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第18回「ひとくちweb法話」(梅原 博氏)を配信いたします。どうぞご一読ください。

ひとくちweb法話


新型コロナウィルス感染症の感染拡大防止のため様々な教化事業の中止・延期が余儀なくされています。名古屋別院で毎月5日~28日まで行われている「定例法話」なども例外ではありません。そこで、このような時だからこそ皆様に安心・安全に「法話」をご聴聞いただきたいということで、この度「ひとくちweb法話」を始めさせていただきました。ぜひ、ご一読ください。
なお、名古屋別院内でも紙面にて配布させていただいております。
また、添付されているPDFデータを印刷していただき、聞法会・学習会などでもご利用ください。

 

【NEW】第18回 「信そして行を問う」

 

改めて「信」とは、念仏の「行」とは、どのようなことか考えてみたい。

我々は、自らの合理的考えに基づき納得出来なければ何事も信じるという訳にいかないというのが一般的であろう。ましてや念仏を称(とな)えることなどできない。つまり我々の信(信じるということ)の多くは、自らの思考回路を成り立たせる知的理解を切り離せず、そして行い(念仏すること)はその知的理解と伴って出る。

しかし、このような自力の信では無量と無限の阿弥陀の絶対性に通じない。ここにおいて、自らの知的理解を超えるごとき阿弥陀より差し向けられるという信、そして行が案じられてくるのである。

そこで親鸞聖人の『教行信証』である。そこには、阿弥陀より差し向けられた信と行を「大信(だいしん)」「大行(だいぎょう)」と戴(いただ)かれているのを窺(うかが)う。これによって我は、我の信と行さえも包み込む大いなるはたらきに出遇い、先ず眼前に為しうる行に直面する。我はただその行を為してゆかねばならぬ。この行の連続(れんぞく)無窮(むぐう)(連続して途切れない)が阿弥陀からの信を確実にする。

実はその行とは、我々の今の労苦する生活に他ならない。念仏の行はその労苦そのものの上にある。しかるに、その労苦の続行に労苦を超えしむ絶対の信が成り立っていることを『教行信証』に記すことをもって保証していると思うのである。

中村区(以速寺)梅原 博

*PDFデータ

 

第17回 「真宗の教え」

 

真宗は、「念仏を称(とな)えて浄土に往生させていただく教え」です。 ところが、念仏を称えてもなかなかよいことはありません。ましてや 浄土に往生させていただける実感は湧かないのではないでしょうか?

私たちがわからない原因は、私たちの意志とか努力とは関係なく、浄土に往生することが決定されているからです。仮に、「地獄に堕(お)ちてもよい」と思っていたとしても、私たちは必ず浄土に往生することが決定(必定)しています。大ヒット・ドラマ「DoctorX外科医・大門未知子」のキメ台詞「私、失敗しないので」のように、他力であるから往生浄土は確実に実現できるので、失敗のしようがありません。すでに浄土に生まれるべき身と定まった仲間の数に入っているわけですから。

なかなか素直に信ずることはできないかもしれません。しかし、そのように信ずることのできないわが身にこそ、阿弥陀さまの大悲の願いがかけられているのです。誠に有難いことです。

仏さまの存在を疑ってばかりいるわが身に仏さまの悲しみの心が注がれている歓びを感じながら、私たちの方からも念仏を称えていきましょう。そのような自力のこころも、決して否定されるべきで はありません。

他力はよくて、自力ではダメだと言われる方がいます。他力は自力の反対語ではなく、本来、他力とは言葉で表現不可能な不思議なお言葉です。他力の中では自力を尽くすことが許されているのです。私たちが普段使っている「他力」は、他力という名は同じですが、中身は自力と同じ概念でしかないのかもしれません。

私たちは安心して自力を尽くしながら、阿弥陀さまの願いに呼び 覚まされ、さらに他力念仏の世界に転じて深まっていかなくてはなりません。天命(他力)に安んじて人事(自力)を尽くしていきましょう。

西区・慶榮寺 瀧 義範

*PDFデータ

 

第16回 「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべ」き我が身

 

長引くコロナウイルスによる自粛生活の中で、様々な差別や偏見が問題になり、果てはネット上での誹謗中傷に至るまで、行き過ぎた言動が横行している今日この頃。

私には「自是他非」という言葉が思い浮かびます。自分にとって不都合な他者を排除したい、人を非難して止まない。そのような心は自分にもある、間違いなくあると、いただきました。

思えば「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」(人は条件や状況が整えば、自分の思いに関係なく、どんな行為でもする/『歎異抄』第13章)と、親鸞聖人は教えてくださいました。その時その時の自分の都合や立場で、善悪は簡単に入れ替わるように、実は人間そのものが全く当てにはならないということをおっしゃっているのです。これこそ仏教が説く人間観でありましょう。

仏法は、私どもが普段当たり前と思っている価値観や考え方に対し、「あなたはそれで本当にいいのか」と、根底から問い直す教えなのです。

世間法から仏法への転換の歩みを続けていきたいものです。

稲沢市・德善寺 加賀 手良雄

*PDFデータ

 

第15回 「相続ということ

 

「相続」という言葉を聞くと、どのようなことを思い浮かべますか?

