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法語バックナンバー

2012年3月

身、自らこれを当くるに、有も代わる者なし。

『仏説無量寿経 巻下』

亡くなった父に、中学・高校生時分によく言われた言葉が、「自分の人生は、自分で切り開くんだ。」であった。当時、反抗期真っ盛りであった私は、その言葉を素直に受け止めることができず、「わかっとるわ、うるさい。」と投げ捨てていた。

しかし、今思うとこの言葉は、仏説無量寿経の「無有代者」ということでないかと思うようになった。誰も代わるものがない。かけがえの無い人生を一歩一歩歩んでいくのだ。私の身に起こることはすべて自分自身で引き受けていかなければならない。誰も代わってくれない。かけがえのない人生を生きている。大変厳しい言葉である。そのことが今、この歳になってようやくそう思えるようになった。

一時期、自己責任という言葉が流行ったことがあった。真宗は自己責任の宗教だといわれた方もある。本来自己責任とは、自分自身に対しての自覚する言葉であって、相手に対して批判するための言葉ではない。「無有代者」もまた同様に自覚する言葉であろう。かけがえのない、誰も代わることのできない限りある命、一度限りの人生だから、ごまかすことなく、今を精一杯生きていくことができるのだと、すべての人にかけられている大きな願いを信じることが、自覚の内容ではなかろうか。

2012年3月 東谷 智

2012年2月

善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり(中略)
ただ、念仏のみぞまことにておわします

『歎異抄』

先日、娘の胃腸風邪をもらって下痢と吐き気と寒気で、ダウンしてしまい、丸1日なにもできませんでした。風邪のなかで一番たちの悪いのが、この胃腸風邪だと私は思います。なぜなら、トイレから10メートル以上離れられないからです。こうなると、やはり健康でいることが大事で、病気には極力なりたくないと、つくづく思わされました。そんな風邪も治りかけた時、たまたま『歎異抄』を読み返していて、ハッとさせられたのがこの言葉でした。

一般的には私たちは健康は良くて、病気はダメだと対極化して考えています。けれども本当は、健康も病気も表裏一体であって、病気になる縁(条件)があれば病気になるし、健康な縁があれば健康になるだけのことで、そこには良いも悪いもないのです。そこに良し・悪しという評価がくっ付くのは、自分の都合(分別)という「ものさし」で見ているからです。

私達は物事を「ものさし」で見たり聞いたりしているだけで、本当にものを見たり聞いたりしていないのではないでしょうか。偽物を本物と思いこんで生きているのかもしれません。そのことに気づくには、偽物でない「まこと」に出遇うしかないのです。

2012年2月 名和 正真

2011年11月

我また、かの摂取の中にあれども、
煩悩、眼を障えて見たてまつらずといえども、
大悲倦きことなく、常に我を照したまう、といえり。

『正信偈』

私たちは物事を判断する時に、それが好きか嫌いか、自分にとって必要かそうでないかなど、いろんなものさしを持って物事を見ています。そして、そのものさしとは自分の中の価値観で形成されています。つまり、見る対象が同じでも、それを見ている自分のものさしが常に変わり続けているため、都合がいいと好き、都合が悪くなると嫌いとなってしまいます。場合によっては今自分の事情が変わると、裏切られたような感覚さえ覚えてしまいます。そして、それは生きるという歩み自体にも表れています。

僕もそうですが、未来に何かがあると想像してそれに向かって人は努力します。しかし、その未来が自分にとって都合が悪くなると、苦しくなったりすることがあります。まだ起きていない未来でさえも自分のものさしで良し悪しを判断し、その判断が自分を苦しめているのです。

自分の都合で物事を見るために、勝手に世界を狭くして、自分で悩みや苦しみを作り出している私がここにいます。それは、親鸞聖人が言われるように、何も見えていなかった私がここにいるということです。しかし世界はもっと広く、未来はもっと大きく輝きながら私たちの前に広がっているのです。

あなたはどんな風に世界を感じ、未来を見て、生きていますか。

2011年11月 一柳 淳徳

2011年9月

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、
よろずのこと、みなもって、
まことあることなきに、
ただ念仏のみぞまことにておはします。

『歎異抄』後序

原発事故の発生以来、時の人となった京大原子炉実験所助教の小出裕章先生。この小出先生が8月3日、放射能に汚染された農作物の扱いについて、次のような発言をされています。

「私は500ベクレル以上でも出回らせていいと主張してきてる人間です。…原子力を許してきた世代の大人は甘んじて食べて欲しいと思っています。ただし、子どもは守らなければいけませんので、どのお米がどれだけの汚染だということをきっちりと知らせる責任が今の国と東京電力にあると私は思います。」

今回の事故が起きるまで、国の定めた許容値は0.1ベクレルでしたから500ベクレルというのは5000倍。原子力行政に異議を唱え続けて40年の小出先生がこのような発言をされる理由は、私たち大人は「原子力の存在を許してきた」からだと…。

私は最初に被災の報に接し、「日本の制御技術は世界一だから重大事故とはならない」と思い込んでいました。全電源停止という報に接し、「そんなお粗末なことがあるはずがない」と思い込んでいました。そして水蒸気爆発の様子をテレビで見ながら、これから起こることへの言い訳を考えていました。言い訳を考える私の姿は、つまりは「原子力の存在を許してきた」者の姿でした。

カエサルが2000年前に遺した「人は現実のすべてが見えるわけではなく、多くの人は見たいと思う現実しか見ない」という言葉は、冷徹に人間のふるまいを明らかにしています。果たしてそのような人間の思慮の延長に真実はありえるのでしょうか。親鸞聖人が私たちの世界を「まことあることなき」と押さえられ、「ただ念仏のみぞまこと」と仰有ったのは、決して人間としての在り方の否定ではないはずです。

2011年9月 生田 亮

2011年6月

前に生まれん者は後を導き、
後に生まれん者は前を訪え、
連続無窮にして、
願わくは休止せざらしめんと欲す

教行信証

ぼくはじいちゃんから昔の話を聞いたことがあります。じいちゃんのこどものころに戦争がありました。その時、空しゅうをうけましたが、じいちゃんは逃げて生きのびることができたそうです。もし、じいちゃんが死んでいたら、父さんも生まれていなくて、ぼくも生まれていませんでした。また、ぼくは1才の時、重い病気にかかりました。その時お医者さんが手術で治してくれました。入院中は家族のみんながかん病してくれました。ぼくが今元気なのは、たくさんの人たちが命のバトンをつないでくれて、たくさんの人たちに応えんしてもらえたからです。お母さん「いつも応えんしてくれてありがとう」・・・

これは小学4年生のこどもの読書感想文からの抜粋です。前に生まれた者と後に生まれた者のいのちのつながりと広がりと、それらへの感謝の気持ちを素直につづっています。

「おかげさまで、おかげさんです」

これは近所に住む高齢のおばあちゃんの口癖です。この言葉も前に生まれた者と後に生まれた者のいのちのつながりと広がりと、それらへの感謝の気持ちを素直に言い表しています。

このおばあちゃんは、この言葉とともにお仏壇の仏さまに向かって手をあわせられます。私はこのおばあちゃんの「おかげさま」の「かげ」の中にはきっと、数えきれないくらいのたくさんの顔があるんだろうなあと想像しています。

