(13)安政年間の本山両堂再建
 
『本山再建関係』文献より (名古屋別院所蔵)
 
 安政年間の本山両堂再建において、尾張門徒は御影堂の内陣切り組作事を負担した。御影堂全体の切り組を担当したいとする、当初の申し出からは後退する本山の決定だった。とはいえ、2年後に迫った宗祖六百回御遠忌のための仮御堂再建というからには、その後に続くであろう本建築への実績作りとして、作事請負いを承引したのである。
 御堂作事請負いの提案者は海東郡の門徒・僧侶たちであるが、もちろん、他の七郡と一致共同し、尾張一国門徒として請けるよう話は進んだ。これを請けることで尾張経済の活性化を図ろうとしたと前回に触れたが、どうやらその発想は、この話に噛んだ材木屋惣兵衛によるものであろう。名古屋別院所蔵『恐れ乍ら内に願上げ奉り候口上覚え』には、惣兵衛からの申し出が次のように記される。
 尾張城下では、本山作事を請けることに否定的な風聞もある。しかし、尾張で請ければ材木代、職人賃金など、おおよそ150万両の大金が日本六十四州から流入するので、尾張の国益に繋がる。尾張経済の建て直しに寄与するのは確実である、としている。つまり、尾張で用立てる門徒の懇志は尾張内での支払いに充てられ、他国からの流入資金もまた尾張で消費させようというのである。
 同じ時期、加賀藩では藩内財政の流出を理由に本山再建のための勧募が禁止されていた。尾張藩でも事情は同様だったが、ここに尾張の商才が発揮されたといい得よう。藩財政をよくよく考慮した上で本山作事を請負ったのであった。おそらく、この材木屋惣兵衛自身も門徒だったのではあるまいか。門徒と寺院僧侶と尾張御坊の三者が連携して、本山両堂再建を助け、自らの地元をも利したのである。欅・桧の良材を大量に必要とする御影堂内陣作事は容易なことではない。近辺に美濃・木曾・伊勢などの供給地を控えているからこそできたことであろう。本山が行うと同じように、用材の長さ・太さ・傷の有無・代価などを書き上げさせる検木作業から仕事を始めた形跡がある(名古屋別院所蔵『検木丸木控』)。作事は奉行所へいちいち届け出て、奉行所の了解のもとで進められた(同『御奉行所よりお渡しの写し』)。尾張藩は徳川家の一員であり、徳川家と東本願寺との密接な関係からも、万事に協調姿勢が求めたれた背景があるのであろう。
 
 
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