多くの方が、遺産相続や相続税といったようなことを思い浮かべるのではないかと思います。財産や土地を次の世代にどう残していくのか、そんなことに悩んだこともあるかもしれません。私自身も、子どもが二人いますが、「この子たちが将来苦労せずに生活できるように今頑張らないといけないな」と、そんなことを時折考えることがあります。

その「相続」という言葉は、仏教の言葉が語源となっています。仏教辞書を繰ってみますと、「相」という字は「すがた。かたち。ありさま」、そして「相続」とは「続いていくこと。連続して存在していくこと」とありました。

私たちは、自身を含めあらゆるものが変化し続ける諸行無常の世を生きています。その中で絶えず連続して存在してきたものがある。これを仏教は「相続」という言葉で伝え、真宗では「念仏相続」などと言ってきたのではないでしょうか。

私たちは、普段何気なく仏さまに手を合わせています。しかし、その手を合わせている私の背景には、多くの人々が仏法に出遇い、念仏申し、念仏をすすめてきたという、念仏の相続があるのです。

自分の人生で培ったことを、形として残していこうということは大切なことだと思います。しかし、今ここに生きている私にまで相続されてきた念仏とその願いを、そこに連なる一人として確かめ続けていかなくてはならないのだと思います。

中村区・西光寺 加藤淨恵

*PDFデータ

 

第14回 「粃(しいな)は出ていけ、実は残れ

 

孫の一歳のお祝いを娘婿の実家のある長野県で行いました。愛知県に住む私には、馴染みのない風習を伴った行事でした。長野県は色々な風習が色濃く残る地域で、その一つが子どもが一歳になった時のお祝いに風呂敷やリュックに「一升餅」(約二㌔)を入れて子どもに背負わせる風習です。「一升餅」の名には、「一升」と「一生」が掛け合わされていて、「一生食べ物には困らないように」「これからの人生が円満で健やかであるように」との願いを込められています。昔は医療が十分ではなく生まれてから一歳になるまで、小さい子どもが無事に育つことが大変だったため一歳の誕生日だけは特別な思いがあったのです。

また、長野県では、一升餅の他に農業で穀物の選別に使う「箕(み)」と呼ばれる農具に子どもを乗せて「粃は出ていけ、実は残れ」と言いながら箕を揺らすということを行います。「粃」とは中身のない籾殻(もみがら)のことで、子どもの中の籾殻のような粗悪な部分は飛ばして、本当に良いところだけが残り、丈夫で健やかに育ってほしいという願いから行われる農村文化の一つです。

こういった地方に伝わる子どもの成長を願うお祝いの行事は、人間のとても純粋な感情から生まれたものですが、改めて仏教の視点から考えてみると私たち人間の願いというものは、欲望や理想といった、実に自己中心的な心から出発しています。それ故に、時として私たちは個人の幸せを願い求めるあまり自分自身や他者を犠牲にしたりして傷つけ合うことも多々あります。そして、私たちの願いは、思いどおりには決してならないことを誰しもどこかで気づいています。気づいているのにそれを求めてしまう、これは自分が自分の人生を引き受けられないということであり、人間にとって一番困ったことだと言えるのではないでしょうか。

私が私でよかったといえる人間にしてやりたいというのが、仏様からの願い(本願)だと教えられます。孫を持つ身とさせていただいて、初めて亡き父が発していた「孫は目に入れても痛くないなぁ」という気持ちを実感しました。尊い〝いのち〟を賜ったが故に、孫にはどのような人生でもわが身を引き受ける力と勇気をもってほしいと愛知のジージは願っています。

稲沢市・善慶寺 住田昭信

*PDFデータ

 

第13回 「珠数のおはなし」

 

仏様を拝む時、手にかけるものを「珠数」といいます。では、なぜかけるのでしょう。

ちょっと自分の手を見てみましょう。この手で美しい花の世話をします。子どもの頭をなでます。立派な仕事やお手伝いをします。でも、他人をたたいたり、殺人兵器をつくったりと、ひどいこともします。

