが、やさしい言葉で綴られている一冊です。

【分類番号 180-316】


(業務嘱託 加藤 淨恵)

※『名古屋御坊』2020年7月号 掲載

『おおきな木』

シェル・シルヴァスタイン  作・絵 / 本田錦一郎  訳(篠崎書林)

私が幼少期を過ごした実家には、田舎寺の例に漏れず多くの木々が植えられていた。四季折々に変化する木々に包まれて、昆虫を捕まえたり、ドングリを拾い集めたり、ロープをかけてブランコをしたり、木登りをしたことを思い出す。

本書は、一本のりんご木と一人の少年が織りなす物語である。りんごの木は、少年が求めるものを惜しみなく与え続ける。しかし少年との関係は、少年の成長とともに少しずつ変化していく。

訳者の本田氏は、あとがきの中で「与えることは、あふれるような生命の充実を意味しているのであって、犠牲的喪失を意味しなかった」と述べている。じっと一処に根を張って少年を待ち続けるりんごの木が、その胸に抱いた思いとは何か。

本書は、大人がいつの間にかどこかへ置き忘れた懐かしい感覚を思い起こさせると同時に、縁起に随って間柄を生きる私たちにとって「うれしいこと」とは何なのかを問いかける。

なお、今回紹介した教化センター所蔵の本田氏による訳本は絶版となっており、現在では村上春樹氏による新たな訳本(あすなろ書房)が出版されている。興味のある方は読み比べ、訳者による味わいの違いも体感してほしい。

【分類番号 726-22】


(研究員 大河内 真慈)

※『名古屋御坊』2020年5月号 掲載

『死にゆく人の心に寄りそう 医療と宗教の間のケア』

玉置妙憂  編(光文社新書)

私たちは、医療とは病気を治すものであり、宗教は無関係だと思っていないだろうか。看護師・ケアマネジャーであり、真言宗僧侶でもある著者の玉置氏は、宗教的要素が患者にもたらす心の拠り所の重要性を、自身が経験した様々な事例を通して指摘する。

例えば、アルコール依存症の患者には、薬による治療と同時に「仏様もご先祖様も含めたあらゆるものが、自分とともにある」と感じる仏教的な観点が必要だという。それが患者自身の治療に向き合う力、ひいては生きる力に繋がり、そう感じられたとき「私たちは一人であっても、孤独ではない」と玉置氏は語る。

「一人であっても、孤独ではない」という言葉を真宗に置き換えると、「一人居て喜ばは二人と思うべし、二人居て喜ばは三人と思うべし、その一人は親鸞なり」が当てはまるのではないかと思う。それは、親鸞聖人とともに念仏申す仲間、御同朋・御同行として人生を生きることであるといえよう。

本書を通して、私自身、「あらゆるものが、自分とともにある」ことを感じて生きていくことの大切さと難しさを考えさせられるのである。

【分類番号 498-34】


(業務嘱託 高木 祐紀)

※『名古屋御坊』2020年4月号 掲載

『A級戦犯の遺言 教誨師・花山信勝が聞いたお念仏』

青木馨  編(法藏館)

あなたは死刑制度についてどう思われますか?犯した罪の大きさに応じた罰を求める心情を抱くかもしれませんが、私たちは「殺」を通じてしか、目前にある問題を解決することはできないのでしょうか。

「私ノ死刑ニヨリテ責任ハ果タサレズ全ク相スマヌ」

これは、アジア太平洋戦争の敗戦後にA級戦犯として死刑に処された東条英機の遺言です。彼ら戦犯の遺品などは、巣鴨プリズンで教誨にあたった花山信勝(当時:東京大学助教授)に託されました。本書は、花山の講演録や面会記録など、初公開資料を用いながら、刑務所内での会話から垣間見られる彼らの宗教性へ迫ろうとするものです。

神道家だった東条は逮捕後、仏教、とりわけ真宗に傾倒したそうです。しかし、遺言で言及した「責任」とは、戦争を懺悔した言葉なのか。それとも敗戦した現実を悔やむものなのか。「天皇陛下万歳」「大日本帝国万歳」と三唱し絞首台を登った彼らの「遺言」を通じて、戦争責任とは何かについて考えてみてはいかがでしょうか。

【分類番号 S7-576】


(研究員 新野 和暢)

※『名古屋御坊』2020年2月号 掲載

『現代思想としての清沢満之』

安冨信哉  著(法藏館)