光によってつくりだされるのがかげ。かげの中までも光は明るく照らしだす。おばあちゃんの姿そのものに教えられ、おもわずおばあちゃんに手をあわせたくなる私です。

2011年6月 大矢 俊宏

2011年5月

煩悩にまなこさえられて 摂取の光明みざれども
大悲ものうきことなくて 常にわが身をてらすなり

高僧和讃

こんな体験をしたことがある。名古屋に住んでいる私が、三河の山奥にある親類の家を初めて訪ねた時のこと、その山の夜空を見上げ愕然とした。宝石箱をひっくりかえしたかのような無数の美しい星たち。人工的につくられた電灯やネオンの光に邪魔をされて、都会では決して見られない大自然本来の星たちの生の姿。それまでには見たことのなかった本物の夜空との出会いであった。

進歩という美名のもと、利便性を標榜し、人間が自力で作り出す物質は、時に自然本来の姿を消したり壊したりする。人工的な光がかえって本物を見失わせる闇を作り出すのである。「こうなってほしい。ああしてやろう。」といった心の中で生み出す欲望と、脳みそで考え出す計らいのどす黒い光が、自然本来の中にある真実の光を見えにくくするのである。

人生に迷いや行き詰まりを感じることは多々ある。我が行く道に光が見えぬと叫びたくなることも度々である。そんな時はきっと自身や身近なところにこのどす黒い欲望という人工的な光が存在しているはずである。もしくは苦しさのあまり現実から逃避し、自分自身が完全に心の目をとじてしまっているのである。

こんな時は夜空に星を見つけるのと同じく、まずは余計な光は消して、しっかりと心の目を見開き、自然体での取り組みをこころがけると活路の光明は見いだされそうである。本当の自分、本物の人生が見えてくるはずである。 見た目だけの輝きや便利さや楽しさに幻惑されるだけ、偽物にもてあそばれ振り回されるだけの人生は、あまりにも空虚である。

「ずうっと前から、ちゃんと私はここにいるよ。ほらほらテレビなんて見てないで、余計な電気は消して、自然な状態で夜空を見上げてごらん。そして本当の私と出会ってごらん。」・・・・夜空にある星たちはわたしたち人間に、微笑みつつも悲しみながら、こう光りささやいているような気がしてならないのである。

2011年5月 大矢 俊宏

2011年4月

人身受け難し 今すでに受く

「三帰依文」

私はある人の死に出あって「人は死に向かって生きているだけなのかな?」と思い、しばらく何もかもを虚しく感じ生きている頃がありました。そんな時、ある方の本に教えられたことがあります。「人は、死に向かっているだけではなく、実は日々、生まれ続けて生きている」ということを。

例えば、お母さんのお腹に宿れば胎児として生まれ、

お母さんのお腹から出れば赤ちゃんとして生まれ、

保育園に入れば園児として生まれ、

小学校にあがれば小学生として生まれ、

中学校にあがれば中学生として生まれ、

高校にあがれば高校生として生まれ、

大学にあがれば大学生とて生まれ、

二十歳になれば成人として生まれ、

学校を卒業すれば社会人として生まれ、

結婚すれば夫として、妻として生まれ、

子どもが産まれれば、父親として母親として生まれ、

その子どもが結婚して、さらに孫が産まれれば、祖父母として生まれる。

そして、最後の一瞬を生きる私が生まれる。

さて、私たちは今を生きています。過去といっても過ぎ去った今ですし、未来といってもやってくる今です。私たちは今しか生きていないのです。その今とは、過ぎ去った今を生きた私から、過去を引きうけて今を生きる私が生まれている。生まれるという事実を一瞬一瞬生きている。最後死ぬまで生まれるという事実を生きている。

わかりやすいようにと、先ほど人生の大きな節目で、例えましたが、実は一瞬一瞬、過ぎ去ったすぐ前の一瞬から今の私が生まれているのです。うれしいことがあれば、うれしくなかったときの私から、うれしいことをよろこぶ私に新しく生まれる。悲しいことがあれば、悲しくなかったときの私から、悲しいことを引きうけていく私に新しく生まれる。今、あなたは私の文章を読みましたが、私の文章を読む前のあなたから、私の文章を読んだというあなたが新しく生まれたのです。今、この時もあなたが生まれているのです。

私たちはただ死に向かって生きているのではないのです。一瞬一瞬新しい今の私に生まれ続けているのです。そう思うと、ちょっと元気が出てきませんかね。

生きているという実感や感謝の心、今この瞬間をもっと大切に生きたいという気持ちは、こんなところから生まれてくるものだと思うのです。

2011年4月 杉原 隆

2011年3月

人間が生まれて,何か偉いことをするのではない
念仏とともに、宿業を果たす、というただこれだけのことに、
かたじけないほどの価値がある

安田 理深

嘗て、NHKラジオのある番組で、「よぼよぼが とぼとぼと歩く 日暮かな」と云う川柳を聞いたことがある。やがて私も老いの身となる。近頃は涙目になったり、足腰が痛んだり、肉体の衰えるのがよくわかる。

私の町内には、百十人の老人がいる。その中に一人暮らしのお婆さんがいる。私は本年度老人会の役員をしている。ある日、用事でお婆さんのアパートへ訪れた。お婆さんの部屋は狭くて暗かった。お婆さんは、お内仏の前で、何やらボソボソとつぶやいている。冬なのにストーブもつけず、寒い部屋は電気が消え薄暗く、なまんだぶ、なまんだぶ、と云っているのが聞こえた。乏しい年金暮らしで、貯えもなくギリギリの生活をしているようだ。「なまんだぶ なまんだぶ あみださん迎えにきて、なまんだぶ なまんだぶ」と云ったあとで、笑いながら、「なかなか死ねないわ」と云っていた。このお婆さんの苦労は、私には何の手助けも出来ない。

その時、思い出したのが、安田理深師の言葉にある「人間が生まれて何か偉いことをするのではない、念仏とともに、宿業を果たす、というただこれだけのことに、かたじけないほどの価値がある」であった。そこには、さけてとおれぬ一生を、各々、ただ一人のために念仏があたえられているのではないでしょうか。

2011年3月 鈴村 勳

2011年2月

人はいつ死ぬと思う? 心臓をピストルで撃ち抜かれた時。違う!
不治の病に冒された時。違う!!
猛毒キノコスープを飲んだ時。違う!!!
・・・人に忘れられた時さ

尾田 栄一郎(『ワンピース』〈集英社〉第16巻より)

「人はいつ死ぬと思う?」それは「人に忘れられた時」だと、ここでは強調されています。実体としての死ではなく、忘れられた時がその人の死であると。

この言葉からすると、死んでいても生きている人がいることになり、生きていても(忘れられた時)死んでいるという事になります。

我々が故人の生前の言葉や、生き様、その後ろ姿を忘れる事が出来ない。そのように故人を憶う人のところに亡き人は生きておられるのかもしれません。

亡き人の事が忘れられない・・・その気持ちが法事を勤めようとする出発点ではないでしょうか?

