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| 第11回 仏説無量寿経 〈巻上〉 |
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| 人間完成への歩み 〜 永遠のともしび(2) |
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阿難の問いに答えて釈尊は、一切の仏を仏たらしめ、凡ゆる人類を仏にする本願を、自ら感得された通りにお説きになります。それが法蔵菩薩の四十八願という形で示されたのでありますが、この本願の大事な要点だけをお話しますと、先ず第一に地獄や餓鬼や畜生の無いようにしたい。これを無三悪趣の願と呼んでいますが、悪趣というのは悪い境遇、このために仏法に縁を持つことが出来ない。だからそういう境遇からのがれさせて、仏法に縁をもつことの出来る境遇を与えたい。これは言いかえれば人間を確保させたい、そういう願いが第一番目に出てくるのであります。
無量寿経では法蔵菩薩の四十八願が説かれていますが、願をおこすということは何も法蔵菩薩だけではありません。どんな菩薩でも願をおこさぬ菩薩はありませんが、ただその願の内容が違うのであります。一般の菩薩の願は、たとえば十地経などで十大願として出ていますが、それを見ると先ず仏道の身を成就したい。それから仏法の心を成就したい。要するに自身を成就しようという願が始めに出ています。それに対してこの四十八願は、衆生をして先ず悪趣から逃れさせたい。仏法に縁を結び得るような状況を確保させたい。こういう願でありますから、他の菩薩の願と比べてこの願は悲願であるといえるのであります。それではこの四十八願は、他の菩薩の一般の願(総願)に対して、特別の願(別願)
とも申します。
人間らしさを確保させたいという第一願から始まって、第二願はたとえ三悪趣から脱しても再び?落することのないようにと誓われ、更に人間を確保し得ても人種の差別などから来る不平等によって法に近づくことが障げられたりして悩み(第三願)、或いは同じ人種、階級であっても個人的にはいろいろな差別があって劣等感に苦しむ(第四願)、そういうことのないことが誓われています。第五願から第十願までの六願は、いわゆる六神通の願といって、人間は日常生活をしているだけでは十分とはいえない。精神生活を持つところに精神力が生まれ、それによって人間は高められて一人前になってくる。そういうことが願われています。こういうところから考えると、第一願から第十願までは一貫して人間完成の問題が取り上げられているといえましょう。
最後の第十一願には人間の真の完成が願われています。この願を親鸞聖人は必至滅度の願と呼んでいられますが、これは信心を得ることによって人間にもたらされる最高の救いを明らかにしたものであると教行信証では示していられます。滅度というのは完全な仏の世界、一切の問題が残るところなく解決し、真に安んずることの出来る世界、そういうものが人間に強い確信(必至)として与えられた時に、苦悩にみちた人生を迷いなく、力一杯自分を実現しながら歩むことが出来、その歩みが間違いなく仏に直結しているという、そういう救いが誓われているのであります。 |
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