 

今一度、手を洗い、手を合わせ、珠数をかけると、手は動かせなくなります。すると、今まで見えなかったものが見えてきます。気づかなかったことが気づくようになります。

手を動かしている時は、目は外(手のほう)ばかり見ていましたが、珠数をかけて手が動かなくなると、自分のしていることはこれでいいのかと、目が内側に向いてくるのです。

「あんなことを言ってまずかったなぁ」、「あんなことをして失礼だったなぁ」と自分を静かに振り返ることができます。

 

今度はその珠数を見てください。たくさんの小さな玉と大きな玉が一本の紐でしっかりと結ばれつながっています。

大きい玉は仏様を表わしています。

小さな玉は私たちみんなです。

一本の紐は一本の道(本願念仏の一道)です。

仏様は私たちみんなにこの一道を歩んでほしいと念願しておられるのが、珠数の形です。

手を合わせ、珠数をかけ、仏様を拝む時、私たちは仏様から願われ念じられて、この一本の道を歩んでいくことになります。ですから、珠数を念珠とも申します。

大垣市・ 明秀寺 嵯峨崎厚水

*PDFデータ

 

第12回 うばい合えばたりぬ わけ合えばあまる」 相田みつを

 

なにかにつけていらん事しぃで、兄弟の中でもっとも叱られる回数の多い我が家の問題児は、ご機嫌取りのつもりでお菓子を「お前だけに」とこっそり与えてやっても、すぐに兄弟に配ってしまう。「せっかく内緒でやったのに」と言っても、「みんなで食べたほうがおいしいじゃん」と平然と言うこいつこそが、じつは我が家でもっともみほとけに近い尊敬すべき高僧なのかもしれない。

もう何年も前の夏休みの話。「ヘビが鳴いとる! 父ちゃん、池でヘビが鳴いとる!」

子どもたちが、境内にある池でヘビが鳴いていると騒いでいた。もちろん、ヘビが鳴くなどあり得ない。何かの間違いだろうと一笑に付したところ、本当に池のヘビのところから「グエッ」と、聞いたことのないような声がした。まさかと思い、子どもたちと池に駆け寄ると、なんと二匹のヘビがトノサマガエルの右足と左足にそれぞれ喰らいついて奪い合っているではないか。あの妙な鳴き声はヘビの鳴き声などではなく、股裂き状態のトノサマガエルの悲鳴であったのだ。二匹のヘビによる、一匹のカエルの奪い合いという残酷ながらもなんとも珍しい自然の摂理を親子でじっと観察していた。五分、十分、三十分、互いに一歩も譲らないヘビとヘビとの奪い合いにいいかげんすっかり飽きてしまった我々は、あまりにも暑いので庫裡の中へと引き返してしまった。………二時間後………池の様子を見に行くと、なんとヘビたちの膠着状態はまだ続いていた。もう精根尽き果てたのか、それとも死んでしまったのか、カエルは抵抗する様子もなければもう声も出さなかった。私は子どもたちを池にもう一度呼び寄せて、一匹の獲物をいつまでも奪い合うヘビたちを見せてこう語った。

「見ろ、まだ奪い合いをしているぞ。自分のことばかりを考えているから、結局どちらも腹が減ったままでいなければならん。この光景を【地獄】というんだ。しかし、人間にはほとけさまからいただいた智慧がある。おまえたちは、『何事も奪い合えば足りなくなり、分け合えばあまることもあるんだ』と、よく知っておきなさい」。

一匹のカエルを奪い合う二匹のヘビのすぐ近くには、たくさんのカエルたちがゲロゲロ、ゲロゲロと鳴いていた。

岐阜高山教区 淨流寺 北村 雄平

*PDFデータ

 

第11回 「意味もわからぬ名前の響き」

 

私には五歳の息子がいる。現在は幼稚園に通う年中さん。その息子と近所のコンビニにアイスクリームを買いに行く道すがら話をした。

「今日は、幼稚園で何をして遊んだの?」

「今日はね、○○ちゃんと○○ちゃんと一緒に積み木で遊んだよ。」

「そっか。女の子ばっかりだね。笑」

「うん!楽しかった!」

この時の息子の表情が、やけにニヤついて見えたのは気のせいではないはず。

しかし、女の子とばかり遊んでいるチャラい息子の笑顔は、なんとも愛おしく、同時に幼少期の自分の姿と重なり、とても恥ずかしい気持ちになった。また、男同士の他愛のない会話ができるようになり、お友達の名前が言葉となって出てくるようになったことにも驚いた。

