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第19回 仏説無量寿経 〈巻下〉

第19回 仏説無量寿経 〈巻下〉

人間の痛ましさを明かす ~ 永遠のともしび(10)

無量寿経の下巻は私たちに浄土を見出し、それに生きる道が教えられていますが、それには先ず人間の迷いがはっきりと自覚されなければなりません。そこで人間の迷いと苦しみの姿が仏の眼を通して非常にはっきりと示されています。これは二段階に分かれていまして、前は三毒段、後は五悪段と呼ばれていますが、三毒というのは三つの代表的な煩悩のことであります。

煩悩というのは、私たちの意識に付随しておこる心理でありますが、これが私たちを騒がしくさせたり、濁らせたり悩ませたりしますので煩悩と呼ばれています。考えてみると人間は自分のおこした心理に自分でわずらわされ、悩まされているという、妙な生きものだと言えましょう。この煩悩にもいろいろあって、八万四千の煩悩などといわれていますから複雑であり多様であり、広範囲にわたっていますが、その中でも特に貪欲、瞋恚、愚痴の三つが三毒といわれ、これほど人間を傷つけたり、そこねたりするものはないと教えられているのであります。

そこで先ず貪欲がとりあげられていますが、これは一口でいえばむさぼりの心でありましょう。欲望によってものを言ったり行動したりする人を「汚い人」といいますが、純粋さを失わせ人間をよごすのが貪欲であります。あれが手に入れば満足できるだろう、それさえ手に入れば喜べるだろと、その欲望に引きずり回され、手に入ればそれが失われないかと心配して、全く心の安らかさのないものも貪欲のすがたであります。

さて次に瞋恚でありますが、これも人間をとらえて離さぬ強力な煩悩であります。私たちは一寸誰かから気に入らぬことを言われたり、されたりすると、むかっ腹を立てますが、それが消えないと恨みになって残ります。そして更にさまざまなことがもつれてくると、思い出しただけでもじっとしておれないような胸のつかえを覚えるようになり、最後は自分が破滅してやろうかというような心にまで追い込まれて参ります。いかりは破壊力の強いもので、何もかも叩き壊してしまうような結果を招き、心ははげしい苦しみにさいなまれるものであります。だから特に三毒にかぞえられるのでありましょう。

次の愚痴は無明ともいわれていますが、本当のことがわからない、道理にくらいということでありまして、これは煩悩のもとだともいわれます。
たとえばむさぼりやいかりが最後に招く結果を知らないために、それから遠ざかろうとする心がなく、何の気になしに煩悩に身をまかせているのでしょう。大事なこともいろいりろありますが、先ず大事なことは因果の道理、善をなせば善の果報(むくい)があらわれ、悪をなせば悪の果報があらわれるということであります。たとえば仏法を求めることによって本当の幸せが与えられることが信じられないで、道を求めることができなくて、思いのままに身をもちくずしていくというのも、人間のいたましい迷いの姿でしょう。

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