文化・文政期の本堂
 (『名古屋別院史』「絵本富加美草紙」より)
 
真宗大谷派名古屋別院(東別院)は、元禄3(1690)年、尾張の地に本願念仏のみ教えを伝える道場として、一如上人(東本願寺第16代)によって開かれた真宗大谷派の寺院です。

当時の尾張藩主、徳川光友公より織田信長の父信秀の居城「古渡城」の跡地1万坪の寄進を受けて建てられました。以来、約300年にわたり、名古屋別院は尾張の人々の信仰を仰ぎ、広く「御坊さん」の名で呼び親しまれています。

親鸞聖人は、鎌倉時代、「本願を信じ、念仏申さば仏になる」と、すべての人が「南無阿弥陀仏」一つで救われることを明らかにされました。そのみ教えは、室町時代、蓮如上人によって弘められ、尾張の人々にも大切に受け継がれてきたのです。

ところが、昭和20(1945)年3月の名古屋空襲によって別院はそのほとんどを焼失してしまいました。しかし戦後の混乱も治まった昭和37(1962)年、尾張門徒の総力をあげて現在の本堂を再建し、いまにその姿を伝えています。
戦災以前の本堂
名古屋別院年表
1679(延宝 7)年

一如上人、東本願寺16代を継職

1687(貞亨 4)年 この頃、名古屋城下6ヶ寺、名古屋御坊建立を本山に請願
1688(〃  5)年 名古屋城下の東本願寺派(現大谷派)寺院の大半、名古屋御坊建立に反対
1690(元禄 3)年 御堂衆閑唱寺了誼、名古屋御坊初代輪番に任命。尾張藩二代藩主徳川光友、名古屋袋町泉龍寺を名古屋御坊として公許
1691(〃  4)年 徳川光友、古渡城址(現在地)を御坊の地として寄進
1692(〃  5)年 梵鐘を鋳造。仮御堂が完成
1694(〃  7)年 本堂建造のための地築はじまる
1702(〃 15)年 本堂が完成
1805(文化 2)年 名古屋御坊再建の釿始式
1823(文政 6)年 東本願寺両堂焼失。名古屋御坊の古御堂を東本願寺の仮本堂に転用することを決める
1871(明治 4)年 名古屋御坊を名古屋本願寺と改称
1873(明治 6)年 名古屋本願寺を名古屋管刹と改称
1874(明治 7)年 名古屋管刹で名古屋博覧会はじまる。愛知県庁を名古屋管刹内に移す
1876(明治 9)年 名古屋管刹を名古屋別院と改称
1878(明治11)年 名古屋別院、明治天皇の行在所となる
1879(明治12)年 名古屋別院で第一回愛知県議会がはじまる
1894(明治27)年 日清戦争により、名古屋別院、兵舎となる
1904(明治37)年 日露戦争により、名古屋別院、軍用に徴発される
1924(大正14)年 御東幼稚園開設
1945(昭和20)年 3月12日空襲により、名古屋別院全焼
1966(昭和41)年 本堂完成。「名古屋御坊」誌創刊
1990(平成 2)年 名古屋別院開創三百年・開基一如上人三百回忌勤修
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