世の中にある「もの・こと」には、大抵「名前」がついている。「もの」で言えば「椅子」や「机」。「こと」で言えばスポーツは競技名として「野球」などの名前がついている。私たちは、社会を生きていく中でごく自然に多くの名前と接し、他者と共通認識を持つための伝達手段として活用している。そして、初めて触れた時には意味もわからなかった多くの「もの・こと」たちは、その「名前」を覚えたことをきっかけとして、私と関係を結ぶ。息子との会話の中であらためて気付かされたことである。

さて、「respect others(リスペクトアザース)」という言葉をご存知だろうか。「他者を尊重する」という意味のこの言葉は、アメリカの教育の場で使われており、他者への尊重を欠き、つい怒りたくなるような場面(例えば、スポーツでのイージーミスなど)で、大人たちが子どもに対しての“いましめ”として発する言葉だそうである。意味もわからない小さな頃から教えられるそうで、今も根強く残る厳しい人種差別と向き合ってきた人たちが、尊重し合い、共存することができる社会を実現しようとする時の「合言葉」でもあり、同時に「反省」でもあるのだろう。

この言葉は、お釈迦様がお生まれになった時言い放ったとされる、「天上天下唯我独尊」という言葉といくらか似たようなニュアンスを感じ取れるし、「本当に尊いこと(本尊)」としていただいている、誰一人摘み残さず救うという願いの言葉、「南無阿弥陀仏」との接続も感じる。

「コロナ禍」と呼ばれる、差別や貧困が横行する現代社会の中で、それらを無意識的に温存・助長していることに対して「反省」を促すとともに、尊重し合い、共存する社会を実現しようとする「願い」として、子どもの頃は意味もわからなかった(今もわかった気になっているだけかもしれないが…)「南無阿弥陀仏」が、今こそ切実な響きで語りかけてくる。

チャラい息子が大人になった時、互いに尊重し、大好きな彼女との話をニヤつきながら話し合えることを楽しみに、日常に溢れる多くの「もの・こと」の名前とその意味に耳を傾け、聞いていきたいものである。

熱田区・淳德寺 伊藤 耕

*PDFデータ

 

 第10回 私」を問う日常 ―『モモ』を通して

 

これまでの日常が変わりゆく今、「本当に大切なことは何か」を問う中で、私はミヒャエル・エンデの『モモ』(「岩波書店」)を読み直してみたくなった。最近は便利な世の中で、プロのナレーターが朗読した本をアプリで聴けるサービスがある。先日、それを利用して、あらためて『モモ』を聞き始めた。

とある街に現れた「灰色の男たち」によって人々から時間が盗まれてしまい、皆が心の余裕を失くしてゆく。しかし友人の話に耳を傾け、その人に自信を取り戻させてくれる不思議な力を持つ少女モモが、奪われた時間を取り戻すという物語である。

ひとりの「灰色の男」が、モモに語った次の言葉が印象的だ。

「きみがいることで、きみの友だちはそもそもどういう利益をえているかだ。なにかの役に立つか?いや、立っていない。成功に近づき、金をもうけ、えらくなることを助けているか?そんなことはない。時間を節約しようという努力をはげましているか?まさに反対だ。きみはそういうことをぜんぶじゃまだてしている、みんなの前進をはばんでいる!」(七章 友だちの訪問と敵の訪問)

効率性や生産性を追求し、無駄なものは切り捨てていく。そのような価値観の中では、「忙しい、忙しい」と振り回され、心を亡くす、「亡者」になってしまう。私にとっての「灰色の男」とは何か。その問いが、人生の中で「本当に大切なこと」を選択していくヒントになるかもしれない。

…とこのように、私は妻に対して、自分なりの『モモ』の味わいを語っていた。主人公のモモのように何にも言わずに聞いてくれる妻に、気をよくして話し続ける。

「そうそう!この朗読、倍速で再生できる機能があるんだよ。一.一倍速で聞けば、一時間も短縮できる。すごくない?」と感動を伝えた。すると、思わぬ答えが返ってきた。

「うーん…でもさぁ、それって灰色の男に時間盗まれとらん?(笑)」

妻の言葉にグサッと心を刺されてしまった。読書くらい、じっくり時間をかけて味わわなきゃ!