一方で現代は「無縁社会」という言葉に象徴されるように孤独死ということが社会問題となっています。生きていても(忘れられた時)死んでいるということに繋がっているような気がします。

さて、この言葉からもう一つ、私は宿題を戴いているように感じます。それは、私が故人の事を忘れられないように、私自身もまた周りの方や、後の世代の方にとって「あの人だけはいつまで経っても忘れられないわ」と感じさせるような生き様、後ろ姿を示せているだろうか?という事です。そう考えると、甚だ自信はありません。

まもなく、本山では親鸞聖人の七百五十回御遠忌が勤まります。それは七百五十年経っても、親鸞聖人の言葉、生き様が忘れられない方が多くおいでになる。その親鸞聖人を憶われる方のところに、現代も聖人は生きておられるのでしょう。まさしく「忘れられない」のでしょう。

かつて金子大榮師は「その人 親鸞」という詩の中でこう仰っています。

「その人※を憶いて 我は生き、その人※を忘れて我は迷う」と。

この詩を改めてかみしめています。

(筆者註 ※その人・・・・・親鸞)

2011年2月 栗本 元

2011年1月

そもそも毎月両度の寄合(よりあい)の由来は、
なにのためぞというに、さらに他(た)のことにあらず。
自身の往生極楽(ごくらく)の、
信心獲得(ぎゃくとく)のためなるがゆえなり。

『御文 第四帖』

「すぐに病院へ来てください!」末期のがんで入院と手術を繰り返す祖母の担当医からの電話だった。急いで病院に向かうと、そこには、いつも優しくて温厚な祖母の姿はなかった。荒々しい呼吸で「死ぬもんか」と力いっぱいにもがき苦しみ、耐えている祖母がいた。当時10歳だった私は、変わり果てたその姿が怖くなり、病室を飛び出してしまった。

お見舞いに行く度に、祖母は「死ぬ様を見てほしい」と言っていた。「なぜそんな悲しいことを言うのだろう」と私はその言葉の意味を理解できずに、涙を堪えて聞いていた。

私たちは日頃、死の問題をつい忘れ、遠ざけてはいないだろうか。死は悲しい事だからなるべく考えたくない、なるべく避けて通りたいというのが世の常だろう。なぜ祖母は「死ぬ様を見てほしい」と私に言ったのか。今でも葬儀や勤行の時に、心の底にある祖母の言葉への疑問がふつふつと湧き出てくる。あの時、私が怖くて逃げだしたのは、死を恐れ、死を認めたくなかったからであろうか。

命に限りがある事は頭ではわかっている。そのわかりきっている事が改めて問題となり、死を見つめる事によって、生が足元から問い直されてくる。しかし本当の生き方が私の中ではっきりしてこない。私は何のために生まれてきたのか。確かな人生を歩んでいるのだろうか。その心から求める要求に対して蓮如上人は「自身の往生極楽の、信心獲得のため」であると言っている。つまり私が強く求めた生は、単なる自分の思い計らい、都合の世界ではない。この生を求める不安は、本当の自分に帰って欲しいという如来の働き、本願によって押され引き寄せられているのであろうか。これからも祖母から「どう生きるか」また、「何故に生きるか」という問いかけが、私の都合の世界を破る、南無阿弥陀仏の名号となって呼びかけ続けられているように感じずにはおれない。

2011年1月 教化センター職員 本多 龍

2010年12月

小さい悲しみはやがて消えていく
深い悲しみは私を育てる
大きな悲しみは慈しみにつながる

(2008年10月3日、朝日新聞記事より)

山口県の本願寺派長久寺の住職有国智光さんは、15歳の息子さんを小児癌で亡くされました。闘病生活は3年間に及んだそうです。腫れ物にまで「腫丸」と名を付け、楽しむことが上手なお子さんだったそうです。その時の体験を通して実感された有国さんの言葉が上記の言葉です。

深い悲しみの中、有国さんは我が子を「かわいそう」と思う自分のつらさの実体を見つめられます。「かわいそう」と思う心は、我が子のことを慈しんでいるようで、実は、我が子を亡くす現実を認めるのがつらく、目をそらしている自分自身を大切にしている心であることに気付かされたそうです。

我が子のつらさは我が子にしか分からない。我が子のつらさに寄り添うのではなく、自分の中に投げ込まれている自分自身のつらさに寄り添うしかないと腹をくくられます。つらささえも楽しむ我が子。ならば、自分は子に先立たれる父として、それを楽しみ、のうのうと生きていこうと覚悟されます。誰もが誰にも代わってもらうことのできない唯一の存在であるという現実を、互いに受け入れていこうという覚悟です。

息子さんの死期が迫ります。しかし、有国さんの眼には、死にかけているかわいそうな我が子ではなく、精一杯その時のいのちを輝かせて生きている息子さんと映ったそうです。

2006年、息子さんは「ありがとう」という言葉を残して亡くなります。息子さんの面影を思い出していると、見つめているつもりが、見つめられていることに気付くそうです。自分がどれだけ成長したか、どれだけ大切なことに気付いたかと、息子さんとの対話を感じるそうです。「大きないのち(私を包んである一切のもの)」に還り、常に見守り、支えてくれているという実感です。

「小さな悲しみ」を超えた「大きな悲しみ」に触れていると有国さんは言われます。

「慈悲に聖道と浄土のかわりめあり」。息子さんの病・死を通して、このことに目覚め、親鸞聖人が頂かれた「すえとおりたる大慈悲心」を有国さんもまた頂たいていることが伝わる言葉です。

南無阿弥陀佛

2010年12月 広瀬 純史

2010年11月

私は人を殺した 殺すことは悪い

鶴見 俊輔「愛知宗教者九条の会」結成のつどい記念講演『日米開戦の前夜』より

今年の広島の「原爆の日」平和記念式典に、初めてアメリカ大使が出席されました。アメリカ国内では、この行為が原爆投下への「無言の謝罪」に当たるとして、反発する声が上がったと聞きます。原爆を落としたのを謝罪することのどこが問題なのかと思いますが、アメリカでは原爆投下が終戦を早めて、米兵や日本兵の多くが命を落とさずに済んだのだという歴史認識が主流なのだということです。被爆国の国民としては、命を数で量るこの理屈は、到底納得できるものではありません。

一方で、私たち日本人はどうでしょう。日本の戦争史観が自虐的だと批判される方が少なからずあります。日本のアジア侵攻が、現地の文化を著しく発展させたという主張を聞くと、成程そういう良かった面もあるのかなと思ってしまいます。しかし、それが事実であったとしても、「おじいちゃんは殺されちゃったけど、鉄道も通ったし、悪い事ばかりじゃないな。」と侵略を受けた人達が思うでしょうか。どうも、自分が被害者の立場になった時の感覚がずれてしまって、何が本当に悪い事なのか、あやふやになってしまっている自分があります。

自分は、本当は悪い事をするような人間じゃない、それにはこういう正しい理由があるのだ、こういう良い面があるからなのだと、なにかにつけて自分のした事を正当化しようとする私です。「自分は悪い事をしてしまう人間だ」と自分自身認めること、実はこれが一番大切で、大変なことなのではないでしょうか。

2010年11月 植田 智行

2010年10月

わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。
また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし。

『歎異抄』第13条

先日、死刑執行の場である「刑場」が公開された。これについては賛否両論あるだろうが、とにかく死刑問題について国民に関心を持ってもらいたい、という千葉景子法相の願いは伝わってきた。新聞やニュースなどの報道は、その多くが「死刑制度は、是か非か」という二元論で問い掛けるものばかりであったが、私にとって改めて死刑問題について考えさせられる契機となったことは、紛れもない事実であった。

