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| (3)尾張門徒と講 |
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| 二日講ならびに九日講関係記録(名古屋別院所蔵) |
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尾張門徒の本山経営支援は、尾張御坊の護持に併行してなされてきた。御坊配下の講組織を中心に、必要懇志が調達されたのであった。講の代表格である二日講は、天明8(1788)年の1回目の本廟罹災の際の再建から勧募を担い、また、恒常的にも本山上納を行ってきた。宗主による、助力を促す再建の御消息の内容も、本山使僧の御坊での披露以外に、寺院組合組織を経て伝達は諸講中に及んだ。講が懇志勧募の基盤を成したことは、募財が単なる集金に終わらない効果をもたらしてきた。すなわち、講は在家講・寺院講を問わず、法義相続を生命として営まれる質の門徒・僧侶の集会であった。講では、平素から講宛てに下付された法義安心(真宗信仰)を説く宗主御消息を繰返し拝読するなどして安心を相互確認しており、その平常活動の上に御坊・本廟の修復や再建への助力が依頼された。安心を離れた勧募が行われない下地は、こうして築かれてきた。
さらに、尾張御坊に連なる講には、富裕商人による有力な講があり、本山宗主にも直結して御用を務める役割りを果たしてきた。講頭(明治には商議員)と称された有力講の代表は、宗主に直に対面お目見えがかなう立場にあって、様々な御用に預かった。九日講における、俗人ながら格別に木仏を下付された人物の存在などは、篤信者というだけでは量れない役割りがあったことを示唆している。
一方には、「御門跡様」と宗主を生き仏のように崇拝した教団体質があり、かつてはそれが本廟護持の大きな力となっていたことは否めない。しかし、講が尾張八郡のすべてに拡がって縦横に組織され、門徒の安心の基層を支えていたことを評価すべきである。本廟再建などには、ややもすれば有力講の大寄進が目立つことがあるが、地域に根ざす講が底力を発揮して維持・修復・再建を支え続けてきた事実を知らねばならない。講は法義安心と一体であることを特徴としていた。講の崩壊・消滅は重大な課題を呈している。 |
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