一宮市・長誓寺住職 堂宮 淳賢

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 第9回 「言葉が聞きたい」(Ⅳ)


「お母さん」  「なあに」
子が親を呼ぶとき、親はそこにいる。
それは彼の闇(不安や心配)をはらう光なのだろう。
自分は光の中にいる、その安心。だからまた思い切り遊びに興じていける、力や勇気を発揮する魔法。光の言葉
親を呼ぶ声、応える言葉
発する言葉と返す言葉が、同時同所の一点で成立する一瞬。即、すなわち
(その時、そこで、そのままに)
二つの言葉は一つなのだ。
念仏申す
いつ、どこで。どんなときに? どうして?
かたくなな私の口を開かせ、漏れ出づるほどにか細い念仏が現れるとき、
私は気づきをもらう。
それは(私の口から発せられていながら)親よりの言葉、親の呼び声。
暗闇に灯る光
如来はここに来ておられる。私の方を向いて、私の側に私と一緒にいてくださる。私は一人ではない、あなたがいる。 私に届く光
如来が私に現れるとき、名号は言葉になった如来なのだ。
念仏となって私の耳に届く。 言葉が聞こえた

飛島村・無量寺 川口 賢司

第8回 「言葉が聞きたい」(Ⅲ)


人生というよくできた言葉がある。でも人生は誰にも同じようにありながら、
皆一人ひとりのものでしかない。変えること代わることのできないものだ。
私の人生
それは何? それって本当にあるの?
どこに? どうしたらいいの? どうしよう…
(教えて、ねぇ教えて。教えてほしいの、言葉で)
私は何を知っている?
私は何ができる?
知っていると言えるほどに知ってはいない。できると言えるほどにできはしない。
全ては暗闇の中でうごめきながら手探りを繰り返している。
私は、蜘蛛の糸をつかもうともがくカンダタと変わらない。
消え去っていく運命
暗闇に閉ざされていく記憶
そこに光を届け、命を吹き込むことのできる言葉。
それは私が無意識のうちに求めているもの。
それは私に向かって超越的に明かそうとしてくる真実。
暗闇の奥からかすかに開かれてくる細い光の帯
言葉
言葉が聞こえる

飛島村・無量寺 川口 賢司

第7回 「言葉が聞きたい」(Ⅱ)


映画「奇跡の人」
三重苦のヘレン・ケラーと家庭教師アニー・サリバンの物語
ヘレンが初めて言葉を獲得する瞬間を描く
「WATER」
ヘレンの暗闇に光が射したときだ。
物には名前があり、それは言葉で表される。
あらゆるものは現れては消えて行く、一瞬たりともとどまってはいない。
言葉で名付けることによって、それを記憶し、人に知らせることができる。
人と共有し、つながりが生まれる。
誰かが、言葉を使い名を呼ぶとき、
私は記憶の奥底からでもその物を光の中に出だすことができる。
そして、あなたにもそれはできる。言葉があれば。
言葉は光なのだ。
言葉が聞きたい。
私とあなたをつなぎ、過去を見い出し未来を見つける言葉を聞きたい。
だって、言葉は光なのだから。
私はどこから来てどこへ行くのかを教えてくれる光なのだから。

飛島村・無量寺 川口 賢司

第6回 「言葉が聞きたい」


言葉ということをずっと考えて来た。
言葉は光なのだ。目には見えない。
言葉がとどく時、真っ直ぐに自分の中に入って行く。
同時に私の全体を包む、覆う、抱く。
暖かさ(熱)を感じ、優しい気持ちになる。
言葉は相手の口から発せられて、私の耳に聞こえる。(私の口から出た言葉が私の耳にとどいても)
鼓膜をふるわせ、脳を刺激して、こころを向かわせる。
あなたはそこにいる。
私の方を向いて私に語りかけている。
私を思っていてくれるのですね。
私を大切に思い、私を愛してくれる。その安心。その感謝。
言葉は光なのだ。
私と一緒にいてくれる。
いつも、どこにいても―。
そんな言葉を探して。
その言葉が聞きたい。
光の言葉を。

飛島村・無量寺 川口 賢司

第5回 「人との出会い おしえとの出遇い」


 コロナ自粛で、家族が家にいることが多くなった。いつもなら月参りの法務を終えると私服に着替えて家を飛び出していく息子(20代後半)は、自室に籠ってスカイプとやらで友達と話しながらネットゲームに興じている。大学生の娘は膝に猫を座らせてパソコンで作業をしている。勉強かと覗くと、絵を描いていた。色鮮やかな画面をちらっと見て、こんな趣味があったのかと驚く。描いた絵は友達と見せ合うのだとか。SNSに投稿すると瞬時にコメントが返ってくるらしく、ニコニコしながら画面を眺めている。そんな彼らも、友達に会えないことを残念に思っているようだ。娘は春休みに手に入れた可愛いポーチを友達に見せたかったのにと寂しがっていた。息子も、パソコンのゲームやオンライン飲み会だけじゃつまらんと愚痴っている。いくら通信手段が発達しても、直接会って相手の顔を見て話すことには代えがたいものがあるのだろう。