安冨信哉先生の逝去は、私にとって、師の影をさらに大きなものにした。私は、大学院在学中に師のもとで学んだ。師は大谷大学を退職後、真宗大谷派教学研究所所長を務め、2017年に亡くなった。

師は、清沢満之の著作に対して≪規範的な≫読解を貫こうとしておられた。依り処を求める自らを、清沢の言葉に重ねるのだ。

清沢の思想に対しては、「社会性が欠如している」との批判がよくある。それにいかに応答するのかは、本書に現れる師の思索の背景の一つである。師は「私は清沢をどう創造的に読んでいくかに、むしろ懸けてみたい」と言った。最晩年の若さ漲る言葉である。

私が師に惹かれるのは、清沢の思索に対する姿勢だ。前に生まれし清沢を、生涯をかけて訪ね続けた。その事実だけでも師の凄味である。

本書は、師の三回忌を記念して出版された。私にとって、師の思索の足跡を感じる大切な書である。なお、本書の最後を飾るのは、名古屋別院「信道講座」での講演録「今、清沢満之に憶う-生誕150年にあたって」であり、≪御坊さま≫とも縁が深い一冊と言えるだろう。

【分類番号 S1-463】


(業務嘱託 川口  淳)

※『名古屋御坊』2019年12月号 掲載

『蓮如上人遺文』

稲葉昌丸  編(法藏館)

教化センターの書庫には20,000冊を超える蔵書が収められている。書庫に入り、耳をすませば、借り手を待ちつつ肩を寄せ合う様々な装丁の背表紙から、新旧入り乱れての信心談義が聴こえてきそうだ。

日頃は、ついつい最新刊ばかりに気をとられがちだが、最近ある先生に勧められ、昭和23年に再版された本書を手にした。戦後の物資無き時代、藁半紙のような紙に印字がされており、セピア色に変色した1頁1頁に、新刊にはない歴史と風格を感じるのである。このような故き本を手にし、新しきを知った時の喜びは格別である。

本書には、蓮如上人の著作とされる『正信偈注釋』『正信偈大意』『諸文集』『和歌集』が収められている。特に感銘を受けたのは、日頃拝読している『五帖御文』に加え、『帖外御文』と呼ばれるものまで含めた、全266通を制作期順に類似した御文を綴った『諸文集』である。普段いただく『御文』の味わいとは全く違った一面に触れることで「寂々とした」本願寺を再興された上人の御苦労が伝わってくるのである。

上人が、とも同行とかしずかれた信心の課題が、故きを温ねるなかに新たな得知となる。

【分類番号 S4-5】


(主幹 荒山  淳)

※『名古屋御坊』2019年11月号 掲載

『新明解  故事ことわざ辞典』

三省堂編修所  編(三省堂)

本書は、日本で用いられている故事・ことわざを集めた辞典である。その性質上、故事・ことわざの意味を知るために手に取る人がほとんどだろう。

しかし私は、目的がなくとも本書を手に取って見てほしいと思う。きっと、約7,300という膨大な量の項目が掲載されていることに驚き、興味が湧いてくるはずだ。

面白いのは、適当に頁を開いて眺めたり、索引の単語から調べたりしていると、仏教に関する故事・ことわざと出あうことが少なくないということだ。故事・ことわざは中国の出典に基づく語句も多いため、仏教や経典に由来するものがあることも当然なのだが、例えば「煩悩なければ菩提なし」など、思いがけずハッとさせられる言葉との出あいがある。

知っていても意味が曖昧であったり、まるで聞いたことのない故事・ことわざとの出あいは、本書を開く醍醐味と言っても過言ではないだろう。

【分類番号 813-32】


(業務嘱託 田島  晶)

※『名古屋御坊』2019年10月号 掲載

『日本葬制史』

勝田 勝  編(吉川弘文館)

人間が生物である以上、死は避けられない。そして、人間はその死に対して葬送という儀礼を生み出してきた。

本書は「葬送儀礼」について、6人の分担執筆により、日本での変遷を俯瞰するものである。しかし、単なる概説書に留まることなく専門的な研究成果を踏まえ、原始社会・古代・中世・近世・近現代の葬送と墓制の歴史が述べられており、読み応えは十分過ぎるほどである。

特に「遺体の処理を誰がどう行ってきたのか」という問題。古代では一般的に家族以外は葬儀を手伝わなかったが、それがいつ頃から互助組織が関わり始めたのか、また葬送の専門職はどのようにして誕生してきたのか、を論じた箇所は非常に興味深い。

