| |
 |
| |
| (16)「志」と「懇志」の意味の違い |
| |
 |
明治の両堂再建に関して、名古屋を舞台としたご門徒の尽力を
伝える貴重な資料群を綴った書類綴り(名古屋別院所蔵) |
| |
両堂ご修復はご懇志によると依頼されるように、門徒による寄進を真宗では特に「懇志」と称する。他の宗派では用いない特有の言葉であるので、意味を尋ねてみよう。
「寄進」の語は、寺社に限らず財や土地を他者に施入する言葉として古代から広く使用されてきた。それに対して、宗祖にあっては、門徒からのご恩報謝に基づく施入を「御こころざし」(『御消息』)と表現された。戦国期には「馳走」の語が多用され(『石山本願寺日記』)、文字通り本願寺への軍事動員・金銭援助から宗主の生活支援に至るまでの、全面的助力に奔走する武家用語がそのまま使用された時期もある。そうした時期も「志」の語は併用され、本山を護持する金銭を指してきた。
以降の用例からは、門徒の行為は「志」であり、それに対する本山側の表現が「懇情」「報謝の誠」「懇念」「懇志」と綴られてきた。差し出すのはあくまでも「こころざし」で、受取った宗主・本山が誠・懇を感じ取って「懇志」に代表される表現をしてきたことが分かる。
思えば当然であるが、差し出す方が懇志というのはおこがましいのである。理由は、宗祖によって本願に出遇えたご恩に報謝する行為以上のものではないからである。その意味では、「おこころざし次第で…」というどこかで聞いたような使い方も間違いではない。仏教用語としての「布施」には、教えを説き与える法施、衣食などの物資を与える財施、怖れを解いてやる無畏施の三施があると説明されるが、以前に紹介した天明8年の真宗本廟焼失時の『御再建日記』に見られた「信施」(信心に基づく布施)の語は、数ある仏教辞典にも皆無の真宗独自のすぐれた言葉であると思う。信心を重視する真宗ならではの、宗祖の教えによって得られた信そのものを、様々な自分のできる形を通して表わすことが、経験的に身に沁みついていると実感される用例である。御恩報謝以外にはない「こころざし」を取り戻したい昨今である。命を生きることの御恩について、宗祖が示された「御こころざし」の意味を思い返したい。 |
| |
| |
| ← 前ページ | 次ページ → ⇒目次 |
| |
| 「教えて真宗!」一覧 |
|
|
|