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| (7)『御再建日記』にみる尾張 |
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| 東本願寺で発見された『御再建日記』 |
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天明8(1788)年本山両堂焼失に関わる尾張門徒の再建懇志は月々に本山に搬送され、それは御台所納戸方が収納を担当した。東本願寺で発見された『御再建日記』巻一によると、8月9日には御白砂(門内の小石を敷き詰めた所)に再建志上納役所が設立され、諸国の講による取り集めの分は月々勘定帳面に記載して納戸方が受取ることが決められていた。併せて、上山の人々に対して粗末な対応をしないこと、門末の人々の意向に耳を傾けてよく話し合い、万事、再建成就のためを考えて取り計らうこと、等が定められていた。
同月、名古屋御坊輪番の上山を機会に一通の文書が名古屋寺社役所に提出されている。内容は、両堂再建材木について、深山からの伐り出しや運送には難点が伴い、また品質の保証も心もとないので、当面のこととして尾張藩の普請用材を500両分程度、借用させて欲しいとの申し入れであった。これは納戸方の発案であったかと推されるが、結局は断られたようである。12月1日には、幕府から寄進として拝領を受けることになっている飛騨の御用林、および諸国からの献上木が本山へは未着であり、木揃えが出来なくて再建事業が進まないという実情が記されている。同月20日には名古屋御坊輪番を通じて尾張藩寄進木の受け取りにつき、「当方の勝手次第に受け取りたい」との申し入れをしている。つまり、各方面から寄進の申し込みはあったものの、一向に寄進の実が進まないことに対し、本山側は尾張御坊や取り持ちの末寺僧侶、門徒世話人を督励して滞り無く進むよう働きかけを繰り返したのである。この時の再建では、御影堂小屋組一式を請け負ったのは越中一国門末であり、明治度再建時のように尾張では寄進を引き受けていない。重要でしかも大きな作事を請け負う場合、本廟護持・法義相続のもとに門末は計り知れない尽力を受け容れ、本山から督励と地元の盛り上げの間で、いつの日かの再建成就を願って行動する日々が続く。この時の再建には10年の歳月を要したが、その後の70余年の内にさらに3度の本山焼失が続くことになるのである。
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