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やさしい聖典道しるべ 仲野良俊

第34回 愚禿鈔

(2)多くの道の勝道

さて愚禿鈔の本文に入ってみますと、先ず最初に浄土真宗の教えこそは仏教中の最高のものであることを、他の教えと比べて明らかに示されております。仏教といっても広いものでありまして、先ず大きく大乗(だいじょう)と、小乗(しょうじょう)の教えに分かれております。小乗の教えはさとりを得るというだけの教え、大乗の教えは仏になる教えであります。また小乗の教えは自分だけが助かっていく教え、それに対して大乗の教えはすべての人々と共に助かるという、自分も助かり他人も助けていくという教えであります。

だから大乗の教えはすぐれているのでありますが、その大乗の教えにも頓教(とんぎょう、すぐに仏になる教え)と漸教(ぜんぎょう、永い時間を要する教え)の二つがあって、頓教は直ちに仏を実現することのできる教え、それに対して漸教は永い時間をつみ重ねてようやく仏を実現できる教えであると示されています。これは若しかすると希望だけであって実現不可能かもしれません。

頓教といわれるものにも二つの教えがあり、一つは難行道(なんぎょうどう)といわれる聖道門(しょうどうもん)と、二つには易行道(いぎょうどう)といわれる浄土門(じょうどもん)でありますが、聖道門というのは人間の能力で仏になっていく道、だから難行道といわれるのでありましょう。難行道というと、一寸考えると困難な道という風に受け取られますが、そうではなくて不可能と考えた方がよいのではないでしょうか。何故かというと人間にはいろいろの力もありますが、それと同時にその力をさまたげる力もあるからです。これは是非ともやらなければならないと思う心は、一生懸命にやって何になるとも思います。心をしずめようとすればその下から、その心もおこって来ます。これは聖人が比叡で痛感されたことではないでしょうか。

従って難行道というのは、一見出来そうでやってみると出来ない道なのでありましょう。これは具体的にどういう教えかということを真言宗、天台宗、華厳宗と名を挙げておられるのであります。それに対して浄土の教えは易行道であるといわれます。易行ということばはやさしいということですが、ただ単にやさしいというだけでなく、自然の道、おのづからそうなっていく道、それは何故かというと人間の力で仏になるのではなく、仏の力で仏になる道、他力だからであります。

聖人は浄土真宗の救いを他の教えと区別して横超(おうちょう)の道であると示されています。私たちは迷いによって苦しみ、苦しみによって更にまようということをますます深めていますが、この状態を何としても越えなければなりません。しかし私たちの努力は却って超えさせないようなさまたげをその中に持っています。他の教えは出来るとの見込みに立っていますが、それは人間を知らぬからでしょう。仏に帰すれば仏の力が私たちを超えさせるのです。仏の力を横(全く思いもよらず)と言い、他力があらわされているのであります。

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