 親鸞聖人は、29歳のときに出遇った師の法然上人と35歳の時に別れたきり、二度と会うことはなかった。だが親鸞聖人はその後の生涯をかけて師の教えを問い続けた。聖人のお手紙をまとめた『末燈鈔』には、次のように語っている85歳の時のお手紙が収録されている。

 〈法然上人は「浄土の教えに出遇った人は愚者になって往生する」と仰っていた。物も知らぬ人々が素直に念仏するのを見て、必ず往生すると微笑まれておられたが、書物を読んで偉そうに議論している人たちを見て、顔をしかめておられた。それを今でも思い出されるんだよ。〉*1

 50年前に拝見した師の姿を昨日のことのように語る親鸞聖人の言葉には、胸に迫るものがある。
 
「直接お会いしていろいろ尋ねたいことがあっただろうね。」

 ある日の昼食時の時、息子とそんな話をした。すると、最近本格的に声明作法の稽古をしている息子が、「あれ、蓮如上人は『夏御文』(げのおふみ)で、ぼんやり聴聞してんじゃねぇ、聖教をちゃんと読めと仰ってるで。親鸞聖人のお手紙と逆じゃないの」*2と、疑問を呈した。

 確かにそうだ。これがきっかけでお念仏の教えについて息子と話すことができた。直接会うことのなかった親鸞聖人の教えに聖教をとおして出遇った蓮如上人。聖教拝読の稽古を通して教えに出遇った息子。その息子と語ることで親鸞聖人の教えに立ち戻った私自身。引きこもりがちな日々の中で、人と教えとの出あいについて思いを馳せたひとときだった。

中川区・善福寺坊守 廣田万里子


*1『末燈鈔』第6通(『真宗聖典』603頁)

 【原文】
故法然聖人
は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いしことを、たしかにうけたまわり候いしうえに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、往生必定すべしとてえませたまいしをみまいらせ候いき。ふみざたして、さかさかしきひとのまいりたるをば、往生はいかがあらんずらんと、たしかにうけたまわりき。いまにいたるまでおもいあわせられ候うなり。

*2『夏御文』(『真宗聖典』846-850頁)
名古屋別院では、毎年7月5日~12日まで永代経後に御文法談として『夏御文』(げのおふみ)が拝読されます。

*PDFデータ

 

第4回 「疫癘(えきれい)の『御文』に見る生死」


   当時このごろ 疫癘とてひと死去す           (『御文』四帖目第九通)

 この言葉で始まる『御文』がある。今まで幾度も拝読してきた。しかし、今まさに新型コロナウィルスに世界の全てが震撼している現況下で読み返してみた。

 改めて着目したのは書かれた時代背景。『御文』の最後に「延徳四年六月 日」とある。この延徳4(1492)年は、蓮如上人78歳の時である。防災情報新聞の記事には、延徳4年より遡(さかのぼ)ること1486年から7年間に渡り疫病が流行り、合わせて飢饉、大雨、大風といわゆる天災に見舞われ、千死一生、多くの人民死すとある。(出典:『日本災変通史』池田正一郎著)
 この『御文』は疫癘・天災が7年も続く中でしたためられたものである。

 その中に、読み方によっては中々厳しくもとれる言葉がある。

  生まれはじめしよりしてさだまれる定業(じょうごう)なり。
  さのみふかくおどろくまじきことなり。


 疫病で亡くなったと、おろおろしているが、そんなに驚くことではない。疫病で死んだのではない、生まれたから死んだのだ、と書かれたのだ。死ぬという「果」は、生まれたという「因」に帰する。あくまでも疫病は「縁」であるとでも言い換えられようか。まさに、生まれれば、老い、病み、そして死す、という仏教の根幹を成す教えが飾りなく簡明直截(かんめいちょくせつ)に表されている。

 お寺のお同行にこの『御文』の話をしたら「何か冷たく感じるな」と漏らされた。確かにそうである。この現状下で誰が首を縦に振って頷いて聞けるだろうか。気の利いた労いの言葉の一つも聞けば、少しは癒されることもあるだろう。しかし、蓮如上人は違った。目の前の現実に翻弄される人々に、普遍的な教えに裏打ちされた言葉で向き合った。

 とある新興宗教の教祖は、集団感染したことを「サタンの仕業」と言った。それに対し、上人は「生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり」である。言うまでもなく、「無防備に死に往(ゆ)くことを受け入れよ」ということではない。清沢満之(1863-1903)の言葉で言い換えるならば「天命に安んじて 人事を尽くす」であろうか。私も翻弄させられている一人ではあるが、時を越え誤魔化すことなく人々を導いてきた言葉に出遇い直しをしている。そしてそれは、どんな法律、制度より実は寄り添い続けてきた言葉であったと安心もする。一日も早い終息を願いつつ。


