(10)信を寄進する
 
瓦洗い場で瓦洗い
 
 現在、本山では御影堂の瓦降しがほぼ終わり、間もなく土居葺き(屋根の野地板)の傷んだ部分の修復が始まろうとしている。一方で、上山された門徒奉仕団には、百年間の風雪を耐え抜いてきた1枚10キロ以上もある瓦(百年瓦)を洗う「瓦洗い」を奉仕いただいている。洗ってツヤが蘇る美しさには驚くばかりである。100年前、三河門徒の懇念は本山瓦を焼くためだけの製瓦場を創り、必要であった28万余枚すべてを製作して寄進した。焼けば縮む瓦であるが、大小複雑な組み合わせによる棟瓦の各部分や、重ね合わされる部分の釘穴までがきちんと整合している見事な技術に、今の専門家も舌を巻いている。1枚1枚が丁寧に焼かれ、できた瓦が運ばれた本山では奉仕の門徒が1枚ずつを背に担ぎ、一歩ずつ足場を上って、瓦職人に渡して葺き上げたのだった。そう思って百年瓦に触れてみれば、先人・門徒の両堂再建への想いが直に感じられる気分になるというものである。
 さて、前号で紹介のように、両堂再建に尾張をはじめ諸国から上山した大工さんたちについては、諸国の地元門徒・同朋がその滞在費から仕事賃に至るまでを寄進の形で負担していた。これは寄進大工と称され、寄進による仕事だから京都大工組合に大目に見てもらえた。京大工の仕事を奪う迷惑な仕業だったからである。そうした京大工を説得できたのは、ひとえに寄進が「信を寄進する」ものだったことによった。
 寄進といえば、材木を献じたり、彫物・金物・建具などの物品調製を負担したり、あるいは志納金、あるいは米・味噌・醤油の現物供与、あるいは労力奉仕などと形は数ある。しかし、信を寄進するとはそのいずれでもない。物品・金銭・労力の形はとっても、それは信心そのものを表すものであり、それ以外では決してあり得ない場合をいう。端的にいえば、物・金・奉仕をさえ負担すればそれでいいということでない。信心そのままが様々な形で表される。それを寄進と称するのである。
 御影堂の瓦を降ろした今、三河門徒による瓦調製の見事さが見え、続いて尾張門徒の全面的寄進による屋根部分の造作の如何が見える状況にある。技術と信心が一体となって再建を支えていたことを知る。
 
 
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