残念なのは、宗教者や教団の動きにそれほど紙面が割かれていないことであるが、それでも土葬と火葬の関係、葬儀の中心的儀礼の変化、さらに墓や墓地をめぐる諸問題などが網羅されており、巻末索引から事典のように活用することもできる一冊である。

【分類番号 385-17】


(研究員 小島  智)

※『名古屋御坊』2019年9月号 掲載

『親鸞と清沢満之  真宗教学における覚醒の考究』

伊東 恵深  著(春秋社)

人間は宗教に何を求めているのだろうか。

私自身が思い当たるのは、病や死、そして社会における諸問題など、自分の力ではどうにもならない苦しみを抱える自身の「救済」である。しかし、その「救済」が分からず、途方に暮れる現実が存在する。

本書はそのような私の疑問に「覚醒」(目覚め)という視座をもって応えてくれる。「覚醒」という言葉だけを聞けば、自身とは遠く離れた一つの境地のようにも思える。しかしその一点を外して「救済」を考えるならば、現実の苦から逃避するために、自身の都合に合わせて仏教を利用することになりかねない。

真宗の教えによって救われていくことを、その生涯をもって私たちに示してくださった親鸞聖人と清沢満之。改めて考えてみれば、この二人の先達は逃避のためではなく、私たち一人ひとりの「覚醒」を促すために、ご自身が出あってきたものを言葉で表現してこられた。それは、お二人が依り処とした弥陀の本願(如来の呼びかけ)の内容ではないだろうか。

このように、本書は私たち一人ひとりにおける「救済」の内実である「覚醒」について、親鸞聖人と清沢満之の思想をもとに明らかにしていく。お二人の著作は難解で量もあるため、一人では道に迷うこともあるだろう。その道程の指針として、本書をおすすめしたい。

【分類番号 S1-424】


(業務嘱託 飯田 真宏)

※『名古屋御坊』2019年8月号 掲載

『わかってたまるか! ウチらの言い分』

聞き手/サガエさん イラスト/100%ORANGE(東本願寺出版)

人生において、誰でも悩みを抱えた経験があるだろう。
その悩みは、外から見れば「そんなことで悩むの?」と思えるような些細なものでも、本人にとっては解決しがたい深刻な問題であることも多い。

本書では、思春期の青少年たちの悩みが赤裸々に紹介されている。その多くは友人や親との人間関係や自分自身についての悩みだが、私はそれらに自分が経験してきた悩みとの共通点を感じ、懐かしさのようなものを覚えた。

自分がどのように悩みと向き合い、解決していったのかは定かではない。ただはっきりと言えることは、私一人で解決した悩みは一つもないということだ。たとえ自分の殻に閉じこもっていても、そこに手を差し伸べてくれる存在が必ずあるということを、本書の聞き手「サガエさん」は教えてくれる。

自らが悩んだ経験を通して、相手の心を聞いていく。この行為は相手を助けるということだけではなく、自分もまた助けられた存在だということを知らされる。本書は、読み手に決して「他人の悩みだから」と片付けることをさせない一冊である。

【分類番号 146-110】


(業務嘱託 二村 和敬)

※『名古屋御坊』2019年7月号 掲載

『「みんなの学校」が教えてくれたこと  学び合いと育ち合いを見届けた3290日』

木村 泰子  著(小学館)

本書に登場する大空小学校は、2006年に創立した公立学校だ。この学校の初代校長である木村泰子さんが「みんなでつくるみんなの学校」を合い言葉に「すべての子どもの学習権を保障する」という理念のもとに取り組んだ日々の出来事が綴られている。

この学校、私が思い浮かべる公立学校とは少し違う。例えば、授業はいつでも誰にでも公開されている。教員や教育委員会だけではなく、児童、保護者、用務員、地域住民、さらには、子どもの未来に思いを寄せるすべての人々、みんなで学校をつくっているのである。

だから他の学校なら通えなくなってしまうような子も、この学校から排除されることはない。担任が「学級王国」をつくり問題を抱え込むのではなく、みんなで問題を考える。様々な事情を抱える子も、担任だけで対処するのではなく、子どもも大人もみんなで考え、みんなで居場所をつくる。問題を抱えた子を変えるのではなく、その子の周りが少し変われば、その子も変われる。

