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やさしい聖典道しるべ 仲野良俊

第14回 仏説無量寿経 〈巻上〉

おとぎ話の深い訴え まず国土を求めて ~ 永遠のともしび(5)

四十八願についてずっと述べて参りましたが、これは結局、凡ゆる人間を仏として完成せしめようというのが根本の目的でありますが、同時にそのために先ず、いかなる人間もそこに生まれる(見つける)ことによって仏たらしめられるような国土を求められたのであります。 

経文によりますと、このような人間にとって一番大切な問題が、法蔵菩薩の物語という形で示されています。そのために、理性を最高のもののように考え、理論にとらわれている人には、この物語は何か架空の、いわゆるおとぎ話のようにしか考えられないだろうと思います。しかしふりかえってもっと深く考えるならば、かえって理論は人間の一番浅い部分であり一番深い部分は本能ではないでしょうか。理性に訴えるものは理論であり理論にあらわせないもっと深いものを、本能に訴えるのが物語であり、従ってこの物語は、どんな愚かな人でもうなずくことが出来、また、いかに賢い人もうなずかざるをえないものでしょう。

さて物語には法蔵という求道者(これは阿弥陀仏が一介の求道者となられたということで、真実が人間に具体化するために、人間まで下って人間を掘り下げた、いわば大悲のあらわれであります。)が道を求める心を起こし、国土を求めて世自在王仏のところを訪問します。そしてあらゆる国土(人間の世界や仏の世界)そのいろいろの状態や成り立ちまで詳しくまで詳しく教えてほしいと国土についての説法を求められ、その願いに応じて世自在王仏は余すところなくこれを示されたとあらわされております。

大体、法蔵菩薩はなぜ国土を求めていられるのでしょうか。このことについて法蔵菩薩が初めて世自在王仏を訪問され、仏の徳を讃嘆されると共に、自分の願いをあらわしてある言葉が偈文(嘆仏偈)に出ております。それを見ますと、大体願いが三段になっているようであります。

先ず第一に自分は仏になりたい、それもいい加減な仏でなく一番立派な仏になりたい、こういう願いを表明していられます。次に一切の生きているもの、それもただ生きているのではなく生きていることにおそれをいだき、不安にかりたてられているもの、そういうものに本当に安らかさ与えたい、これが第二の願いであります。これはいうまでもなく、自分も本当に助かり、また一切を助けていく、いわゆる自利利他円満を願われたのでありますが、私たちの人生はこれが矛盾しております。つまり相手を立てれば自分が立たず、自分を立てれば相手が立たず、このために次に願が出てくるのであります。それは若し自分が仏になることが出来たならば先ず国土を見つけたい、人間をもっと深く掘り下げて本当に自分も助かり他も助かる、いわゆる自利利他円満の浄土を実現したいという、浄土の願であります。だからこの願の表明が一応終えると、人間の問題を根本から答えている浄土の姿が浮き彫りになってあらわされてきます。

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