稲沢市・教西寺 楳山 正樹

「疫癘の御文」

 【原文】
当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生まれはじめしよりしてさだまれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。しかれども、いまの時分(じぶん)にあたりて死去するときは、さもありぬべきようにみなひとおもえり。これまことに道理ぞかし。このゆえに、阿弥陀如来のおおせられけるようは、「末代の凡夫、罪業(ざいごう)のわれらたらんもの、つみはいかほどふかくとも、われを一心にたのまん衆生をば、かならずすくうべし」とおおせられたり。かかる時はいよいよ阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、極楽(ごくらく)に往生すべしとおもいとりて、一向一心に弥陀をとうときことと、うたがうこころつゆちりほどももつまじきことなり。かくのごとくこころえのうえには、ねてもさめても、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏ともうすは、かようにやすくたすけまします、御(おん)ありがたさ、御うれしさを、もうす御礼(おんれい)のこころなり。これをすなわち仏恩報謝の念仏とはもうすなり。あなかしこ、あなかしこ。
延徳四年六月 日


 【現代語訳】
近頃、たいそう多くの人が伝染病にかかって亡くなっております。これは、決して、伝染病によって始めて死ぬのではなく、生まれたときから定まっている業(ごう)の報(むく)いなのです。さほど深く驚くべきことではありません。そうではありますが、今の時分にあたって死去しますと、きっと伝染病によって死んだに違いないというように人はみな思うもので、これももっともなことでありましょう。このように、業の報いによって死んでいかねばならない罪深いわたくしたちであればこそ、阿弥陀如来は、「末代に生きる凡夫の罪業がどれほど深くとも、われを一心にたのみとする衆生を必ず救おう」と仰せられたのです。このような弥陀の勅命があるからには、いよいよ阿弥陀仏を深くおたのみ申し上げて、極楽に往生するに違いないと思いを定め、一心一向に弥陀を尊び、疑うこころをわずかとも持ってはなりません。以上のように心得たうえには、寝てもさめても南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏と念仏申すのは、このようにわたくしたちをたやすくおたすけくださる御ありがたさ、御うれしさを申し上げる御礼のこころなのです。これをすなわち仏恩報謝の念仏というのです。(『現代の聖典 蓮如五帖御文』)

*PDFデータ

 

第3回 「竜のはなし」


 いまから二年ほど前の夏、「本物の〝わんこそば〟が食べたい。何杯たべられるかやってみたい」と言い続けていた小学校四年生の孫(男子)を連れて、夏休みのおわりごろに盛岡へ出かけた。爺婆と孫三人だけ、初めての旅行である。まず、名古屋空港から花巻空港へ。実はひそかに楽しみにしていたことがあった。花巻といえば、宮澤賢治(1896-1933)。「宮澤賢治記念館」へ行くことを条件に爺ちゃんが連れて行ってあげようという何とも身勝手なたくらみ。わずかな年金を少しずつ貯めて、息子に頼んで安い航空券を手に入れた、というわけである。

 孫は楽しそうにはしゃいでいた。わんこそばのあの激しい食べ方、「婆ちゃんとバトルだ!」と意気込んでいる。夕飯が待ち遠しいようだった。空港の案内所で記念館へのアクセスをたずねて、まず私が楽しみにしていた記念館到着。すぐ目にしたのが、『竜のはなし』であった。賢治といえば『雨ニモマケズ』が有名なのだが、意外にもこの話が正面に取り上げられていた。「この話はおとぎ話ではありません」という、賢治の言葉から始まる、とても短い童話である。

 人や動物から恐れられる一匹の竜。ある時、「もう、動物や人を脅したり悪いことをしない」と心に誓う。皮が奇麗だからと猟師に皮を剥がれ、虫に身体をついばまれても静かにこらえ、やがて死んでいくが、ついにはお釈迦様になって人々を本当の救いへと導く、そんなお話。許すこと、受け入れること、自分の命さえ投げ出す痛ましいまでの竜の優しさ。賢治の仏教への絶対的信頼が読む者に「優しさ」の意味や本質を深く問いかけてくる。