読み進めていくうちに「この学校、本当に公立学校なの?」という問いが湧く。しかし木村さんは「パブリック(公立)の学校であることを、多くの人が誤解している」と指摘し「公立だからこそできる」という。ただし、開くことが目的なのではなく、開くことはあくまでも手段。「すべての子どもの学ぶ権利を保障する」ために開かねばならないいのだ。

学校を「お寺」に、校長を「住職」に置き換えてみる。お寺を預かる者として、大いに触発され、日頃の自身の在り方が問い返される。

【分類番号 376-32】


(職員 蓮容  健)

※『名古屋御坊』2019年6月号 掲載

『お寺は誰のものか』

藤場 俊基  著(サンガ伝道叢書)

本書は、著者が預かるお寺の子ども会におけるさまざまな出来事を基に語られた講演録である。

ある日、お勤めの後の自由時間で本堂の障子が破れていたことが発覚する。著者は、物を壊して知らん顔をしている子どもたちを叱るのではなく「お寺は誰のものか」と問いかける。

そして、お寺の成り立ちや、信國淳氏の著書『いのちは誰のものか』を引き合いに「誰が作ったとか、誰の所有物なのかということで決まるのではなく、そこを大切にしようとする人、そしてそこを必要とする人のもの」と語りかけながら、著者自身も「お寺は誰のものか」ということを確かめなおしていく。

お寺では、受付、お斎、本堂の準備など、多くの御門徒に支えられて法要がなされている。しかし私自身「自坊は〇〇寺です」と、お寺を自らの所有物であるかのように口にしてしまう現実がある。

本書と出あい「私にとってのお寺とは」ということを確かめなおすきっかけをいただいた。

【分類番号 S04-601】


(職員 林  博行)

※『名古屋御坊』2019年5月号 掲載

『夕凪の街  桜の国』

こうの史代  著(双葉社)

本書は、一連の時系列として繋がる二つの物語で構成された漫画作品である。

昭和30年の広島を舞台にした「夕凪の街」は、主人公・皆実の被爆体験を中心軸に、原爆から生き延びた人々の心理を描く。自らを含む町の人々を「不自然だ」と感じながら生きてきた皆実は、やがて原爆症と思われる症状で病床に伏し、亡くなってしまう。

その数十年後の東京を舞台にした「桜の国」では、皆実の姪にあたる七波を中心とした人間模様が描かれる。身近な人々の病や死に直面するたびに原爆の影がちらつき、複雑な思いに駆られる七波。そこからは、皆実の被爆体験と死が、周囲の人々の心に影を落としている様子が窺える。

本書で描かれた二つの物語そのものは、原爆投下という史実を基に創造された虚構(フィクション)である。しかし、戦争や原爆の惨禍を実際に体験した方が少なくなる中、これからの時代に語り継いでいくための手段のひとつであることは間違いないだろう。

原爆がもたらした傷痕、そして今も現実の世界に残る核の問題を考える一助として、お薦めしたい一冊である。

【分類番号 726-261】


(職員 寺西  賢静)

※『名古屋御坊』2019年4月号 掲載

『一万年の旅路  ネイティヴ・アメリカンの口承史』

ポーラ・アンダーウッド  著/星川 淳  訳(翔泳社)

皆さんは、北アメリカにあるネイティヴ・アメリカン六部族による独立国家、イロコイ連邦をご存知でしょうか?本書は、その中の一部族であるイロコイ族に伝わる口承史を、その系譜を受け継ぐ著者が書き記したものです。

彼らは一万年以上も前、長らく住んでいたアジアの地を旅立ち、ベーリング海峡を越え、北アメリカ大陸に渡り、やがて五大湖のほとりに永住の地を見つけます。

著者は「これがイロコイの歴史なのか、そこへ加わった一支族の歴史なのか、私にはわかりません。けれどもこれが、数えきれぬ世代を通じて、心にとどめるということをけっして忘れなかった私の祖先の歴史であることは確かです」と語りながら、自身が受け継いだ一族の歴史や出来事を細かく丁寧に描写していきます。

この物語は、遠い過去の先人たちの苦難や培った知恵、そして現在を生きる私たちに彼らが何を残したのかを伝えてくれます。一万年に渡る歴史が現在まで語り継がれてきた事実にどのような願いが込められているのか、ぜひ手に取ってご覧ください。

【分類番号 388-14】


(業務嘱託 加藤  淨恵)

※『名古屋御坊』2019年2月号 掲載


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