昨年12月に行われた世論調査によれば、死刑を「是」とする人の割合は、過去最高の85.6%にまで上ったという。その背景には、事件の残虐性ばかりに目を向け、加害者を敵視するあまり、死刑を安易に容認してしまう、私たちの意識の危うさが潜んでいるのではないだろうか。それは、裏を返せば「私は絶対に加害者にはならない」という善人意識に他ならないのではないかと思われる。

しかし親鸞聖人はこのようにおっしゃった。

「自らの心が善良だから人を殺さない、というものではない。また、人殺しなどしないと思っていても、百人や千人を殺してしまうことも起こり得るのだ。」

つまり、今の私が人を殺していないのは、たまたまそのような縁となっていないだけであり、そういう縁となれば、いつでも人をも殺してしまいかねない人間であるのだ。それほど、人間の考える「善悪」という価値観は危ういものなのだ。

とはいえ、日々を「善悪」や「是非」でしか生きられない私には、聖人の言葉を頭では理解できても、そのとおりだと心から頷くことができない。

また、昨年度から導入された裁判員制度により、私たちが死刑判決を下さねばならないなかに「是非」を問われる日は、確実に近づいている。仏法を自らの拠り所としながら、娑婆世界のルールの中で生き、決断を下さなくてはならない。この矛盾とどのように向き合うかが、今の私を悩ませている。

聖人が現代を生きていたら、死刑について、あるいは現行の裁判員制度について、どのようにお考えになるのか。私は問い続けていきたい。

2010年10月 寺西 賢静

2010年9月

煩悩(ぼんのう)にまなこさえられて 摂取(せっしゅ)の光明みざれども
大悲ものうきことなくて つねにわが身をてらすなり

『高僧和讚』

長男が小学生の時の話です。給食が好きな子で、その日も「おいしかったぁ」と帰ってきました。「給食残すと先生がね、『アフリカじゃ食べる物なくて死ぬ子もいるよ、アフリカの子に比べたらあなた達は幸せなのに』って。てつ君(自分の事)はお代わりしたからほめられちゃった」

そう、ほめられたの、良かったねと言いかけて、でもと思い聞きました。「それってアフリカの人に失礼じゃない?おい、てつ君を見てみろ、てつ君に比べたらオレ達は幸せだよな。って言われたらどんな気がする?」長男は、先生にほめられた事がうれしくて、私にも一緒に喜んでほしかっただけなのでしょう。でも私はその事に気づかず、あてが外れた顔の彼との会話は途切れてしまいました。

長男は中学生になり、テストの度に順位をつけられ、その結果に私は嘆き、叱ります。「よその子の二倍勉強せよ」と言う私を見る長男の顔。思い出したのは、小学生の時のあのがっかりした彼の顔です。

煩悩にまなこさえられて  摂取の光明みざれども

大悲ものうきことなくて  つねにわが身をてらすなり

自分が正しいと思いこんで、感情のまま平気で人を傷つけてしまう私です。目の前にある大切なものを見逃してしまう私です。でも自分の不甲斐なさに気づいた時、私は自分が「自分を見つめよ」と照らし続けて下さる光の中にいたと気づくのです。

小学生の時にがっかりした長男を抱きしめる事もないまま、彼は私の身長を追い越してしまいました。あの時私に何も言い返さなかった彼は、私が自分で気づくようになるまでの時間を与えてくれたのだと今になって思うのです。

2010年9月 高橋 和

2010年8月

何も出来ないけれど「ありがとう」だけは言えるよ。あなたのためにも、ぼくのためにも心をこめて「ありがとう」って。今、ここに生きている自分に「ありがとう」。そして、ささえてくれるすべての人に「ありがとう」。みんなに出逢えて、うれしかったよ。

十三歳の彼は、この言葉を残して半年後に亡くなった。

それからもうすぐ二年半。今でも月命日には、友人たちが彼の仏前に集まっている。友人たちは高校生になりそれぞれ別の道を歩んでいるが、毎月彼の家を訪れる。彼のお母さんは、毎月この日だけは朝から来客に追われ、夜遅くまで食事をふるまうのだそうだ。「一周忌までで終わる」、「三回忌で最後になるのでは」…お母さんのそんな思いとは裏腹に、彼がいなくなった日には必ず皆が訪ねてくる。高校生になった友人たちは、自分の親には言えないことを口にし、まるで第二の家であるかのように過ごしていくという。

彼と私の出逢いからも二年半が経った。彼の家族は、法要のときはもちろん、色々な場面でお寺を手伝ってくれている。今では、以前からお寺を訪ねてくれる人たちともすっかり打ち解け、「私たちも息子も、友人が増えた」と嬉しそうだ。亡くなった後も、彼はこうして出逢いを運んでくれる。彼の友人は、これからも増えていくだろう。

お寺に集まってくる人たちの多くは大切な人を亡くし、深い悲しみを抱えている。この悲しみは簡単には癒えないが、今日の社会の中ではネガティブなものとして切り捨てられてしまうことが多い。

死の悲しみは、優しさやあたたかさ、そして新たな出逢いといったポジティブな芽を同時に持っている。悲しみを受け止めた上でその芽をはぐくみ、大きな木へと育てる。お寺はそんなところでありたいと思う。

2010年8月 佐々木 瑞枝

2010年7月

世間の人民、父子・兄弟・夫婦・室家・中外の親族、当に相敬愛して愛憎嫉することなかるべし。有無相通じて貧惜を得ることなかれ。言色常に和して相違戻することなかれ。

『仏説無量寿経』下巻

「またか……」。新聞やテレビには、毎日のように家庭内での殺傷事件や虐待などが報じられ、その度にうんざりする。そして、「家族なのに、いったいなぜ?」と、私には到底理解できないことばかりだ。その家族にしかわからない苦しみがあり、その人にしかわからない理由もあるのだろうけれども、私は、家族を殺(あや)め、ましてや、我が子を虐待するなどは、できることなら避けてほしいものだと思う。

ある時、いつものように、幼児虐待の報道を見ながら「残酷だなぁ。ひどいなぁ」と思っていた。「子どもは、どんなに虐待されても親を頼り、愛されたいと願うものなのかな」と思うと、なおさら加害者である親に憎しみを覚えた。「大人なのに、ましてや親であるのに、いったん心を落ち着けて、子どもに対して自分のしている行動を考えられないものなのだろうか」と、加害者の人間性を疑問に思った。

その時、私は、上に掲げた釈尊の言葉を思い出した。釈尊は、お互いが愛し合い、怒ったり憎んだり嫉んだりせず、融通し合うことによって、お互いが足らないところを助け合うことが必要であると誡(いまし)めている。いったいなぜ、釈尊はそんな当たり前のことを語られたのだろう? それは当たり前のことをできない私たちだからこそこうして語られたのだろうと思う。

そして、私自身も実は、この当たり前のことができていない一人なのだ。自分の日頃を省みると、怒り、憎み、嫉み、融通しあうことを忘れてしまう時がある。ニュースを見ては、残酷だとか、ひどいと言っている私は、他人事としてしか、ニュースを見ていなかったのだ。釈尊は事件の加害者に対してこのようなことを仰っているのではない。他人事として考えて、自分は違うと思っているような私に対して仰られていることなのだ。

