(2) 尾張門徒の両堂再建への尽力
 
 尾張門徒は、名古屋御坊(別院)の御堂建築と修築・維持を全面的に請負う一方、本山両堂の再建・護持にもまた多大な貢献をしてきた。強大な経済力を誇った講組織と、その講が培った、一人ひとりにまで行き渡って 浸透した法義安心がそれを支えていた。名古屋の二日講・九日講を中心に、一村単位の村内講や、手次ぎ寺を中心にまとまった広域の講が縦横に存在した。講集会を催しては、法義の確認と、お取り持ちの勧めが繰り返しなされて来たのである。
 1895(明治28)年に成った現在の本山両堂への寄進について、知られるところでは御影堂の小屋組み(屋根)一式をはじめ、内陣後門北側柱、矢来柵内正面虹梁、外陣中ノ間西北側柱、広椽中ノ間大虹梁、阿弥陀堂外椽高欄擬宝珠と飾り金具、両堂内陣畳、余間・外陣畳表などがある。また、御影堂の棟梁は、名古屋御坊の普請を元禄創建時から担当してきた伊藤平左衛門(8代目守道)に初めて託された。名古屋市中村区水主町には御影堂小屋組みをはじめ、宗祖の御真影を安置する厨子と須弥檀などを製作した名古屋工作支場が設置された。このように、極めて重要な部分が尾張門徒に委ねられたことからは、尾張門徒の真宗本廟に対する帰依と懇念の深さを窺うに十分であろう。
 両堂の作事には何といっても厖大な金銭を要した。そのため、勧募が先行して法義相続が後回しとなる恐れが常につきまとった。門徒に対し、本山宗主は報謝と仏祖の加祐を仰ぐ心による懇志を励めと頼み、名利や勝他の寄進を戒めることに努めた。大口の寄進よりは、一人ひとりの懇念が見える形を期待したのである。法義の相続無くしての再建成就に危機感を抱いていたことの表れである。
 今回の両堂ご修復において、何よりも願われていることは宗祖のご教化にあずかる我が身の確認である。次回からは、過去の尾張門徒の両堂再建への懇念の一つひとつに学ぶこととしたい。
 
 大師堂(御影堂)柱虹梁寄付買入区別表柱の図 
 
      A 明治17年3月1日建(愛知県熱田組同行)
      B 明治17年4月13日(尾州同行中)
      C 明治17年3月17日納(尾州名古屋同行)
      D 明治17年7月7日建(愛知県名古屋同行)
      E 明治18年11月26日建(尾州同行中)
      F 明治18年11月17日建(尾州肝煎同行)
      G 明治18年11月22日建(名古屋同行)
      H 明治18年11月21日納(尾張国近藤友右衛門)
       I 明治20年6月7日納(尾張国海東郡有志中)  『名古屋別院史』通史編より
 
 
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