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暁天講座




毎年8月1日から5日まで、5日間の早朝講座。午前6時15分からお勤めが始まります。講座は午前8時頃まで。聴講無料。毎年多彩な講師陣で開かれ、聴講者にはパンと牛乳をお配りします。夏の朝、自分の人生に向き合うひと時を、ともに過ごしませんか。

 

 

8月1日~5日/午前6時15分~8時/名古屋別院本堂アクセス
※聴講無料
※手話通訳をご希望の方は事前にお申込みください。
★暁天講座を5日間ご聴講の方に、名古屋別院 報恩講のお斎(とき:食事)券引換券(12月14日~18日に利用可能)を進呈します。詳しくはお問合せください。


日々さまざまな現実問題が迫り来る。
その対処に追われる日暮しは空しい。
人間として生まれたその根本問題に、
いま改めて真向いになっていきたい。

  

2016年8月1日(月)













講師名 海 法龍(かい ほうりゅう)
肩書き 真宗大谷派首都圏教化推進本部員
神奈川県・長願寺住職
講題 浄土に居す

【略歴】

1957年、熊本県生まれ。大谷専修学院卒業。現在、真宗大谷派首都圏教化推進本部員。神奈川県・長願寺住職。大谷派首都圏広報誌『サンガ』編集委員。東本願寺同朋会館教導。
 

【主な著書】

写真詩集『東京断章』(ビーンズ・エンターテイメント)、『大きい字の法話集―今、いのちがあなたを生きている』(東本願寺出版部)、日めくりカレンダー「一語一会」「凡夫のつぶやき」
リーフレット「通夜・葬儀のこころ」「中陰のこころ」「法事のこころ」
など

【講演要旨】

ここに生きて居るのは独りで生きて居るのではなく、他者(家族・友人・知人・地域・学校・職場・国・世界)と共に生きて居ます。私の居る所が他者と共に生きて行ける場所にならなければ、私たちは居場所を失い、生きることが難しくなります。親鸞聖人は共に生きて行ける場所を「南無阿弥陀仏」の名号に見出し、自らの居場所として生きて行かれました。聖人のお手紙には「信心の人はその心すでに浄土に居す」と示しておられます。

2016年8月2日(火)

   


講師名 菅原 文子(すがわら ふみこ)
肩書き 農業生産法人役員
辺野古基金共同代表
講題 声なき人たちの事を聞く

【略歴】

1942年東京都生まれ。立教大学文学部を卒業。現在は、2009年より山梨県で文太さんが設立した農業生産法人を運営しながら、小学館の月刊誌「本の窓」でエッセー「朝の紅顔 夕の白骨」を執筆している。

【講演要旨】

声なき人たちとは、二つの意味があると思います。サイレント・マジョリティ、意見を言わず沈黙する多数の人々の意味ではありません。情報が少ないために私たちからは見えない世界に暮らす人々の声であり、もう一つは、語りたくても語ることのできない死者たちの声のことです。この二つの声なき人々の声に耳を澄ますとき、私たちが「常識」と思っていることが偏見であったり、「良識」が差別かもしれないことに気づくのではないでしょうか。いつも自分を疑い、声なき人たちから教えもらうことを大事にしたいと思います。

2016年8月3日(水)


講師名 中村 桂子(なかむら けいこ)
肩書き JT生命誌研究館館長
講題 「生きている」を見つめ「生きる」を考える

 

【略歴】

1959年3月、東京大学理学部化学科卒業。1964年3月、 東京大学大学院生物化学専攻博士課程修了。同年4月、国立予防衛生研究所研究員になる。1971年5月、三菱化成生命科学研究所社会生命科学研究室長。1981年4月、 三菱化成生命科学研究所人間自然研究部長。1989年4月、早稲田大学人間科学部教授。1993年4月、JT生命誌研究館副館長。1995年5月、東京大学先端科学技術研究センター客員教授。1996年4月、大阪大学連携大学院教授。2002年4月、JT生命誌研究館館長。

【主な著書】

「自己創出する生命」(哲学書房)、「ゲノムを読む」(紀伊国屋書店)

【講演要旨】

人間は生きものであり、自然の一部です。現代生物学は、地球上のあらゆる生きものがDNA(ゲノム)をもつ細胞でできていることを明らかにし、生物は祖先は一つと考えています。もちろん人間もその仲間です。そこで、他の小さな生きものたちの生きている様子をよく見つめ、そこから生きものとしての人間のよい生き方を学ぶことが大事と考えます。
 アリ、チョウ、クモ、イチジク、バクテリア・・・さまざまな生きものがどんなことを教えてくれるか。楽しみです。

2016年8月4日(木)


講師名 城井 文(しろい あや)
肩書き アニメーション作家
講題 見えない世界がくれるもの

 

【略歴】

1968年生まれ。東京芸術大学美術家修了 ミュージックビデオ・CM・こども番組のアニメーションや絵本など手掛ける。DVD「象の背中」原作 秋元康/アステラス製薬TVCM「僕は、アステラスのくすり」/ふるさと再生日本の昔ばなし「こおった声」「一寸法師」/NHKみんなのうた「ポッケ」/絵本「くものうえのハリー」/平田静子 著「そういえば、いつも目の前のことだけやってきた」カバーイラスト(マガジンハウス)/ソニーミュージック RAMWIRE「僕らの手には何もないけど」PV/など

【講演要旨】

子供この頃にふと、自分の祖母から父が生まれ父から私が生まれたのだときづいたとたん、自分の番が来たらこの世に生まれてきたんだ!と強く認識したのが自分の生死観のはじまりです。学生の頃からアニメーションを作りつづけ、初期の頃から私の作品には雲の上の「あの世」が登場するようになりました。大人になりさらに臨死体験や、いろんな角度で見るあの世の研究を知るにうて、その生死観は確信に近いものになりました。今回はその生死観を前面に出した絵本「くものうえのハリー」の朗読を元に、なぜ生きる事に意味があるのかをお話したいと思います。

2016年8月5日(金)




講師名 藤嶽 明信(ふじたけ みょうしん)
肩書き 大谷大学教授
講題 本願との出遇い

【略歴】

1953年、三重県生まれ。1976年、大谷大学文学部真宗学科卒業。1982年、大谷大学大学院博士課程満期退学(真宗学)。現在、大谷大学教授。

【主な著書】

『本願念佛の開顕―『選択本願念佛集』講讃―』(東本願寺出版部)、『蓮如上人―親鸞聖人の教えに生きた人―』共著・(同)『ブッダと親鸞―教えに生きる』共著(同)

【講演要旨】

親鸞聖人の人生における確かな歩みは、法然上人の教えとの出遇いを通して始まりました。それは「本願に帰す」(『真宗聖典』三九九頁)という阿弥陀仏の本願との出遇いであったと記されています。法然上人においても同様に、本願との出遇いこそが確かな歩みの出発点であったと語られています。流罪など多難なお二人の人生において、本願との出遇いはどのような意味をもっていたのでしょうか。ご一緒に尋ねたいと思います。
 

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