(8)寛政度再建への尾張門徒の助成
 
屋根瓦を降ろして徐々に見えてきた尾張門徒寄進の御影堂大屋根工作
 
 明治のご再建では、尾張門徒は名古屋市内に工作場を設け、御影堂小屋組(大屋根)を工作して寄進したことが語り草となっている。では、天明8(1788)年の最初の本山焼失時における、尾張門徒の再建助成はどのようだったのであろう。東本願寺所蔵の『御再建日記』によって、眼に見える部分に関する寄進を列挙してみよう。

◆御影堂破風金物・・・海東郡末寺・同行
◆同 矢来一式・・・海東郡女房講中
◆大寝殿桧用材・・・尾州同行中
◆学寮内雪寮一棟・・・尾州同行中
◆御影堂広縁桧用材・・・尾州末寺・同行
◆同 正面蟇股・・・中嶋郡同行中
◆同 縁側上部彫物・・・中嶋郡西嶋組中野村
  平村同行中
◆同 中之間天井・・・海西郡平崎新田、早尾村末寺・同行
◆同 南四間之間天井・・・海西郡中野村同行中
◆同 余間長押上花狭間塗箔金物・・・中嶋郡丁五組、権葉組同行
◆阿弥陀堂乗木鼻金物・・・海西郡法中・同行
◆同 天井金物・・・中嶋郡玉野村、富田村法中・同行
◆鐘楼妻金物・・・尾州下起村会所、同行

 さっとこれだけの寄進が見られるが、本山工作場に仮小屋を構え、上山した尾張門徒からの再建懇志を扱い、また作事に労力奉仕するご門徒が詰めた、「小屋詰」と称される人材寄進も並行して存在した。こうした詰小屋は60余軒が見えるが、尾張関係のものでは、元小屋・中嶋小屋・丸壱小屋・丸ニ小屋・丸三小屋があった。先に、再建作事竣工後に乗如上人御影が授与されたことに触れたが、それはこうした小屋詰の人々の苦労に対してであった。常時本山に詰めて、地元が寄進した作事が順調に行なわれるよう調整し、また人材の手配なども行なった小屋詰の人々の役割には多大なものがあったのである。
 こうした仮小屋を七条寺内町に常置建物として建てたのが「詰所」の始まりと考えられ、明治期には40軒余があったが、現在では廃業や旅館転業が相次いで2軒になっている。尾張詰所に泊まった経験のあるご門徒や、尾張詰所の語に懐かしい想いを感じられる方々も多いのではなかろうか。
 
 
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