2010年7月 木全惇生

2010年6月

弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとえに親鸞一人がためなりけり

「歎異抄 後序」

「なんとか自分が生きてきた証を残したいと思うのだけど・・・。」或るご老人が口惜しそうに言いました。残された時間があまりないということでしょうか。或いは年老いて、もはや立派な証を残すだけの力がないということでしょうか。このご老人、つい先日弟を亡くしたばかりなのです。大切なことは、掛け替えのない弟との別れが、自分の命も限りあるものだという事実を認識させているに留まらず、命の本当の意味を求めさせるという尊いご縁になっているということです。このご老人とて、これまでの人生を振り返れば少なからず様々な足跡を残してきたことでしょう。きっとご老人の中には、その足跡を頼りに自分の人生の意味づけを模索してきたのではないでしょうか。しかしそれらはどんなに誇り高きものであったとしても、「過去の思い出」でしかありません。現在の自分とはまるで別人の様で、寂しささえも感じます。人生の意味づけは、最後まで定まらないか、どうせ自分の人生などはと変に開き直るか、いずれにしろ正しく定まらないことは間違いないようです。実はこのご老人の本当の願いは、正しく定まること、力まず、疑わず、「これでよし」といえる場所に立ちたいということなのです。求めているのは自分の評価ではなく、今の自分がそのままで立てる場所だということです。その場所を浄土と呼び、浄土に立つことを往生と呼ぶのです。浄土往生。「ただ念仏」と阿弥陀如来は呼びかけ続けているのです。

2010年6月 小澤秀導

2010年5月

私のお念仏は、いのちが私を生きている実感なのです

青木 新門『いのちのバトンタッチ』

2010年4月

されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。

『御文 第五帖目十六通』

「私は御文さんの中でもこの『白骨の御文』が一番好きなんだよ。」と、月忌参りのお勤めが終わると、毎回の様にこう言われるおばあちゃんがいます。そのおばあちゃんのお宅では、いつからか毎月『白骨の御文』を拝読するようになりました。

『白骨の御文』の中でも特に好きな言葉が、「されば朝には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なり。(私たちは朝に元気な顔であっても、夕方には白骨となってしまうような身なのです。)」だそうです。そして、おばあちゃんは、心臓にペースメーカーを入れていることを私に教えてくれました。ペースメーカーは、携帯電話の電波の影響などを受けて機械の誤動作を起こしてしまうことがあります。心臓は、人間の体の中で一番大事な部分ですし、いつも「何かあったら…」という不安があると言われていました。今は元気であっても、次の瞬間には死んでしまうかもしれない、そんな不安をいつも抱きながら、蓮如上人のお言葉を噛みしめていらっしゃる姿に、一日一日をただ何となくその日暮らしをしてしまっている私は、今、今日をどう生きるかを考えさせられました。

人の生涯は夢や幻のようで儚いものであります。どんな人も避けることのできないものが死です。死を考えることにより生が明らかとなり、命の行方を明らかにすることによって、今の私の命に気付くのではないでしょうか。

無常なる人生、明日も保証されない人生であるからこそ、後生の一大事にこころをかけて、阿弥陀さまをたのみ、お念仏する身になることが大切なことなのでしょう。

2010年4月 加藤 烈

2010年3月

辛いという字を一つのりこえると
幸せという字になる

にわ ぜんきゅう

一見、なるほどとうなずくことばではないでしょうか。辛い思いをされている方にとって励まされることばだと思います。しかし、本当にそれでいいのでしょうか。私たちの人生には辛いことも、幸せなこともあります。それは縁起の道理によって成り立っていることです。つまりこの逆、「幸せという字を一つ間違うと辛いという字になる」ということもあるわけです。

私たちは常日頃、自分の都合の良いように生きたいと願っています。多くの人が幸せに生きたい、災いを避けて生きたいと願っているでしょう。ところが、そんな風に都合良くは生きていけません。この世間では様々なことが次から次へと起こってきます。ここ数年は、特に辛いことのほうが多いかもしれません。そのせいか様々な癒しとされるものが流行っています。しかし、癒しは一時的なものでしかありません。苦しみや悲しみ、辛いことは、一時的に癒されたとしても決して消えてなくなる事は無いのです。苦しみや悲しみ、辛いときには、苦しみ悲しむしかないのではないでしょうか。苦しみは苦しみのまま、悲しみは悲しみのまま、ありのままを受け止めていかない限り、そこからの解放の道は開かれないでしょう。しかし、人間は弱いものです。そこから逃げ出したくなるのが人間です。時には様々な癒しも良いでしょう。しかし、一つ辛さを乗り越えたとしてもまた、辛いことはやって来るのです。生きて行く上で、決して逃げたり、避けたりしては通れないという自覚は必要だと思います。

2010年3月 真野琢児

2010年2月

心得開明(心、開明することを得つ)

『仏説無量寿経巻下』

心がふさがっていると感じる時。

心のふさがりは自分ではなかなか気づけない。なぜなら、心がふさがっていく時は、それどころではない。それどころではないから心がふさがっていく。どんどん心がこんがらがってくる。固くもつれた糸、それによって縛られる心。「ぎゅーっ」となる、という状態。そういうように心がふさがっていく時はたいへん苦しい。

心が開かれてくる時。心の開きも様々だが、卑近に思えば、ちょっとした視点の変化が心を解きほぐしていくきっかけとなることもたまにはある。 わたしが寮監として一〇も年下の二〇人の若者たちを見ていかなければならなかった時、どうしたらうまく監督・指導できるのだろうか、ということで気を揉んでいた。ある時、そういうわたしの気を察してか、ある人から「二〇人の先生がいると思えばいいんだ」と助言をいただいた。ふっと心が軽くなった。 何が心をふさがせていたのだろうか。自分で自分を苦しめていたのだろうか。

心の軽さを感じたということは、心が重くふさがっていた証拠である。その時はじめて心がふさがっていたと感じることができる。心がふさがっていたと感じた時は、すでに心は開かれていく方に向いている。

しかしながら、だいたい、わたしの心はふさぎがちである。 「心得開明」という教言をみて、かろうじて自分の心の状態を知れるのである。また、知っていきたいのである。真実に心を開きたいのである。

2010年2月 藤間哲祐

2010年1月

蚕繭(さんけん)の自縛(じばく)するがごとし

『往生論註』

「チワワ計15匹を保護、業者捨てる」、「反貧困2千人が集会 派遣労働者やフリーターら」、「宝くじ2億円当選女性殺害」などなど、気が重くなるニュースが目に飛び込んできます。

これらのニュースを見るたびに私は、「捨」という文字が頭に浮かんでしまい、たちまち不安に陥ってしまいます。なぜなら、かつて切り捨てられた経験が私にもあるからです。

しかし、なぜ捨てるのでしょうか、切り捨てられなければならないのでしょうか?

