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やさしい聖典道しるべ 仲野良俊

第2回 お文

六字のいわれを平易に

御文は本願寺第八代目の蓮如上人が、諸国の門徒に対して、特に信仰の問題を中心に、ねんごろに教え導かれるためのお手紙でありますが、やさしい文章であらわされていますために、真宗門徒の間で最も親まれているお聖教になっているといえましょう。この数々のお手紙を集められた人は、第九代の実如上人であり、集められた多くの御文を精密に他の御文とくらべて、或は削り、或いは補ったりして五帖八十通にまとめられたのは、実如上人のお子様に当たる円如上人だといわれています。その中、初めの四帖は文明三年(一四七一)から明応七年(一四九八)の間にお書きになった五十八通が、年月順に収められ、後の第五帖には年次不明の二十二通が収められています。

内容については、いろいろにいわれていますが特に蓮如上人が御文を通してあらわそうとされたお心をうかがいますと、だいたい三つの面が考えられます。一つは宗祖聖人によって明らかにされた真宗の教えを、やさしい言葉であらわすことによって、どんな無学無知の人も、お念仏のいわれがうなづけるようにということであります。そのためにあまり理窟めいたことは言われずまたあまり複雑なことはさけて、分りやすく、こうだから、こういうふうに心得よ、という形で示されております。このために何でも自由自由という近頃の人には、何かおしつけのように感じ、命令されているように誤解する人もありましょうが実はこういう形が大変親切なのであります。

二つには邪を破り正を顕わそうというお心であります。つまり上人の時代には、口称づのりとか、不拝秘事など、人間の努力をふりかざしたり、人間の考えをふりまわすような邪しまな法義がだいぶはびこっていました。しかしそういうものがはびこるほど盛んだったのでしょう。そしてその降盛は、ひとえに上人の大変なお骨折のたまものであったのですが、折角盛んになっても、御開山のお心にたがうようでは大変ですから、諸国の邪義についてはきびしくその間違いを指摘していましめられてあります。結局信心を忘れるところから起るのでありますから、信心ということを繰返して勧められたのでありましょう。

第三に、信心はかなめでありますが、今度はまた、その信心を振りまわして、人間の世界をけとばすような、世間生活を無視するような振舞いがありました。これについても上人は非常に心を痛められたに違いありません。念仏者が世間でいろいろの摩擦をおこす。それについて御文はところどころに、その心得違いをいましめられて、掟という形にまでととのえて念仏者のあり方を示していられるのであります。

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