(21)明治再建の事務体制と門徒参加
 
本山の再建作事部から示された「献木取扱手続」(名古屋別院所蔵)
 
 明治12(1879)年5月12日の再建発示の直後に設置された再建事務局は、再建に関わる一切の事務を所管した。早速に献木願いなどが地方からもたらされたのに対する当面措置としては、むやみに伐採することなく、木の種類や太さ・長さ・生育地を書類で提出させ、用途を勘案した上で認可を与えるものであった。しかし、現地事情のよっては伐採を急ぐ必要のある場合もあり、それには柔軟に対処することになっていた。
 そうした煩雑な事務が円滑に進む体制が整ったのは、1年半後の13(1890)年11月26日に定められた「再建事務局職制ならびに事務章程」によってである。再建事務局は土木・出納・教諭・記録の4つの掛りに分けられ、地方に設置された木揚場・示談所をも所管した。本山機関紙『配紙』に掲載されたそれぞれの掛りの主たる業務は、@土木掛は、計画作成・図面編成・諸礼式立案・工作場設置・木揚場開設。および木石等の用途や運搬法決定、棟梁と諸職人の採用事務。A出納掛は、再建予算とその出納、工作場・木揚場の用地購入、褒賞・借入金事務。ならびに金穀木石などの献納事務。B教諭掛は、再建御消息および書立の下付、再建旨趣布演のための本山役員・局員および学師(講師)説教者の地方派遣。C記録掛は金穀木石等の出納記録証書の保存、諸事務記録の作成。であった。なお、当初の建設総予算は1200万円を見込んでいたようである。
 再建事務局はその後、17(1884)年1月に用務掛を加え、同年4月26日執行の御影堂立柱式を機縁に、27日付けで再建作事部と改称された。
 名古屋別院所蔵の『献木取扱手続』は再建作事部から達されたものであり、木材寄付の際の取り扱いの詳細が定められている。それによれば、先ず献木願いを再建作事部に出し、許可されて木揚場まで運ぶと献木収票が下付されるのであった。有志多数での寄付には連名帳簿に証明印が与えられ、あるいは全体への挨拶状が下付される仕組みであった。
 これで分かることは、伐採から陸路の運搬、あるいは河を使った場合の河上げなど、地方の木揚場までの運送はその地域門徒の責任負担であり、鉄道貨車で直接に本山工作場まで運び込む場合もまた地元負担であった。一方、地方の木揚場などの港から大阪を経由する海上運送は本山負担と定められていた。つまり、本山工作場・木揚場という再建作事部所管の部署へ届けるまでの世話のすべてが「献木取り持ち」であった。かくして、用材の陸路運搬は、多くの門徒たちによる仏恩報謝の綱曳き作業によって担われたのであった。
 
 
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