第20回 仏説無量寿経 〈巻下〉
 
人間らしさの解明  〜 永遠のともしび(11)
 
 三毒段(前回お話しました)につづいて、更に無量寿経の下巻には五悪段という一段がもうけられていまして、私たちに対するきびしいいましめがつづいております。私たちはいうまでもなく人間として生まれて来ております。従って人間らしさを持つと言う事はきわめて当然のことで、別に無理なことではありません。ところが実はそれが大変難しいことだというのが、この一段をもうけられた深い意味であろうと思われます。
 そこで五悪がのべられるに先立って、こんなことがいわれています。「もしこの人間世間にあって悪をつくらないならば、そのことだけですばらしいねうちのあることである」と。善をせよというのでなく、悪をしないだけでたいしたねうちがあるといわれるのは、人間の世界に於いて人間が、えてして人間らしさを失いがちであるという大事な問題があるからであります。それでまず悪をしないだけで大したねうちがあることを示し、次いでその内容を五段に分けて示されるのでありましょう。
 従ってここで悪といわれているのは人間らしさを失う事柄についていわれているのであります。そこで先ず第一には総じて無慈悲な心をいましめてあります。強いものは力をたのんで弱いものを征服し、あるいは怒りにまかせて他を傷つける、こういう姿は人間にあるまじきことでしょう。人間は他に対して深い配慮を持ちながら生きていくべきもの、だから第二に人間関係の混乱をいましめてあります。
 考えてみると、人間だけが間柄を持って生きているものではないでしょうか。親子、友人の間柄、或いは同僚、友人の関係、隣近所の間柄など、すべて間柄を生きていくのが人間というものなのでしょう。だからその間柄を混乱させることは人間らしさを失うことで、自分勝手なふるまいをすることを強くいましめてあるのだと思います。
 第三によこしまな性行為と盗みをいましめてあります。セックスと経済、週刊誌を賑わしているこの二つは人間を大きく支配しているものであります。セックスと経済の混乱、これはそのまま犯罪につながるもので、世の中の犯罪の大多数はこれが原因となっているのではありませんか。
 次に妄語(偽りを言うこと)と驕慢(思いあがり)がいましめられています。ことばをもって生活するのが人間と他の動物との違いであるといわれているほど、ことばは人間を支える最大のもの、これを混乱することは人間の生活に混乱をもたらせますし、自分だけを認め他を無視するような驕慢も、一緒に生きている共同体を傷つけこわすものであります。最後(第五)に邪見がいましめられていますが、これは人間生活を破壊したり混乱させたりするさまざまな行為の根となるようなものであって、私たちが仏法にあうて正しい生活を開いていくのは、この邪見が破れることだとまで教えられています。
 
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