(29)名古屋工作支場の設置意義は多大
 
名古屋工作支場が設けられた旧水主町3丁目、尾張藩家臣船手組屋敷町の地。
「最新増補 名古屋市及付近図」(名古屋市教育委員会発行・明治40年刊)より
 
 明治の両堂再建において、尾張門徒が御影堂小屋組(大屋根)一式の寄進を請負ったことはよく知られている。名古屋には本山工作支場が設けられ、そこでは御影堂棟梁伊藤平左衛門配下の大工たちによって、工作が一手に行われたものと考えられてきた。しかし、今般の名古屋別院所蔵史料調査により、飛騨桧を使用した軒周り、および天井板など、概ね外見的に見える部分について、桧材による製材と仕上げが行われていたと判明した。大屋根部分といっても、名古屋では梁や柱など大材の製材加工は一切行っていない。それらは本山七条工作所で行われ、その用材と工作に関する資金を含め、すべてを尾張門徒が負担したのだった。名古屋工作支場は、旧地名で水主町3丁目にあったが、そこは水主(かこ。水夫のこと)の名の通り、堀川に沿った尾張藩船手組(いわば海軍)の居住地だった。工作支場はそうした居住地跡の一角で、敷地内にあったと伝承される池は、原木を浸しておくための設備であったと考えられる。
 とすれば、思ったほどには名古屋工作支場は活躍がなかったようにもみえる。しかし、御影堂の柱や梁は欅と松の大材が使われ、大材の加工は本山地内の工作所で行う方が、後の運搬と据付けを考えれば良いに決まっていよう。名古屋工作支場の役割は、何よりも、一般に目立つ部分を桧の化粧材によって、より美しく仕上げを施すことにあった。基本的に大屋根の組立てに桧材は必要でない。人目に触れる部分に限って桧を多用し、美麗な仕上がりを追求したところに、名古屋別院出入りの大工棟梁から本山棟梁に抜擢された、伊藤平左衛門の腕の見せどころがあった。したがって、桧材の流通では日本一の名古屋を拠点に、優良材を駆使し、配下の大工たちを直接指導して仕事を担当させたことであろう。
 最重要部を名古屋で工作したことでは、御影堂内、宗祖御真影安置の御厨子調製も、この時に同時に名古屋で進められている。伊藤棟梁の名古屋への信頼が知られるところである。最高の技術を尾張門徒が支えていたのである。大工たちにとっては、こうした工作への参加が、技術の鍛錬と継承に繋がった。尾張門徒の功績は、両堂の意匠そのものに表れるだけでなく、眼に見えない伝統技術の維持と進展にまで及んでいる。
 五年計画で設置された名古屋工作支場が、1年半の短命に終わったことは残念である。説教所としての教化態勢を工作支場に構築できなかったことが原因かと推される。しかし、技術の場を教化の拠点にすることには、用材の積出港に設けられた木揚場説教所とはまた違った、別の難題が潜んでいたことであろう。思うに、尾張における両堂再建助力への盛り上がりは、工作支場説教所を必要としないレベルだったのだろう。いずれにしても、名古屋門徒が担った両堂造営への意義の多大さについては、認識を新たにしたい。
 
 
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