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| (5)再建助力への乗如上人御影下付 |
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| 「乗如上人御影」 名古屋別院所蔵 |
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天明8(1788)年の初めての本山焼亡には、二十五日講が尾張門徒の浄財を募り、本廟再建への助力を果たした。
しかし、再建助力は金銭だけに止まりはしなかったと考えられる。それは、『名古屋東御坊記録控』に、「享和三癸亥(1803)年三月、乗如様御絵御下向遊ばされ、御回在遊ばされ候」の一文があることによる。本願寺一九世乗如上人の御影が本山から下り、御坊を含めた尾張一円に御回在(巡回)なされたというのである。
本廟罹災に遇われた乗如上人は、悲嘆の裡にも再建に掛かり、罹災年内には再建の大工棟梁を決め、図面作成を経て翌寛政元年(1789)年に起工式にあたる手斧始にこぎつけた。作事が開始された後、上人は大工職人が詰める作事小屋に毎夕姿を見せ、労苦をねぎらうとともに一席の法話を欠かさなかったという。ところが同4年、上人は49歳にして示寂なされた。後嗣の達如上人が12歳で作事を引き継ぎ、父乗如の悲願成就を掲げて土木の功を促した。結果、両堂竣工は寛政10(1798)年。その後も御影堂門作事が続き、それらが完成したのは享和元年(1801)年に及んでいた。12年に亘って作事を支えた諸国からの職人たちに対し、達如上人は父の法義相続、本廟護持の遺志が、いつまでも門徒の信心の灯火となるよう、生前の職人小屋での普段着(黒衣)の法話姿を絵師に描かせ、それを諸国に下付して後々までのことを依頼した。
そうして下付された乗如上人御影は、能登では「御崇敬」、越中では「御影様」、越後では「墨衣御影巡回」などと称されて、現在も巡回布教が続くもの、また昭和まで続いたものがあった。尾張では、「尾張国 愛知郡・海東郡・知多郡 門徒中」宛に下付された乗如上人黒衣御影が名古屋別院に伝えられる。門徒たちが大工、職人を京に派遣し、その賃金をも含めて労力寄進する再建助力があったことを思うべきである。また、そのことを通じて法義・本廟の相続の願いが、尾張にも伝えられ、培われてきたのであった。
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