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  5. 第17回 仏説無量寿経 〈巻下〉

やさしい聖典道しるべ 仲野良俊

第17回 仏説無量寿経 〈巻下〉

大経下巻は人間の巻 ~ 永遠のともしび(8)

無量寿経は上巻と下巻とに分かれていまして、上巻は仏の巻、下巻は人間の巻と考えられます。上巻についてはあらましお話しましたから、今度は下巻についてお話しなければならないことになりましたが、下巻はいきなり人間の救いから始まっています。前にも申しましたように、上巻には四十八の形で人間の救われる原理が示してありましたが、今度はその中から特に大切な三つの願(十一、十七、十八)が、私たち人間を完成することをあらわしてあります。

先ず最初には正定聚ということであります。これは仏になるべく定まったものということですが、本願に目ざめることによって救われた人のことでしょう。しかし仏になるべく定まったということは、自然にそうなっていくというのではく、どんなことに出あっても、それが手掛かりとなって仏を実現してく人のことでありまして、生活全体が仏道になった姿であります。

よく、私は永い間苦労したという人がありますが、しかし結局は自分がよくなるため、つまり自分のために苦労したのではないでしょうか。そんなことは自慢にもなりませんし、また自分が都合よくなろうとしたことが裏目になったり、長つづきしなかったりして、結局は満足のないさびしい状況に終わってしまうでしょう。人間が本当に生きがいを感ずるのは、得をしたり楽したりすることではなくて、自分の都合を投げ出して、自分よりももっと大きなものに生きていくところにあると教えておられます。つまり真理と人類に生きる人間こそ、本当に幸せな生き生きとした人間であるということであります。

しかしそういう風には中々なれないといわれるでしょう。まったくその通りでありますが、しかし念仏によって本願に目ざめるならば、おのずからそうさせられるのです。それを本願力といわれますが、先ず本願力が人間を動かし人間を完成する点をここで明らかにされ、ついでそれを成立たせる原理が示されているのであります。

私たちに直接はたらきかけ私たちを目ざめさせるものは、いうまでもなく念仏であります。これは阿弥陀仏のみ名でありますが、み名によって如来のはたらきがあらわされているのが名号でありましょう。ここではこのはたらきを諸仏がほめたたえていられることが示されていますが、これは阿弥陀仏の本願によって諸仏もまた仏になられことをあらわすに違いありません。念仏のたしかさを示すものとして受けとるべきでありましょう。

この念仏によって私たちに開かれるものは信心であります。親鸞聖人は念仏によって開かれる信心は人間の心でなく、人間の上に開かれた仏の心だと示していられます。仏の心だから人間の心を無限に破って仏を実現していけるのでしょう。仏が人間をおしすすめて、たしかな仏へ歩みを実現させる道、人間によって仏へでなく、仏によって仏へ、これが真宗であり、このことが下巻の初めに示されているのであります。

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