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| (23)再建手伝いの上山と尾張の「土徳」 |
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日ごろの仏法とのご縁が真宗的風土「土徳」を作ってきた。
(名古屋別院報恩講にて) |
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『名古屋別院史』史料編には、明治19(1886)年記事として「この一年間の両堂再建手伝人夫中、尾張国総人員五千七百五十七人半に達する」の見出しで『本山報告』第20号からの抜粋記事を載せている。5,757.5人というのは、どれほどの意味を持つ数字だったのだろうか。
この数字は、明治19年の1年間に、名古屋および尾張八郡から京都本山に上って、再建作事の手伝いにあたった尾張門徒の数である。この年の手伝い上山門徒総数は、『本山報告』同号によると36,228人であったから、その16%にあたる。統計は手伝い門徒の多い順に国別に示され、尾張は筆頭、続く越中・近江・加賀までが5千人を越え、その次の伊勢・美濃からは2千人代以下となっている。この頃は御影堂の第1層部分が完成し、第2層の工事にかかり始めていた。聳え立つ工事用素屋根と、工事最先端の現場に資財を届けるための長い長い木製の桟橋(現在でいう工事足場)が思い浮かぶ時期である。瓦を敷くための板・粘土や瓦本体が、尾張をはじめとする手伝い門徒男女の背に荷われて、一歩また一歩、上へ上へと運ばれていった様子が思われる。
尾張に真宗の教勢が強かったことは今さらいうまでもない。それはよく「土徳」という言葉で表現された。日々の生活に中に仏法を実感しながら生きる人びとの住む土地柄をいうのであった。
気づいてみれば阿弥陀如来の救いに与かった自分があり、煩悩にまみれた身を自覚するほどに仏様の有り難さが身に沁み、とても救われるはずが無いと思い返すほどに他力の不思議が思われる。そのような真宗門徒の人びとによって育まれた宗教風土が土徳である。生きていること、朝夕に正信偈のお勤めが出来ること、お寺へ参ること、同朋と唱和すること、法話を聴くこと、そして上山すること、何かにつけてお手伝いをすること。すべてが歓喜に繋がる念仏門徒の生き方が当時には厳然と存在していた。地元地域の寺を維持し、手次の寺を支え、そして尾張御坊を維持しながら、なお本山再建への手伝いを行う門徒気質が満ち溢れていたとせねばならない。
こうなるには本山・御坊・末寺による度重なる教導があり、世話方・同行衆の勧めと門徒相互の信仰確認の営みが繰り返されてきたことがあった。そして地域の講、広域の講、巡回の法座、寺院行事、御坊行事、本山報恩講と、1年中に何度も重ねられる法義確認と法義相続の場があった。
仏法への親しみは日ごろの生きように関係している。寺の鐘の音、同朋による正信偈の響きなどに、共鳴し懐かしさを覚えたのが土徳を備えた尾張門徒であったろう。仏法を喜び、仏法に遇ったことに感謝する門徒が尾張には満ち満ちていた。 |
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