チワワ放棄では、販売業者が、チワワの売買時期が過ぎたため処分に困って捨てた可能性が高いとのこと。つまり、金儲け目的で無謀な繁殖をさせた上に、お金にならなくなったら捨ててしまうというのです。

派遣労働者の方々は、生産性がない人は即切り捨てられてしまい、ひいては、生きることをも否定されてしまう価値観、空気に曝されているといわれています。

宝くじ事件は、邪魔になった被害者を殺人という手段で切り捨てたのではないでしょうか。

これら「捨」の背景を見てみると、そこにはどれも「お金」という存在が蠢いているように思うのです。そして、さらにその奥底を覗いてみると、そこにはお金に縛られてしまっている私たちの縮図が見えるのではないでしょうか。

曇鸞大師のお言葉に「蚕繭の自縛するがごとし」(『往生論註』)があります。

ちょうど蚕が自らの繭で自らの体を縛るように、自分でよかれと思ってした行為が、自分自身をがんじがらめにしていることがこの譬えで表されています。

お金そのものに煩悩があるわけではありません。私の思いのフィルターにかかった時に、それは煩悩(貪・瞋・痴)へと変質すると聞きました。「お金さえあれば幸せになれるのに」と考える私が見つけられます。

お金からの解放という課題を持ち、聞法し続けたいです。

2009年1月 教化センター第4期研究生 佐藤広満

2009年12月

私共の善悪の判断は、
私共が私共自身を覚知する為に
最も切実なる要件である。

清沢満之「善悪の思念によれる修養」より

二学期に入ってから、愛知県内でも新型インフルエンザが流行りだした。そのうち自坊の学区でもインフルエンザが流行りだし、学級閉鎖や学校閉鎖になりだした。

その頃から、買い物などでの立ち話の話題はインフルエンザが中心になっていった。最初の頃は「お互い気をつけようね」といった話が、身近に流行りだした途端、具体的なクラス名や個人名で話されるようになっていった。

ある日、いつものように買い物をしていると子どもの同級生のお母さんと出会い、インフルエンザの話題になった。しかしその時は、途中で、会話に詰まってしまった。私の子が所属している部活でインフルエンザが流行っていたのだが、その部活の子どもたちと同じクラスだとうつりそうで怖いという内容であった。相手の人は、いつもと同じような感じで話していたのだろうが、私は、話題になっているのが自分の子どもの部活だったので、言葉に詰まった。

いつもと同じような会話なのに自身に関わりのあることだと相手に対しての判断も変わってしまう。最初は、その人に対して、不満に思った。しかし、今まで同じようにインフルエンザの話をしていたのは、紛れもなく私自身である。もちろん、悪口を言っているつもりで話をしていたのではない。情報交換などの軽い気持ちで話をしていた。しかし、私たちの話を、その話題に関係のある人が聞いたら、どのように思っただろうか。きっと私と同じように、私に対して不満に思ったであろう。

私たちは人との関わりの中で、自分が正しいと思って意見を言っている。しかしそれは、自分中心での善悪で意見しており、思い通りにならなければ自身に苦悩を感じる。自分の心が自他共に苦しみを生み出している。それは相手が問題なのではなく、自分自身の内なる問題なのではなかろうか。

今回、自身に関わることを通して、それを考えるご縁をいただいたように思う。

2009年12月 渡邉 泰江

2009年11月

一句一言を聴聞するとも、ただ得手に法を聞くなり。

『蓮如上人御一代記聞書』より

先日、娘との会話の中で、イソップ物語の中の「ウサギとかめ」が話題になりました。

私は生まれて五十年近くずっと、この話はコツコツと地道な道を歩み、努力することの尊さを讃えたすばらしい話であると、微塵も疑ったことはありませんでした。ところが娘は

「この話を初めて聞いたとき、かめは、ウサギを起こしてやればいいのにズルイなあって思ったよ。かめから挑戦状叩きつけたのだから、なおさらだよね。ズルして勝ってもうれしくないのにね。」

目からウロコでした。

上記の蓮如上人のお言葉については、「同じことを聞いても、それぞれが自分の受け取りたいように勝手に聞いているものだ。だから人が集まった時にはよく話し合いをして、それぞれが受け取ったところを確かめなさい。」ということをおっしゃっておられます。これは、教えが誤って伝わることを懸念されてのお言葉と解釈されています。確かにそれもあるでしょう。しかし、それぞれがそれぞれなりに受け取ってしまうのは、良いとか悪いとか言う問題ではなく、人間とはそういうものであるといっていいと思います。ただ、それを放っておくことは、大変危ういことであり、またもったいないことだと思うのです。

私達は毎日の生活において、自分の理解を正しいものとしがちです。さらに、理解できないものに対しては、理解できるように「得手」に加工したりします。しかしそうやって「得手」に加工したものからは、何の出会いも生まれることはないでしょう。

深く「談合」し、異質なものと出会いを重ねることで開かれる世界があります。それは同時に、自分自身との出会いとなるのかもしれません。

蓮如上人が目指されたのは、そこにあったのではないかと思っています。

2009年11月 冨永 茂子

2009年10月

いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし

親鸞聖人・『歎異抄』第2条

近頃、月忌参りの時に、介護の悩みを相談されることがある。「かまって欲しい」とか「これ以上家族に迷惑かけたくないから、もう殺してほしい」「長生きもいいことないね」「私だっていつ倒れるかわからないよ」など、実に切実である。どの方からも、まさに人の命を背負っているという重みと、「それでも生き抜くぞ」という強い覚悟を感じるのである。

医療技術の進歩は、人を長寿へと導いた反面、介護生活の長期化ももたらした。厚生労働省によれば、2007年度の介護殺人は、年間27件にも及ぶという。「この生活がいつまで続くのか」という先が見えない不安が、だんだんと互いの心をむしばみ、その結末に「介護の疲れによる自殺や殺人」をも招いてしまうことになっているようである。

私自身、家族を介護することを想像してみた。少々の問題が起きても、まさか家族を殺すことなんて想像もできない。己の努力を信じて自分なら乗り越えられるものと信じたい。しかしながら、自分の力や試すことがどれも及ばなかったら……、何のための人生かと、身を投げ出すかもしれない。愛するがゆえに、家族をこの手にかけてしまうかもしれないとも思えた。やはり、人は追い詰められたら、何をするかわからないという、生々しい生命を生きているのだろう。

介護する者、される者。それぞれが今を必死に生きている方々の姿は、ごまかしの利かない現実を、「一定すみか」として生きている人として、私にはとても輝いて見えた。

2009年10月 河田 和幸

2009年9月

「私がなぜか不安なのは、頼むものが無いからではなく、
頼むものをしっかりと握っているからだ」

和田稠

老人ホームに入っていたある老婆が、片時も離さずに持ち続けて、トイレや風呂へ行くときも握り締めていたもの。それは「黒いハンドバッグ」だった。誰一人として他人にさわらせず、会いに来た子どもや孫が不審に思って、ハンドバッグに手を伸ばしたときにも必死に奪い取った。家族は、そのパンパンに膨れ上がったハンドバッグの中身を見てはいないが、必死に守ろうとする母親の姿に、家族は「ある確信」を抱くようになった。

その時から家族は、老人ホームに、そして病院に足しげく面会に現れるようになり、かいがいしく身の回りの世話を焼くようになった。世話をしているときも隙を見て中身を確かめようとしたが、作戦は全て失敗した。

とうとう、その老婆が病院で亡くなった。家族は最後の手続きを済ませた後、遺品の「黒いハンドバッグ」を開いた。固唾をのんで見つめる中に現れたのは、無造作に折りたたみねじ込んであった大量の新聞紙であった。「ある確信」のもとに世話をしつづけた家族は、愕然とした。その「ある確信」とは ― 通帳などの金目のもの ― だったのだ。

老婆は家族から切り離されて、孤独で不安だった。だから芝居を打った。また、家族は「金目のもの」への思いを握りしめながら不安に駆られて何度もハンドバッグを開けようとした。家族が愕然としたのは、期待した金品ではなかったことよりも、芝居を打たざるをえなかった母親の悲しみと、母親にではなく金品に寄り添おうとした家族の不実さに気付いたからであった。

