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やさしい聖典道しるべ 仲野良俊

第12回 仏説無量寿経 〈巻上〉

言葉で苦しみ 言葉で目覚める ~ 永遠のともしび(3)

無量寿経に説かれてあります四十八願について親鸞聖人は、その中から大切な願を八つ選んでおいでになります。そこで先ず第十一願を選ばれていますが、これは前回お話しました通り、人間完成にはいろいろあるが、結局仏の世界が与えられることが最高の完成であり、そこに始めて人間が本当の安心と満足を得ることが出来るのだということを明らかにさている願であります。

その次に選ばれています第十二願、光明無量の願といわれています。更に第十三願、これは寿命無量の願と呼ばれていますが、共に仏自身を成就(完成)しようという願であります。しかし決して仏自身のためでありません。われ衆生の光とならん、われ衆生のいのちとならん、ということであり、人間に仏を実現させるために、仏の全体をあげて衆生が仏を実現する場所となろう、こういう心をあらわされた願でありますから、仏の大悲が示されている願であると親鸞聖人は頂いていられるのであります。

その次に重要なのは第十七願であります。これは名号を誓われた願であると聖人は頂いておられますが、名号というのはいうまでもなく南無阿弥陀仏のこと、これは人間の上に仏を実現するには目覚めさせる以外にはありませんが、その具体的方法として名(ことば)を選ばれたということには深い意義があるのでした。

考えてみますと人間の世界にあるものはどんなものでも名があります。またどういう出来事でもことばであらわされます。ことばになっていないものは存在しないものだといってよいほど人間世界はことばによってつくられています。同時に人間はことばを執着してことばによって迷い、ことばによって苦しみます。従ってそういう私たちを目覚めさせるもの、やはりことばによる以外にないのでありますが、南無阿弥陀仏と呼びかけて、私たちをことばを超えた仏の世界に呼びさます、ここに第十七願の深いお心があるのであります。

次に続いて第十八願、第十九願、第二十願と並んでいますこの三願は、同じ問題を段階的に取り上げてあるもので、しかも私たちに直接深い関係がありますから、この願をまとめて次回にお話したいと思います。それで最後に第二十二願についてお話しすることにしましょう。

この願は還相回向の願と呼んでいられまして、第十一願と深い関係があると見ていられます。第十一願は仏の世界に向かって無限に進んでいく人間の完成の姿をうち出されたものでありますが、この願は逆に人間の世間にかえる、つまり迷いの世界を捨てずにそこに身をおいて、そこで仏を実現する。こういう姿をうち出されたものであります。しかしかえるといっても元々になるのではありません。浄土を見出すことによって浄土の心が与えられる。その心こそ迷いの世界に安んじてかえれる心であります。

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