 宮澤賢治は法華信者であった。実家の父は熱心な真宗の聞法者で、当時有名な真宗僧侶 例えばあけがらす はや(1877-1954)をわざわざ東北まで招き、歎異抄講話会を催すような人であった。賢治もまたその講話を聴いていたに違いない。しかし、彼は真宗の聞法者にはならなかった。信は人を通じてしか伝わらない。賢治の痛ましいほどの優しさを持ってしても、真宗に向かわなかったのは何故か、それを確かめるのが私の課題でもある。当時の真宗近代教学を代表する暁烏 敏の講話に触れて教化された人は多いと聞く。しかし、賢治はそうではなかった。このあたりに謎を解くカギがあるように思う。

 孫はわんこそばをたらふく食べて満足そうだったが、翌日何処へ行きたいか尋ねるとイオンのゲームセンターだと言った。婆ちゃんに連れて行ってもらって、私はホテルで賢治の作品にひたった。

  文・絵 熱田区・淳徳寺 いとう 修

第2回 「この病が流行る前から」



「弥陀(みだ)の本願を信ぜずしては、ふつとたすかるという事あるべからず」

(蓮如上人/『御文』五帖目第二通)


 この病が流行る前から私は「凡夫」(ぼんぶ)であった。しかしこうなってみて初めて、その「凡夫」という言葉の本当の意味を知った気がする。不安に慄(おのの)き、希望と絶望に翻弄(ほんろう)され、暮れていく一日に感謝をしたり或(ある)いは呪ってみたり、全く落ち着くところがない。狭い檻の中をウロウロと歩き回る獣のごとき毎日である。
 
 願いが叶うなら、病が流行る前の平和な日常を望むだろう。しかし、そう簡単に叶わないことも理解している。理解はするが、やはり願う。安寧(あんねい)や幸福を願うのは人間の自然な姿だ。 それを「祈願」というのだろう。  

 一方、真宗に「本願」という言葉がある。これは簡単にいえば仏様の願いで、阿弥陀仏の本願は「念仏する人を浄土にすくい取る」ことを内容とする。それは私の願いとは違う。私が願うことは主に目の前の問題の解決と欲望の成就だからだ。浄土へ往(い)こうなどと思わない。でも、私にとって奇妙にも思えるその仏様の願いでしか、私が本当に救われることはないと、蓮如上人は説かれる(上記)。  
 
 私の願いは私の欲から生まれる。自身が凡夫であることを差し置いて、目の前の問題の解決ばかりを望む。しかし本願は、そんな「私」こそが課題である、と教える。自分のおそれに傷つき、時に他者も傷つけ、上手くいけば増長し、困り果てれば世界と人生を呪い始める。そんな私に向けて「本当の願い」が差し向けられているのだ。  

 生まれてこの方ずっと私は凡夫であり、しかし凡夫であるがゆえに実は本願の目当てとされてきた。気づこうとしないだけで、聞こうとしないだけで、ずっと照らされ、ずっと願われていたのだ。今この瞬間も変わらない。本願は私と共にある。私のためにある。そう、この病が流行る前から。

中区・常瑞寺 黒部 朋之

第1回 「いま、つながりを生きる」



「コロナウィルスが感染拡大しているせいでお花が全く売れなくて参ったよ」
 
 先日、お花屋さんを営むあるご門徒さんから聞いた言葉です。私は、はじめコロナウィルスとお花の売り上げにどう関わりがあるのか、今ひとつ分かりませんでした。「なぜですか?」と伺いますと、その方は「三月、四月は、卒業式や入学式、結婚式なんかがどんどん中止になっているでしょう。お花の出番がなくなってしまったんですよ」と少し寂しそうにお話をしてくださいました。

 私はそれを聞いた時、あらためて人間はつながりを生きているのだと感じました。私はコロナウィルスとお花屋さんは一見なんの関わりもないように思い込んでいましたが、そうではないのです。世の中全体が抱えている問題を私たちは必ずこの身に受けていきます。世の中は大変だけど、「私はとっても幸せだ」ということは起こり得ないのです。なぜなら、私たちは「つながり」を生きているからです。

 お釈迦様はつながりを生きている私たちのあり方を「縁起」(えんぎ)とお示しくださいました。私たちはつながりを生きているからこそ、もう一度そのつながり方を確かめて欲しいという願いが込められたお言葉のように思います。コロナウィルスの感染拡大の終息が見えない情勢の中、「一体これからどうすればいいのか」と途方に暮れてしまうこともあります。しかし、〝こういう時だからこそ〟出会える人、学べること、そして聞こえてくる声があるのではないでしょうか。南無阿弥陀仏の教えを通して、私たちが直面している「危機」が人とのつながりを確かめ直す「機会」に、そして、それが仏様の願いを聞く「機縁」となることが、いま、願われています。

                               昭和区・惠林寺 荒山 信

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