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やさしい聖典道しるべ 仲野良俊

第35回 愚禿鈔

(3)選択とは自己の掘り下げ

愚禿鈔の中にはいろいろな大事なことがありますが、その中から特に大切と思われるものを味わせて頂きますと、先ず選択(せんじゃく)ということであります。この選択ということについて聖人は、無量寿経と観無量寿経には選択ということがあるといっていられるのであります。

選択ということを特に大切にされた方は、聖人のお師匠であった法然上人で、そのお書きになった一番大事な本の名を「選択本願念仏集」といいます。そしてこの中には選択ということを本願によって詳しく示されているのであります。
法然上人が本願に目ざめられたのは善導大師の教えによってであるといわれていますが、直接お逢いになって教えを受けられたのではありません。善導大師の書物によられたものでありますが、中でも観無量寿経について解釈されましたもの、その中にお念仏が私たちのすくわれるたった一つの道であると説かれている一段があります。

ここで善導大師は、何故お念仏が私たちの救われる唯一の道かといえば、お念仏は私たちがこれにしようといって選ぶ道ではない、仏によって選らばれた道である。だからお念仏することが仏のお心にかなうたった一つの道なのだと教えていられるのであります。この言葉に法然上人は大きな感動を受けられたともいわれています。だから上人の書物には、この選択ということが大切にとらえられているのでありましょう。

選択というのはえらぶということばですが、一切のものを救おうという仏のお心、それはどんなものもえらばれないということでありましょう。だから親鸞聖人は歎異抄で「老少善悪の人をえらばれず」といっておられます。どんな人間もえらばない、そのために仏はご自身をえらばれたのであります。自分をえらぶとは自分をどこまでも掘り下げること、それが選択本願ということでありましょう。このために法蔵菩薩が本願をおこし、浄土をえらばれたことを無量寿経の中に示されているのであります。

法蔵菩薩が本願をおこし浄土を選ばれるためには、世自在王仏の教えを受けられるということがあり、従って世自在王仏にも選択があって法蔵菩薩に浄土を発見せしめ、その間違いのないことを証明されたのであります。そして更にお釈迦さまは、身をもってこの本願を受け、これを教えとして弥勒菩薩に将来を託されました。これらが無量寿経にある選択であります。

観無量寿経には韋提希夫人が、のがれようもない人間苦に遭い、牢獄の中に釈尊の説法を頂き、本願の浄土を求め、浄土に救われる人間となりました。これが韋提希の選択でありますが、韋提希をして浄土を求めるようにされたのはお釈迦さまであり、ここではお念仏の教えを阿難に託していられますが、ここにも釈尊の選択があり、これが観無量寿経の選択といわれるものであります。選択とは私たちに先がけて仏が道を開いていられるということでありましょう。

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