結果として、老婆の作戦勝ちと言えるのかもしれない。しかし、何かを頼み握りしめて生きてゆくことしか知らない人間の悲しみが、そこにはある。そしてその悲しみの深さを、確かな智慧によって気付き続けてゆくことが、不安から解き放たれてゆく唯一の道であろう。

不安が渦巻く時代の中で、頼みになるものを探して対処しようとする私たちに送られた金言である

2009年9月 竹原 了珠

2009年8月

「これでいいのだ。」

ある本にこう書いてありました。

「妻とすごく合わないな。と思っていた時期があります。彼女は映画も見ず、本もそれほど読まず、たまにはおいしいレストランに行こうと誘っても乗り気にならない。旅行もさほど興味を示さない。それでいて掃除や洗濯など日常のことにたっぷり時間をかける。彼女には好奇心というものはないのかと一緒にいて思ったのです。新しい世界を見たくないのか?と。」価値観がすごく違うと思ったそうです。

著者は新しい事に触れていきたいタイプ。

奥さんはなじみ親しんでいる物を愛したいタイプ。

けれども、ある時自分の価値観だけが正しいわけではないことに気付き、非日常を愛する自分と日常を愛する妻。正反対だけれど自分の価値観だけが正しいわけでなく、違うからこそバランスがよく、違うからこそ惹かれたのだと感じたそうです。

「これでいいのだ。それもいいのだ。あれもいいのだ。時間を一緒に積み重ねてこられたことの喜びを感じ、人生、これでいいのだ!」

うーんなるほど・・私も結婚して三年経ちましたが、仕事のこと、子育てのこと、生活の中のこと、何かと意見が違うこともあり、衝突することもしばしば。例えば「子供のプレゼント、ジャングルジムがいいね。」「長く使えて為になる図鑑がいいよ。」

価値観は生まれ育った環境や土地柄でも違うだろうし、男と女でも違うのかもしれません。子供に対して、少し野性的に父親として接する私、優しく包み込むように接する母親としての妻。どちらも必要です。違っていてとてもバランスが良い。

私が仕事で悩んだ時も自分では思いつかないような意見をくれる。お互い自分にないものを持っているから引き合えているようだ。自分の考え方を押しつけ合わないで違いを認め合うことが大切なのだ。

すごく簡単な言葉だけども奥が深い。「これでいいのだ。」

2009年8月 服部 大

2009年7月

天上天下 唯我独尊
(天にも地にも、ただ独りわたしとして尊いのである)

『釈尊 生涯と教え』(真宗大谷派学校連合会刊)

かつて、工場で機械のように毎日あたりまえのように働いていた頃、「私は何のために生きているのだろう」そんなことばかり考えていた。

先日、テレビで800万人に1人の割合といわれる難病「プロジェリア」という、早期老化症を患っていたアメリカ人のアシュリー・へギさんが17歳という若さで亡くなったということを知った。

私と彼女との関係は、テレビを通しての関係なのだが、生まれながらにして難病を抱え、病気そのものを個性として受け止める彼女の姿は、以前から親しくしていた友人のような感覚を憶えていたのである。

彼女の訃報は、胸が「ぐっ」と込み上げるような衝撃を私に与えた。

人はこうなのに自分はこうだとか、誰かと自分を比べてどうこう考えたりしない。

誰だって完璧じゃないもの。

アシュリー・へギ著 『All Åbout Ashley』より

私の望む幸福は、健康を前提としたもの、平均寿命を前提としたものばかり。そして、都合の悪いことに腹を立て、常に身勝手な生き方しかできない我が身が知らされる。本当の幸せは外にはどこにもない、このあるがままの身にあったのだ。

釈尊は生まれた時に、「天にも地にも、ただ独りわたしとして尊いのである」と宣言したと仏典に伝えられているが、二人の共通するところは、人は生まれたことに目的があることを教えてくれている。それは、今、ここに生きていることへの驚きであり、あたりまえの日々が奇跡の連続であったと教えてくれている。

2009年7月 林 博行

2009年6月

阿弥陀さまのひかりを こころにあびて
きょうの日もやすらぎに みたされていく
わけへだてない慈悲は 雨より多く
山のようにひろがり すべてをつつむ

仏教讃歌『ひかりあふれて』より

「APさーん」と、道の反対側から可愛い声が聞こえます。見ると、トワイライトスクール(放課後学級)に通っている二年生の男の子です。

「はるくーん。気をつけて帰るのよー。」

「はーい」

地域の小学校のトワイライトスクールのAP(アシスタントパートナー=地域協力員)をさせていただいてから、街ですれ違う子どもたちが声をかけてくれるようになりました。

また、ベビーカーを押しながら、 「あっ、こんにちは!」

子育てサロンで出会う赤ちゃん連れのママがにこやかに挨拶してくれます。ベビーカーの中の赤ちゃんを覗けば自然に表情もほころびます。なにげない日常のほんの一コマでも、まぶしいいのちの輝きの前では、なんとも言えない爽やかな風が流れ、ほんわかとした嬉しい気持ちになります。

大阪市西淀川区でおきた児童虐待事件。小学四年生の少女のいのちの灯が、またしてもはかなく悲しく消えてしまいました。同居する男性の六歳の男児の証言が「ベランダふとんで、おねえちゃんは寝た。」というものです。無邪気な子どもから発せられた、あまりにも衝撃的なことばに私は茫然と立ち尽くしてしまいました。

母親は生み終えた瞬間に、いのちの尊さを強く味わったはずです。なのに、どうして守ってあげられなかったのでしょうか・・・

幼いいのち、かけがえのないいのち。乳母日傘(おんばひがさ)のごとく、健やかで心豊かな生を全うしてもらいたい。どの子にも明るく優しい表情が注がれて成長できることを願わずにはいられません。

『ひかりあふれて』の美しいメロディと歌詞が浮かんでいました。

2009年6月 勅使邦江

2009年5月

想い想われ想い合う
その瞬間に出合えたことをただ感謝

先日、買物に行く途中、村はずれのお地蔵様の前に車椅子のおじいさんをみかけました。一人で車椅子に乗って、お地蔵様にお参りするのを、リハビリの日課にしてみえるのでしょうか、おじいさんは、しきりに首だけ動かしてお辞儀をしていました。両手を合わせてお参りする姿をあたり前のように見てきた私にとって、ただお辞儀を繰り返すおじいさんの姿は、とても気になるものでした。きっと不自由なお身体では、両手を合わせてお参りする事が出来なかったのでしょう。

おじいさんが、手を合わせてお参りする代わりに、お地蔵様に向って、謝っているかのように、何度も何度もお辞儀を繰り返す姿が、いつしか、分かった・分かったと肯いている姿に見えてきました。おじいさん以上に、何一つ自分の身体を動かすことの出来ない石のお地蔵様に代わって、おじいさんが肯いている・・・そんな風に見えたのです。明るい春の陽差しの中で、おじいさんとお地蔵様が一体化したような光景が、そこにありました。

仏様と人の関係は、ただ頭を下げるだけでも、手を合わせるだけでも、念仏するだけでも、その瞬間、一つになって、同じ場所で、同時に向き合って、想い合うことが出来る・・・そんな関係なのだという事を教えてくれた車椅子のおじいさん。運転中だったので、手を合わせる事も、声をかけることもできませんでしたが、感謝します。ありがとうございました。

