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  5. 第54回 入出二門偈

やさしい聖典道しるべ 仲野良俊

第54回 入出二門偈

(13)如来の心頂いて利他行

さて入出二門偈の曇鸞大師のところに入りますが、最初に大切なのは他利と利他の区別をつけられたことが出ています。これを親鸞聖人は大切にされて、教行信証では他利利他の深義、意味深い道理として示していられます。

こういう問題は何処から出て来るかと申しますと、先ず天親菩薩の五念門で、前の四つは自利、あとの一つは利他ということになっていました。これは大乗仏教で仏になるには、菩薩の修行をしなければならぬと教えられていますが、その菩薩の修行の内容が、自利に関する(自らが真理を明らかにすること、自分が助かること)と利他の面(その真理を迷った人々に与えること、他を助けること)に分かれていて、それを天親菩薩は五念門として示されたのであります。

ところがそれを受けられた曇鸞大師は、自利は人間に成り立つだろうけれども、利他は人間には成り立たぬといわれるのであります。たしかに利他の大事なことは分かります。自分さえ助かればよいというのは、本当に助かったことにはなっていないので、私たちは私たちの周囲に助からぬ人があったら、こちらが助かりません。こういうことは、話としては肯けるでしょう。しかしさて実際やろうとすると、とたんに矛盾して来ます。相手立てればこちらが立たず、こちら立てれば向こうが立たぬ、これが悲しいことですが人間の現実ではないでしょうか。

他利というのは他が利せられるということで、自分が得をすることによって他が得をすることは、時にはありましょう。しかし利他は他を利するということで、この場合は自分を投げ出さねばなりません。これは人間には出来ないこと、話としてはきれいなことですが、さて実行ということになると一歩も出られません。それで曇鸞大師は他利はあるが利他は無いといわれたのであります。こういうことは徹底的に凡夫としての自分を知られたことから出て来たに違いありません。

結局、利他は人間には無い、仏さまだけにあることだといわれるのであります。しかしこのことは、、私たちに利他は無くてもよいということではありません。本当は助かるということは、やはり利他の心を持つことでしょう。そうでないとエゴイズム、利他主義から逃げられません。菩薩のよろこびをあらわした言葉に、自愛を減らし他愛を生ずるが故に菩薩大いに歓喜するということがあります。これは利己主義から解放されたこと、他を愛するような広い心をもつことによって広い世界に出ることが出来たこと、それが大きな喜びであるといわれるのであります。

しかし私たちには残念ながらその力はありません。ここに曇鸞大師は如来の利他の心、それを頂くより他に道はないということ、利他は他力、言いかえれば如来の利他の心、これによって始めて成就するのであると教えられたのであります。利他は人間にはないということ、これを深義と親鸞聖人がいわれたのは人間を深く知られたということでありましょう。

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