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  5. 第43回 入出二門偈

やさしい聖典道しるべ 仲野良俊

第43回 入出二門偈

(2)如来の心受けて ~ 還相への展開(上)

入出(にゅうしゅつ)といわれるのは、入は往相回向(おうそうえこう)、出は還相回向、浄土から出て迷いの人間を目ぜめさせて浄土に向かわせる)であります。聖人は教行信証の最初に、浄土真宗ということをきわめて端的に、「謹んで浄土真宗を按ずるに二種の廻向あり、一つには往相、二つには還相なり」と、この二種廻向がとりもなおさず浄土真宗の内容であると明らかに示しておられます。
前回は入の往相回向について申しました。今度は出の還相回向について申さねばならぬのですが、これは今まで一般に余り語られておりません。
研究発表とか論文などでは時々聞いたり見かけたりするのですが、一般には誤解を招く危険が感ぜられるのか、余り語られぬようであります。しかしこれは真宗の二本柱の一つともいうべきもので大切なことなのですが、一体還相回向をどう頂いたらよいのでしょうか。

往相回向というのは前にも申しましたように、私たちの心が娑婆に向かってはたらき、迷いをつみ重ねてますます解決のない状態をつくり上げていますのが、その迷いに気づかされて、一転して浄土に向かって歩み出したことであります。還相回向はその反対で浄土に向かう心が一転して、浄土を背景にして娑婆に向かい、迷い煩っている人を目ざめさせて浄土に向かわせるはたらきであります。そういうはたらきを利他教化(りたきょうけ)といいますが、こういうことの出来る人は菩薩(ぼさつ)の中でも相当高い地位の方で、そういう菩薩の位を利他教化地(地は位)と申しております。そしてこの利他教化地というのが還相出来る資格であります。

こう考えますと、還相などはとても私たち凡夫にとって思いも及ばぬこと、だからそういうことを考えるのは、きわめて大それたことだということになるのでしょう。或いは浄土から娑婆の方へかえるのだから、これは死んでから後の話である。だから今は必要ないということにもなるのでしょう。しかし教行信証の証の巻に聖人が、先ず往相回向についてのべられ、次いで「二に還相廻向というのは」と並べて信心の結果として成り立つ利益をのべていられるのを見ますと、今の私たちには用事はないのだと、あっさり切り捨ててしまえないのであります。

さきに往相回向について私たちの心が浄土へ向かってはたらくようになるに先立って、私たちを目ざめさせ私たちの心を浄土へ向かわせるようにはたらいている如来の廻向があったと申しました。この如来の廻向は迷い煩っている私たちを目ざめさせようというはたらきであり、如来の世界から私たちの娑婆に向かってはたらかれるのでありますから、言いかえれば如来の還相と申せましょう。私たちの往相回向に先立つ如来の還相回向、具体的には南無阿弥陀仏の廻向でありますが、この廻向によって私たちに往相の廻向が成立つと、その私たちの往相廻向の心が如来の還相回向のお心を感じ、そのお心に動かされてくるのであります。

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