2009年5月 小笠原峰子

2009年4月

み光のもと
われ今さいわいに この清き食をうく
いただきます

食前のことば

「いただきます」命をいただきます。この身の血となり肉となるものにありがとうと感謝する。

「ごちそうさま」様々な食材を作り、集め、料理を作ってくださった方々にありがとうと感謝する。

よく聞き慣れた言葉だが、その意味を、手を合わせて感謝することを忘れてしまっていないだろうか。

先祖の方々やそこに関係した方々など様々な命によって、今この「身」「いのち」はある。そして現在、この「身」も様々な繋がり、「いのち」の関わりの中にある。この「身」を支え、生かしめているものは無数の「いのち」である。無数の「いのち」を奪ってしか生かしめていけない「身」である。「自分一人で生きている」「誰の助けも借りずに生きていける」などと、いくら言おうが、これは紛れもない事実である。繋がりを生きているのだ。

我々が食材と呼び、口にしているもの。そんな彼らからすれば、我々に食べられる為だけに生きているものはないだろう。それを当然のように飼育し、栽培し、食用にしているだけである。様々に操作してまでも、この「身」を安定的に保ちたいと思っているのだ。

そんなこの「身」「いのち」の事実をしっかりと見て、その姿、有り様を見つめ直す中に「いただきます」「ごちそうさま」という言葉の持つ意味、その心が問われてくる。その中にあらゆるものに感謝していける生活、その一歩が踏み出していけるのでないか。

2009年4月 下間寿昭

2009年3月

大丈夫だよ生きていけるよしっかりおやりよ

祖父江文宏 「悲しみに身を添わせて」

小さい人たちの苦しみに身を添わせ、仏法に生きられた祖父江文宏さん。苦しみは一人ひとりの問題であり、一くくりにできるようなものではない。一人の苦しみを聞き、そしてそこから一緒に生きようとするところから仏道は開かれると、祖父江さんの生き方、ことばから教えられたように思います。

目の前に苦しむ人を見失ってはならない、苦しみに身を添わせるところにしか仏に出会う道はないと厳しく語られたその根底には、親鸞聖人の仏道に励まされるように、念仏を繰り返し問いながら、小さい人たちの虐待の問題や暴力の問題に向き合ってこられた歩みがあります。

その中で、南無阿弥陀仏が、「大丈夫だよ。生きていけるよ。しっかりおやりよ」ということばに聞こえて仕方がありません。とても元気が出るのです、と念仏を表現しておられました。念仏が生きる力となって現実にはたらいている証だと思います。そのことばは、そのまま小さい人たち、祖父江さんに出会った人たちへ伝えられ、生きる力が周りへと開かれています。

仏のはたらきに出遇うことは、自分自身の力となり、前に歩みだす力になります。同時にそのはたらきに出遇ったものは、私一人の安心にとどまることなく、周りの苦しみに目を開き、向き合い、一緒に生きようとする歩みが生まれます。それが念仏として開かれた仏道であるといえるのでしょう。

2009年3月 吉田暁正

2009年2月

生きてある、この身は他力の、おかげかな

おかげさんで・・・

七年前、母は八四歳で逝った。父が五十四歳で逝ってから三十二年が経っていた。母は、一人になってから、よく、お寺さんへお話を聞きに行くようになった。特定のお寺さんを定めている訳ではなく、同じ浄土真宗のお寺さんであれば、聞法会があると聞くと朝早くから出かけていた。何時の間にか、帰敬式を受け、院号の付いた法名を大事に仏壇の横においていた。

六十歳になった年、大腸がんの手術をしたが元気になって、またお寺さんへこまめに出かけていた。そんな母が、七十歳を過ぎたころのある日、尊厳死の会に入会したと言って、私に入会を勧めた。そして「おかげさんで、いただいた命だから、お迎えが来たらこのまま、連れて行ってもらうから、私が病気になっても、検査も手術もしなくていい」と言った。そのときは、何気なく聞き流していた。

八十三歳になった暮、下血があって急遽近くの病院に入院した。大腸がんの再発で腸閉塞を起こしていると思われる、すぐ手術をしないと三ヶ月も持たないという。主治医と治療の相談をしていたが、母は自分の体に気付いていたようで、「おかげさんで、お父さんより、三十年も長生きさせてもらったから、もう何もせんで良い」と言い張って治療を拒んだ。病室で点滴だけの入院生活になった。趣味の俳句の会の人達が見舞いに来てくれて「調子はどうですか・・・」と聞かれると、決まって「おかげさんで・・」とだけ応えていた。

体力も衰えてきた初夏のころ、病室の窓から見える、うどん屋の「長命うどん」の看板を指差して、「あの、うどんが食べたい」と言って笑った。本当にうどんが食べたかったのかもしれないが、長命と言う名前に、近づくものへの思いがあるようにも思えた。

暑い夏が過ぎると一気に弱って、九月に入ると一点を見つめるようにして、一言も、辛いとも、痛いとも、痒いとも、言わず静かに息を引き取った。

九ヶ月の入院の間、私たち子供にも何も求めず、ただ静かに「おかげさんで・・・」と言ってその期を迎えた。一体どんな思いであっただろうか。

私は、告別式の会葬御礼の挨拶の中で、思わず「母に、人間の往生際を教えられた思いがする」と言ってしまった。

母が、冷静に自分の死を見つめることが出来たのは、母の目には、誰のおかげさんで生きて、誰が迎えに来るのかが見えていたのではないか。

私は、母が、おかげさんで、浄土に往生したような気がしてならない。

2009年2月 八木千春

2009年1月

蚕繭(さんけん)の自縛(じばく)するがごとし

『往生論註』

「チワワ計15匹を保護、業者捨てる」、「反貧困2千人が集会 派遣労働者やフリーターら」、「宝くじ2億円当選女性殺害」などなど、気が重くなるニュースが目に飛び込んできます。

これらのニュースを見るたびに私は、「捨」という文字が頭に浮かんでしまい、たちまち不安に陥ってしまいます。なぜなら、かつて切り捨てられた経験が私にもあるからです。

しかし、なぜ捨てるのでしょうか、切り捨てられなければならないのでしょうか?

チワワ放棄では、販売業者が、チワワの売買時期が過ぎたため処分に困って捨てた可能性が高いとのこと。つまり、金儲け目的で無謀な繁殖をさせた上に、お金にならなくなったら捨ててしまうというのです。

派遣労働者の方々は、生産性がない人は即切り捨てられてしまい、ひいては、生きることをも否定されてしまう価値観、空気に曝されているといわれています。

宝くじ事件は、邪魔になった被害者を殺人という手段で切り捨てたのではないでしょうか。

これら「捨」の背景を見てみると、そこにはどれも「お金」という存在が蠢いているように思うのです。そして、さらにその奥底を覗いてみると、そこにはお金に縛られてしまっている私たちの縮図が見えるのではないでしょうか。

曇鸞大師のお言葉に「蚕繭の自縛するがごとし」(『往生論註』)があります。

ちょうど蚕が自らの繭で自らの体を縛るように、自分でよかれと思ってした行為が、自分自身をがんじがらめにしていることがこの譬えで表されています。

お金そのものに煩悩があるわけではありません。私の思いのフィルターにかかった時に、それは煩悩(貪・瞋・痴)へと変質すると聞きました。「お金さえあれば幸せになれるのに」と考える私が見つけられます。

お金からの解放という課題を持ち、聞法し続けたいです。

2009年1月 教化センター第4期研究生 佐藤広満

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