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| (12)本山・尾張藩の同時繁栄を願って |
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| 『本山再建関係』 (名古屋別院所蔵 |
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尾張門徒の底力は、優れた知恵を伴うものでもあった。安政5(1858)年、本山両堂3度目の焼失時、その再建事業において知恵は遺憾なく発揮された。
名古屋別院所蔵文書『本山再建関係』によると、海東郡法中が数度本山に出向き、御影堂再建の切り組(木工事)全部を尾張に任せてくれるよう、諸国法中代表たちに頼んだという。本山では、差し迫った宗祖六百回御遠忌(1861年厳修予定)までには、とても再建は間に合わないとして、仮御堂として建てることを決めたが、その内陣切り組を尾張が請け負うことになった。尾張では経費を5千両と見積もり、ここで全国の寄進のトップとなる実績を見せておいて、続く本建築の時に、御影堂切り組全部を請け負う目論見であった。
実際に本建築を請け負う場合の、門徒への取り持ち(懇志)依頼については、尾張藩が藩経済の困窮を理由に、募財行為禁止の触れを出していたことを逆手にとる方法を考えた。次に紹介するまことに奇抜な良い方法である。すなわち、本建築の場合の総経費を150万両と見積もり、内の2万両だけは尾張藩内で調達する。そして、残りは作事作業を尾張で行うことによって、全国各地からもたらされる懇志・木材・資材・職人など148万両相当分の経済効果を期待し、それによって城下の繁栄を達成するというプランであった。愛知万博誘致ならぬ、本山御影堂作事景気を誘致する作戦である。発案者は海東郡内の僧侶たちであり、尾張御坊輪番所に申し入れてその実行を促している。
各寺院には、それぞれに門徒講中が付属していたが、尾張門徒による懇志を起爆剤にして、本山再建を達成するのみならず、資材の流通や諸職人の賃金、果ては諸雑費に至るまで、まさに大金を藩内に導入することになれば、それは尾張藩の利益に繋がるとする感覚は優れていた。尾張藩・尾張御坊・尾張門徒の利益は言うに及ばず、本山再建事業にあっては主力の位置を占めようとする意気込みまでが見える発案とすべきであろう。 |
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