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やさしい聖典道しるべ 仲野良俊

第4回 正信偈

純粋信心の伝統の歌

正信偈は、私たちの先祖の時代から今にいたるまで、全国津々浦々浄土真宗の家々から、朝夕おつとめの声となって流れ出て、真宗教団の信仰を支えて来た大切な聖典であります。これはただ書物として伝えられたのでなく、人々の声を通して耳から耳へ、口から口へ、いうならば身体から身体へひびきながら伝ってまいりました。

これはいうまでもなく親鸞聖人のおつくりになったものでありますが、真宗を開かれた大切な根本聖典、教行信証の中の行の巻その終りに出ております。しかしそれは後のことで門徒の人々がおつとめをするためにというお心で単独におつくりになったのを後で教行信証の中に組み込まれたという風にみる人もあります。
聖人が正信偈をおつくりになった動機については、聖人自身らこう言っておられます。

「自分は釈尊のおことば(三部経)と、それを身に引受けて真実であることを証明して下さった印度・中国・日本の七人の高僧方の残された聖典を通して、はじめてそのおかげで自分の信心が確立した。だからその御恩にむくいるために自分の信心を明らかにする意味でこの正信偈をつくるのである。」正信偈と申していますが詳しくは念仏正信偈であります。

正信偈は七文字づつで一句、二句を一行といい、四句で一偈になっていますが、全部で三十偈、つまり六十行、百二十句が全体であります。そして最初の一行(二句)「帰命無量寿如来 南無不可思議光」が正信偈全体を貫く聖人の信心の告白であり、後の全部はその内容であります。

ところがこれが前半と後半に分れていまして、法蔵菩薩因位時から難中之難無過斯までの前半は釈尊のおことば、つまりお経によってつくられたものでありますから依経分と呼んでいます。印度西天之論家から唯可信斯高僧説までは後半になっていまして、これは印度・中国・日本にわたる七高僧によって著されたお聖教(論釈)にもとづいて、七高僧一人一人について偈文をつくっていますがこれを依釈分と呼んでおります。正信偈の内容は一貫して正信ということであります。およそどんな宗教でも信心ということを言わぬ宗教はありません。信心ということではじめて宗教になるのでありますが、しかしいま親鸞聖人が信の上にわざわざ正という字をつけて正信といわれるのは信ずるか信じないかというだけの問題ではありません。如何に信ずるか、どんな信じ方であるか、これが大きな問題であることを示していられるのであります。

ふつう信心というとそれが神であれ仏であれ人間の心で信ずるということになりますが、聖人の正信といわれるのは純粋信心ということでありましょう。しかし人間に純粋ということは絶対にあり得ません。従って純粋ということは却って人間の心が砕かれた心、これは南無阿弥陀仏に呼びかけられて南無と砕かれた心、この信心の伝統が七高僧であります。

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