(15)棟梁伊藤平左衛門の技
 
名古屋の棟梁伊藤平左衛門による真宗本廟御影堂。
屋根の線の美しさを特徴とし、建築史上の評価が高い。
 
 明治の御影堂再建総棟梁を勤めた尾張大工伊藤平左衛門の技量については、様々な逸話がある。重要文化財建築の修理技術者として名高い松浦昭次氏の著書『宮大工と歩く千年の古寺』によると、松浦氏の父親は伊藤の孫弟子であり、父と共に名古屋の伊藤の屋敷で大工修行をしたという。伊藤が特に気配りをしたのは、屋根の「軒反りの線」だったといい、図面にこだわらずに建物の美しさを表現する技法に優れていたと述懐している。事実、伊藤による寺院建築は屋根の重さを感じさせない優美さを特徴とし、それは真宗本廟御影堂にも遺憾なく発揮された。見上げるような大堂に二重屋根を架けた建築なので、重々しくなるのが通常のところを、技術の粋をこらし、あらゆる屋根線を美しくすっきりと仕上げることで、やさしさの中に力強さを秘めた美しさを持つ建物が出来たのだった。
 また、伊藤は数奇屋大工の技量にも優れていたとみられる。伊藤の屋敷での仕事には数奇屋大工も多く集まっていたといい、茶室・書院建築の技術にも精通していたようである。本山で棟梁を勤める場合、禁裏(御所)大工、数奇屋大工、京大工(町大工)、地方大工(寄進大工・田舎大工)などを率い、それらを束ねなければならない。技術の違いや技量の差を埋めながら、しかも仕上がりは自分の特徴を生かしたものでなければならない難しさがあった。
 伝統建築の技術は、こうした大規模な作事によって多くの技術者に継承され、また全国に拡がっていった。各地の別院建築の造営・修理にあたった地方大工には、伊藤の弟子や、技量を認められて養子縁組し、伊藤家から新しい家名を許された者もあった。尾張が生んだ棟梁伊藤家の功績は極めて多大なのである。
 棟梁には技量と裁量とが求められ、裁量によって技術が現代にまで伝えられてきた。一方、その技術を支持し、裁量の発揮を支えた背景には、門徒の真宗に寄せる強い信仰心があったことを忘れてはならない。門徒の示す報謝の懇念は、懇志の形で大工仕事をはじめ本廟再建の基盤を、ずっと担い続けて今に至っている。
 
 
← 前ページ | 次ページ →          ⇒目次 
 
「教えて真宗!」一覧
▲このページの先頭へ
Copyright©真宗大谷派名古屋別院・真宗大谷派名古屋教区・教化センター
http://www.ohigashi.net お問合せ・ご感想はこちらから